京都美術

高山寺 「鳥獣人物戯画」 失われたエピローグ

謎多き国宝絵画 世界遺産・高山寺が所有する国宝絵巻「鳥獣人物戯画」。 漫画の元祖と名高いこの国宝戯画は、甲・乙・丙・丁という筆様の異なる4巻の絵巻で構成されています。 擬人化されたウサギやサル、カエルなどが自然の森の中で戯れるさまを描いた甲巻…

元離宮二条城 この国に遺された最後の御殿 その障壁画とは 

唯一 遺された二の丸御殿 権力の転換、その確認を明示するかのように、都に、突如出現した葵の城、二条城。 慶長8(1603)年、すでに解体されていた豊臣秀吉の聚楽第に対抗するかのように建てられたこの城は、まさに、京都における徳川家の拠点のひとつ…

聚光院の障壁画  狩野一族を画壇の覇者に仕立てあげた天才絵師 永徳

武将たちの栄華 室町幕府を事実上崩壊させ、一時、天下の支配者として君臨した戦国大名、三好長慶(ながよし)。 長慶が病死すると、その権力の全てを部下の松永弾正が奪うのですが、その弾正もあっけなく織田信長に敗死させられました。 その三好長慶の栄華…

神護寺  国宝 源頼朝 平重盛の肖像画はなぜこの寺に残されたのか

京都市の西北部にある高雄山(たかおさん)。木々に囲まれた山域には清滝川が流れ、渓谷から、乱れ積みの長い階段を登り切ったところに建つのが古刹・神護寺です。 平安京が出現する少し前の天応元(781)年に、高雄山寺として創立された古い歴史を持ちま…

清凉寺  生身の釈迦像 それはホンモノと入れかわったのか

大変なものが 清凉寺の所蔵する「釈迦如来立像」に対して、文化庁が国宝指定のための調査を行ったのは、昭和28年7月29日のことでした。 調査員が像の背面を調べようと、まず光背(こうはい)をはずし、その背面に手をあてたとき、ズズッと何かが下へす…

麟祥院 春日局の生涯  信じている 強さがいいと

斎藤 福という娘 麟祥院(りんしょういん)は徳川家光によって、1634年に、乳母の春日局のための菩提寺として建立されました。 日本最大規模の禅寺である妙心寺、その48ある塔頭のひとつとして、海北友雪や狩野探幽が描いた美術画の寺宝が伝わる格式高…

二条城障壁画  御用絵師 狩野家

ただひとつだけ遺された将軍の住居 戦国時代以降、城郭造営はいちじるしく発展をとげました。 鉄砲の伝来によって戦争の在り方が大きく変わったこともあり、天下統一を目論む武将たちが、攻防戦によるその効用を重視したからです。 そして、安土桃山時代から…

祥雲寺  東山七条 地下に眠る歴史的・客殿遺構

東山七条にある名刹・智積院(ちしゃくいん)の講堂が平成4年に再建されたとき、事前に建設予定地の調査が改めて行われたことで、歴史的な遺構が発掘されました。 なんと、智積院の前身寺院として知られる祥雲寺の桃山時代の客殿遺構が見つかったのです。 …

琳派のはじまり  本阿弥家の偉大なる母 妙秀

天下泰平の訪れ 徳川政権が豊臣家を滅ぼし天下泰平としたそのあと、彼らは、江戸からの全国支配による封建体制を着々と整えていきました。 これに対して京都では、この新しい武断政権の統制に対抗するように、王朝文化を伝承していこうという気風につつまれ…

広隆寺 弥勒菩薩半跏像  口もとにたたえるアルカイック・スマイル

日本美術を守ったフェノロサ 明治初期、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる奈良・京都では多くの仏像や仏画が犠牲となっています。 当時、奈良・京都を頻繁に訪れていた東京大学教授のアーネスト・フェノロサは、この現状に強い危機感を抱いていました。 というのも、…

天部二十八部衆と風神・雷神像  悪魔のチカラ身に着けた正義のヒーロー

イメージされる無限の観音像 三十三間堂 文永3(1266)年の再建から750年、その姿を保ち続ける奇跡の宗教建築。 お堂に安置された千手観音によって、蓮華王院・三十三間堂は守られ続けてきたのです。 中央に鎮座する丈六の千十観音座像を本尊とし、…

元禄の京に光琳あり  尾形家 不肖の3兄弟

雁金屋の3兄弟 徳川家の娘に生まれ皇室に入内した東福門院和子。 朝廷と幕府の平和の架け橋となったその偉大な皇后は、延宝6(1678)年、帰らぬ人となりました。 彼女に最もひいきにされていた幕府御用達・老舗呉服商の雁金屋(かりがねや)の商運は、…

建仁寺 所蔵  俵屋宗達 風神雷神図屏風 魔法使いと呼ばれた天才絵師

鎌倉幕府の第2代将軍・源頼家の寄進によって建立された建仁寺。 武家の強力なバックアップを受けて、14世紀には、京五山第三位の臨済宗・名刹となりました。 現在では、禅寺にしては珍しく格式ばらない寺院として、境内のある祇園・花街の人々にも親しま…

養源院  お江の思いが託された 俵屋宗達の杉戸絵

豊臣家により創建され徳川家によって再建された寺 文禄3(1594)年に豊臣秀吉の側室・淀の願いによって、彼女の父である浅井長政と祖父・久政の追悼の寺として養源院は建てられました。 戦国期の北近江の大名であった浅井長政は、妻・お市の兄にあたる…

東福寺  明兆・大涅槃図  ホンモノは全然違うのです

臨済宗を中心とした禅宗は、宋・元の美術や喫茶などの最新の中国文化と共に、鎌倉時代から南北朝時代にかけて日本へ伝わりました。 そこから江戸時代まで、禅院で花開いた禅宗美術は、いまも名刹の特別公開などで展示され、訪れる人々を魅了してやみません。…

本法寺 長谷川等伯 波龍図  一滴の水で天に昇る

洛中に今も伝わる逸話 室町時代に創建された本法寺は、さまざまな法難に遭いながらも正面から立ち向かい、ねばり強く布教を続けた日蓮宗の本山であり、京都市民たちが誇る名刹です。 本法寺のある京都・洛中には、今も伝わるこんな逸話があります。 桃山時代…

承天閣美術館  天才画家 伊藤若冲 雲のうえから微笑む

かよい慣れた道を、いつもよりゆっくりと歩く夕暮れの錦通り。 新型コロナのはやりで、本当に人がいないので、なんだか違う景色に見えます。 ここは、普段ならインバウンドの人々で溢れるグルメロードと呼ばれる有名な市場。いまは、人影もまばらです。 その…

天球院  孤高の天才画家 狩野山雪

池田輝政の妹 妙心寺の塔頭のひとつである天球院が建立されたのは、寛永8(1631)年のことでした。 姫路城主の戦国武将・池田輝政の妹の天球院という院号から天球院という名は名付けられているんですね。 因幡若狭城主に嫁いだ彼女は、離縁し池田家に戻…

曼殊院  寛永文化の結晶 京都の歴史を立体的に理解する

ビューポイントの門前 今ではすっかり紅葉の名所となった洛北の曼殊院ですが、15年ほど前までは、訪れる人もそんなに多くありませんでした。 樹々に縁どられた緩い坂道をまっすぐに上がっていくと、勅使門と淡青色の漆喰塀が見えてきます。 この門前は、も…

観智院  客殿に描かれた武蔵の水墨画 翼あるもの

一度は訪れたい国宝の客殿 東寺の子院を代表する存在であり、教学研究で優秀な学僧を多く輩出した観智院は、延文4(1359)年に後宇多天皇の遺志によって創建されました。 その後、徳川家康によって真言一宗の勧学院と定められます。 慶長10(1605…

退蔵院  元信の庭  天才絵師の家系

16世紀になって再興された現在の退蔵院 退蔵院は妙心寺の塔頭(本寺の境内にある小寺)で、創建1404年という古い歴史を持ちます。 花園上皇が創った本寺の妙心寺は足利義満に圧迫されて、寺名を竜雲寺と変えられていたほど苦境にありました。 ですが、第…

毘沙門堂    円山応挙の遊鯉と山もみじの名刹

天台宗五門跡という高い寺格を持つ毘沙門堂は、山あいにたたずむ風情のある山寺になります。 秋になるとこの辺り一帯が紅葉し、洛中とはまた違った雄大な風景を見ることが出来るのです。 円山応挙 遊鯉 そして、是非ご覧になっていただきたいのが、円山応挙…

高山寺 国宝 鳥獣人物戯画  なぜこの寺に伝わったのか 

石水院「鳥獣人物戯画」 人里離れた静かな森林にたたずむ、世界遺産のひとつ高山寺。 寺には石水院という国宝がありますが、これは明恵(みょうえ)という高僧の住房だった建物です。 1218年、後鳥羽上皇から学問所として贈られたものを明恵が高山寺に移…

智積院   必見! 長谷川派による国宝の障壁画

新義真言宗 智山派の総本山 新義真言宗は真言宗の改革派というべき院政時代の僧、覚鑁(かくばん)の流れをくむ真言密教です。 覚鑁は高野山から根来山へ修学の地を移し、根来寺山内には多くの子寺や僧房が建てられました。智積院はその中でも最高学府でした…

建仁寺  孤高の日本画家 小泉淳作  法堂の「双龍図」

孤高の日本画家が描いた天井画 京都の名刹、特に禅宗寺院にですが、法堂に龍の天井画が描かれている場所が多くあります。 これは、龍が仏法護持の神将として水をつかさどることから、「火災から建物を守る」という意味あいが含まれているんですね。 建仁寺の…