寺院
嵐山の麓にある紅葉の名所 朱色に燃える楓に包まれた獅子吼の庭。寛正2(1461)年に創建された宝厳院は、嵐山・天龍寺の塔頭寺院です。 江戸時代に京都の名所名園を収録した「都林泉名勝図会」にも紹介されている(獅子吼の庭)。ここは、嵐山の借景を…
屈辱に耐えて発展した名刹 臨済宗大徳寺派の大本山である名刹・大徳寺は、戦国武将たちが創建した数多くの塔頭を持ちます。 花園上皇や後醍醐天皇の手厚い援助を受けていた大徳寺は、反体制側の足利将軍家が天下をとる時代になると理不尽な扱いを受けるよう…
山崖にはりついた堂宇 およそ1000年前から、山寺らしい雄大な紅葉が見どころの永観堂。 正しくは禅林寺という浄土宗・西山禅林寺派の総本山です。 寺域の楓は3千本を超えていて、季節になると境内が真紅の色で染めつくされます。 そして、山の斜面に寄…
16世紀になって再興された現在の退蔵院 退蔵院は妙心寺の塔頭(本寺の境内にある小寺)で、創建1404年という古い歴史を持ちます。 花園上皇が創った本寺の妙心寺は足利義満に圧迫されて、寺名を竜雲寺と変えられていたほど苦境にありました。 ですが、第…
利休が造った茶室 主君・織田信長の仇うちのために明智光秀を滅ぼした豊臣秀吉は、乱世を制して天下布武を実現しました。 その復讐の舞台となった天王山を抱く山崎の地、そこにたたずんでいるのが古刹・妙喜庵(みょうきあん)です。 そう、この山崎の合戦後…
天台宗五門跡という高い寺格を持つ毘沙門堂、山あいにたたずむ風情のある山寺です。 秋になるとこの辺り一帯が紅葉し、洛中とはまた違った雄大な風景を見ることが出来るのです。 円山応挙 遊鯉 そして、是非ご覧になっていただきたいのが、円山応挙の衝立(…
国宝の釈迦如来像 寛平6(894)年に遣唐使が停止されてから約1世紀後、東大寺の僧である奝然(ちょうねん)が、密教を研究するために中国(宋)主要部へ向かいます。 それは、古代日本人の最大の旅行記といわれ、その期間は約20ヶ月におよびました。 …
しおれた花に足を踏んづけるように 慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、日本の支配権を手に入れます。 秀頼の代になっていた豊臣家は、わずか60万石の大坂の一大名に転落しました。 用心深い家康は関ヶ原に勝利しても安心出来ず、し…
疫病に立ち向かう市の聖 空也 平安時代の半ば、京の町に流行していた疫病に立ち向かう一人の聖(ひじり)がいました。 その人は、空也(くうや)。自ら刻んだ十一面観音像を車に乗せ洛中を引き回し、念仏を唱えて病魔を鎮めます。 この時、野生の茶を霊水で…
一度は見ておきたいアプローチ 竹林に囲まれ、苔が敷き詰められ庭の中に、歩いて1分ほどの書院に続く小径があります。 それが、スピルバーグが思わず立ち止まるほど感激し、絶賛したと伝わる有名な高桐院のアプローチです。 細川藤孝を弔う高雅な寺院 そし…
文化サロン 光悦村の誕生 京都市街の北端に位置する鷹ヶ峰の地。そこに、たたずむのが光悦寺です。 光悦とは本阿弥光悦のことですが、茶道、書、陶芸、彫刻、漆絵とオールラウンドに才能を発揮する文化人でした。 1615年、徳川家康からこの鷹ヶ峰の地を…
細川家のルーツが描出された古刹 「竹の寺」とよばれる地蔵院は、京都市の文化財環境保全地区に指定されている臨済禅宗寺院です。 1367年に室町幕府管領の細川頼之が創建し、細川家の庇護のもと北朝系の天皇の勅願時にもなりました。 それは17万平方メ…
隠元禅師がもたらしたもの 日本のなかの中国といわれている、宇治にある万福寺。 禅宗は臨済宗・曹洞宗・黄檗宗(おうばくしゅう)と三宗ありますが、万福寺は黄檗宗の大本山です。 宗祖は、中国の明末の禅僧だった隠元隆琦(いんげんりゅうき)で1661年…
聖徳太子と秦河勝 推古天皇の時代603年、秦河勝(はたかわかつ)が聖徳太子から一体の仏像を賜り、それを本尊として寺を建立したことから広隆寺の歴史は始まりました。 広隆寺のある太秦(うずまさ)という地域は有力氏族である秦氏が支配していたのです…
広大な敷地と宗勢を持つお寺 洛西・花園の地に広大な境内を持つ妙心寺。 三門・仏殿・法堂・方丈・庫裏が一直線にならぶ、その伽藍群は、町の生活空間と一体化するように佇んでいるんですね。 自転車で走り抜ける人や、ゆっくりと歩いてくる人。 500メー…
ロウソクの明かりは、仏さまの智慧の光 京都駅前にそびえている京都タワーは昭和39年に建てられました。 古い都、伝統の街としての京都を大切に思ってきた人たちは、けったいな塔の出現を憎みました。 ですが、しばらくすると「よう見ると、お東さんにそな…
1200年前から変わっていない東寺の所在地 真言宗総本山、東寺(教王護国寺)は794年の平安遷都にともなって建立された密教寺院です。823年に弘法大師・空海が嵯峨天皇より賜りました。 平安時代の雰囲気を今でも色濃く残していて、空海にまつわる…
俗界から仙境に足を踏み入れる 洛北の一乗寺下り松という場所にある名勝詩仙堂は、石川丈山(じょうざん)が晩年の31年間を過ごした建物です。 丈山がこの場所を選んで造営、移住したのが江戸時代初期の1642年、59才のときです。 建物は一階は蜂要(…
天台宗・真言宗の寺院に多い門跡寺院 王朝文化が築かれた京都には、皇室と深いつながりを持つことで存続してきた寺院が数多くあります。 いわゆる門跡と呼ばれる寺院なのですが、それがよく分かる特徴として、御所の旧建造物が移された堂宇がよく見かけられ…
緑艶やかな色彩の苔 苔寺と通称をもつ西芳寺は、京都の西山エリアにあります。 平安時代の終焉ごろに浄土信仰の寺として建立され、その後、時代の流れで衰退していたのを、1339年に禅僧の夢窓国師(むそうこくし)が中興しました。 夢窓国師は芸術的な才…
法観寺に伝わる「仏舎利塔記」 祇園・八坂神社前の東大路という大通りから、路地(ろおじ)を曲がると、五重塔が目の前に迫ってきます。 その五重塔の名は、八坂の塔と呼ばれる臨済宗・建仁寺派の塔頭である法観寺です。 法観寺に伝わる「仏舎利塔記」による…
宋から持ち帰られた多数の文化財 泉涌寺は大門をくぐると、まるで、坂の上から伽藍(がらん)を見下ろすような配置になっています。 ゆるやかな下り斜面の向こうに、黒光りした本瓦の屋根を持つずっしりとした仏殿が目に映るのです。 緑に囲まれた広く白い窪…
神がかり的な美しい景観 銀閣寺と南禅寺を結ぶ「哲学の道」。その近くに、神楽岡(かぐらおか)という静寂に包まれた場所があります。 この一帯は桜や紅葉の季節になると、まさに神がかり的な、美しき景観の世界へと変貌を遂げます。 いにしえより、その神楽…
アインシュタイン博士の実験 1922年、日本を訪れていた物理学者のアインシュタイン博士は、実証実験のために、知恩院の鐘の中に潜り込んでいました。 日本最大級の大きさといわれる知恩院の梵鐘。一度つくと、その音の余韻は20分近く続きます。 ですが…
呵々大笑して生き抜いた僧 「酬恩庵」一休寺。一休禅師が荒れ果てていた寺を1456年に復興させました。 禅師は、ここで後半生の生涯を送りながら、応仁の乱で全焼した大徳寺を見事に再建させ、81歳で大徳寺住職となった時も、この寺から通っていました…
千年前に建てられた醍醐寺の五重塔 京都で有名な塔といえば、やはり東寺の五重塔ですが、京都でいちばん歴史ある古い塔は醍醐寺の五重塔です。 東寺の塔は4回も火災に遭い、現在の塔は江戸初期の1644年に建てられたものです。それに対して醍醐寺の塔は…
石水院「鳥獣人物戯画」 人里離れた静かな森林にたたずむ、世界遺産のひとつ高山寺。 寺には石水院という国宝がありますが、これは明恵(みょうえ)という高僧の住房だった建物です。 1218年、後鳥羽上皇から学問所として贈られたものを明恵が高山寺に移…
荒ぶる魂で寺を再興させた怪僧 その荒れ放題の寺からは、何から何まで寺宝はすべて持ち去られていた。 ただひとつ残った薬師如来立像も雨ざらし野ざらしの状態で、堂宇の破れた屋根のすきまから月光が、この如来像の横顔にふりそそいでいる。 そう、空海の時…
苔の庭 杉木立の中に建つお堂 三千院の御殿門をくぐると、まず最初に拝観するのは寝殿です。 その寝殿から往生極楽院のほうを眺めると、一面に苔の庭が広がっていて、音が吸い込まれたような静寂の景色に、思わず目を奪われてしまうのです。 いまにも立ち上…
鳥の姿を池の水に映す極楽浄土 その建物は、南北翼廊を左右の翼になぞらえ、真ん中の阿弥陀堂をまさに鳥の顔に見立てています。 よく見ると阿弥陀様の目は鳥の目であり、その上には鳥の鶏冠のようなものが乗っていて、尾廊は長く池を横切って裏山に通じてい…