鳥の姿を池の水に映す極楽浄土
その建物は、南北翼廊を左右の翼になぞらえ、真ん中の阿弥陀堂をまさに鳥の顔に見立てています。
よく見ると阿弥陀様の目は鳥の目であり、その上には鳥の鶏冠のようなものが乗っていて、尾廊は長く池を横切って裏山に通じていてるのです。
その姿は、まさに飛ぶ鳥の姿を強くイメージさせるのです。
平等院鳳凰堂、永承7(1052)年藤原頼道が、父親の道長の別荘を譲り受け寺にしました。
頼道はこの御殿を鳳凰という鳥の形にします。鳳凰は中国でも最も神聖な鳥とされていて、仁智があり、生虫を食べず、生枝を折らず、菩薩の化身であるという伝説の鳥なのです。
頼道の憂鬱
頼道の父である道長は、まさに藤原氏全盛期の摂政であり、娘を次々と皇后にするという前後未踏の偉業を成し遂げた人物です。
その影響下にあった頼道は、51年間摂関の地位を保ち得ましたが、道長のように外孫に皇子を得る事は出来ませんでした。
そのような事情もあり、頼道は栄華の頂上にありながら、この現世を厭う心をどこかに持っていました。
この巨大な鳥の形をした建物は、都の方を向いていません。
頼道は、鳥となって天高く舞い上がり、極楽浄土へ飛んで行きたいという願望を強くもっていたのでしょう。
そこで永遠の美的生活を続けることが頼道の願いであり、その願いによって建てられたのが鳳凰堂なのです。
仏像のスタンダードを造った天才
中堂の阿弥陀如来坐像は仏師、定朝(じょうちょう)が造りました。極楽浄土へいざなうような穏やかな表情をしています。
この定朝が確立した「定朝様」と呼ばれる和様彫刻は、弟子たちに引き継がれ、やがて円派、印派、慶派という3つの仏師集団に分かれていきます。
「定朝様」は、今もなお、仏像造りのスタンダードな様式であり続けています。