醍醐寺    京都でいちばん古い五重塔

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千年前に建てられた幻想的な宗教建築物

京都で有名な塔といえば、やはり東寺の五重塔ですが、京都でいちばん歴史ある古い塔は醍醐寺の五重塔です。
東寺の塔は4回も火災に遭い、現在の塔は江戸初期の1644年に建てられたものです。それに対して醍醐寺の塔は951年に建てられ現在でも残っています。1467年から始まった応仁の乱でも、下醍醐の伽藍はほとんど焼失しましたが塔だけは奇跡的に火災をまぬがれました。

醍醐寺の五重塔は西側に広いスペースがあるので、そこから塔を誠によく眺めることができます。約1050年前の宗教建築物ということもあり、幻想的で静かな確かさを感じさせる圧巻の風景です。

この塔が建立されたのは村上天皇の時代ですが、天皇の母である藤原穏子(おんし)によって許可されました。
931年に醍醐天皇の一周忌を期してはじめられ、途中に中断もあり951年に完成しました。穏子は醍醐天皇の中宮で、朱雀・村上の両天皇という皇子を生んだ母であり、摂関家の藤原基経の娘です。そして、ここから藤原家百年の栄華がはじまったとされています。自家の娘を皇后や中宮にして、外祖父になり権力を握る藤原家のやり方は、この後、平等院を建立した頼道の時代で途絶えるまで続きます。

穏子は大変賢くしたたかであり、自身の立ち位置をしっかり見据えていた女性だったといわれています。
穏子だけではなく、藤原時代の繁栄は一家の優秀な女性たちがカギを握っていたといわれていて、清少納言、紫式部、和泉式部という女性文学者が活躍したのもこの時代なのです。

その後、応仁の乱によって荒れ果てていた醍醐寺を再建させたのは、豊臣秀吉とその子秀頼の力によるものです。
秀吉が行った醍醐寺の花見はあまりにも有名です。秀吉の後宮の女性たちが1300人参加し、三度の着替えがあったので、京都の呉服商に凄まじい需要をもたらしました。日本国はじまって以来の華麗極まる花見だったと記録されています。