寺院

仁和寺  仁清と乾山 宮廷文化が生んだ きれいさび 京焼

御池と御室 代々天皇の皇子および皇孫が門跡という住職を務められた世界文化遺産・仁和寺。 神泉苑のある場所が御池と呼ばれるように、この古刹がある地域も御室と呼ばれてきたのです。 寺であると同時に宮殿であるという性格を持つこの門跡は、全国の寺社を…

三十三間堂  千手観音像に守られた奇跡のお寺

750年前から守られてきたお堂 蓮華王院・三十三間堂は、長さ125mの仏殿の中に1001体の千手観音像が整然と並ぶ、国宝の宗教建築です。 住んでいた法住寺殿の中に、後白河院が平清盛の力を借りて、長寛2(1164)年に建立しました。 観音の力で…

平等院  鳳凰堂  龍神に守られた平安時代の象徴

建物から飛び出している尾廊 朝日山から朝日が昇ると、光りが池の水面に当たり、その光は反射してお堂の中に入ります。 さざなみのようにキラキラ揺れる光を受けた仏像は、まるで胸のあたりで呼吸しているかのようです。 まばゆい自然の光によって、阿弥陀如…

建仁寺 所蔵  俵屋宗達 風神雷神図屏風 魔法使いと呼ばれた天才絵師

鎌倉幕府の第2代将軍・源頼家の寄進によって栄西が建立した建仁寺は、武家の強力なバックアップを受けて、14世紀には京五山第三位の臨済宗名刹となりました。 現在では、祇園・花街のすぐそばで地元の人々に親しまれている、禅寺にしては珍しく格式ばらな…

養源院  お江の思いが託された 俵屋宗達の杉戸絵

豊臣家により創建され徳川家によって再建された寺 文禄3(1594)年に豊臣秀吉の側室・淀の願いによって、彼女の父である浅井長政と祖父・久政の追悼の寺として養源院は建てられました。 戦国期の北近江の大名であった浅井長政は、妻・お市の兄にあたる…

南禅寺・方丈 なにがなんでも再興させる 崇伝の奔走 東へ西へ

消えた京都の古き由緒ある寺院 草庵から出発した小さな寺院が伽藍寺院に発展すると、いちばん必要とされるのが建築費用でした。 大規模になればなるほど、宗派を問わず、お布施の集積だけではまかないきれなくなります。 最初の出費の大部分を援助してくれる…

金地院   禅宗最高峰の住持 以心崇伝 

悪国師の名を受けて 徳川家康には極めて優秀で才覚に長けた、徳川幕府三百年の治世の基盤を築き上げたブレーンが二人いました。一人は、民衆に絶大な人気のあった天台宗の傑僧・南光坊天海。 そしてもう一人は「悪国師」と呼ばれ、人々を苦しませる悪役であ…

金閣寺  義満の黄金趣味の極み 水面に映る 曇りの日

舟を浮かべて盛大な宴 金閣といえば派手で強烈な光を放っているイメージがありますが、実際に境内へ足を踏み入れて眺めてみると、優しく気品ある光に包まれています。 手前の鏡湖池に写しだされたゆらゆら揺れる姿は、何か夢の世界を訪れたような幻想を抱か…

清水寺  王城の守護神 田村麻呂 明日を開く鍵 信じる言葉はあるか

征夷大将軍・坂上田村麻呂 清水寺が国から公認されたのは、805年のことです。できたばかりの平安京では、寺院の新設・奈良からの移転は禁じられていましたので、国家公認の東寺・西寺以外の寺院はありませんでした。 清水寺だけが例外的に、特別に認めら…

東福寺  明兆・大涅槃図  ホンモノは全然違うのです

臨済宗を中心とした禅宗は、宋・元の美術や喫茶などの最新の中国文化と共に、鎌倉時代から南北朝時代にかけて日本へ伝わりました。 そこから江戸時代までの禅院で花開いた禅宗美術は、いまも名刹の特別公開などで展示され、訪れる人々を魅了してやみません。…

本法寺 長谷川等伯 波龍図  一滴の水で天に昇る

洛中に今も伝わる逸話 室町時代に創建された本法寺は、さまざまな法難に遭いながらも正面から立ち向かい、ねばり強く布教を続けた日蓮宗の本山であり、京都市民たちが誇る名刹です。 本法寺のある京都・洛中には、今も伝わるこんな逸話があります。 桃山時代…

承天閣美術館  天才画家 伊藤若冲 雲のうえから微笑む

かよい慣れた道をいつもよりゆっくりと歩く夕暮れの帰り道。新型コロナのはやりで、本当に人がいないのでなんだか違う景色に見えます。 ここは、普段ならインバウンドの人々で溢れる、京都市中心部のグルメロード錦市場。いまは人影もまばらです。 その為に…

相國寺  義満の権力欲の裏側  幻の七重大塔

宗派を超えた国家的建築物 応永6(1399)年、それまで誰ひとり見たことのない高塔が、京都洛中の北の地に出現しました。その高さは三百六十尺、足利三代将軍・義満が竣工させた相國寺・七重大塔です。 百メートルを優に超すこの塔は、義満が宗派を超え…

本能寺  麒麟がくる  明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか

応仁の乱からの復興 京都の街を焼き尽くした応仁の乱。絶望的状況がなんとか収束に向かったとき復興に尽力したのは、町衆と呼ばれる富裕層の商売人たちでした。 その大半の人たちは法華宗門徒だったので、法華宗の信仰は京都の中心部に浸透します。 「題目の…

天球院  孤高の天才画家 狩野山雪

戦国武将・池田輝政の妹 妙心寺の塔頭のひとつである天球院は、寛永8(1631)年に建てられました。 天球院という名は、姫路城主の戦国武将・池田輝政の妹の天球院という院号から名付けられています。 この女性は因幡若狭城主に嫁ぎましたが、離縁し池田…

天授庵  細川幽斎 古今伝授の戦国武将が再建させた名刹

京都三大門のひとつ南禅寺の巨大な三門のすぐ傍に、杮葺きの本堂の天授庵はただずんでいます。 池の縁を深紅の紅葉が包み込む池泉回遊式庭園と本堂の前庭に広がる枯山水庭園。ふたつの趣を感じることの出来る景観は、訪れる人々を魅了してやみません。 徳川…

曼殊院  寛永文化の結晶 京都の歴史を立体的に理解する

ビューポイントの門前 今ではすっかり紅葉の名所となった洛北の曼殊院ですが、15年ほど前までは、訪れる人もそんなに多くありませんでした。 樹々に縁どられた緩い坂道をまっすぐに上がっていくと、勅使門と淡青色の漆喰塀が見えてきます。 この門前は、も…

観智院  客殿に描かれた武蔵の水墨画 翼あるもの

一度は訪れたい国宝の客殿 東寺の子院を代表する存在であり、教学研究で優秀な学僧を多く輩出した観智院は、延文4(1359)年に後宇多天皇の遺志によって創建されました。 その後、徳川家康によって真言一宗の勧学院と定められます。 慶長10(1605…

寂光院  大原の里と建礼門院 貴女の笑顔が見たいから

聖徳太子と小野妹子 ゆかりの古刹 父・用明天皇の菩提を弔うために、聖徳太子が自ら造った地蔵菩薩像を安置して開創した寂光院は、洛中から十数キロ離れた大原の里にたたずんでいます。 大原には太子が創った寺院が数多く有り、実光院の地蔵菩薩や通称蛇寺の…

宝厳院  漱石が心癒された獅子吼の庭 「京に着ける夕」

嵐山の麓にある紅葉の名所 朱色に燃える楓に包まれた獅子吼の庭。寛正2(1461)年に創建された宝厳院は、嵐山・天龍寺の塔頭寺院です。 江戸時代に京都の名所名園を収録した「都林泉名勝図会」にも紹介されている(獅子吼の庭)。ここは、嵐山の借景を…

大徳寺  たやすくひるまない臨済禅の拠点

屈辱に耐えて発展した名刹 臨済宗大徳寺派の大本山である名刹・大徳寺は、戦国武将たちが創建した数多くの塔頭を持ちます。 花園上皇や後醍醐天皇の手厚い援助を受けていた大徳寺は、反体制側の足利将軍家が天下をとる時代になると理不尽な扱いを受けるよう…

永観堂 みかえり阿弥陀 人はみな弱虫を背負っている

山崖にはりついた堂宇 1000年前から山寺特有の雄大な紅葉が名高い永観堂。正しくは禅林寺という浄土宗西山禅林寺派の総本山です。 寺域の楓は3千本を超えていて、季節になると境内が真紅の色で染めつくされます。 そして、東山の山腹にそびえる永観堂の…

退蔵院  元信の庭  天才絵師の家系

16世紀になって再興された現在の退蔵院 退蔵院は妙心寺の塔頭(本寺の境内にある小寺)で、創建1404年という古い歴史を持ちます。 花園上皇が創った本寺の妙心寺は足利義満に圧迫されて、寺名を竜雲寺と変えられていたほど苦境にありました。 ですが、第…

妙喜庵待庵  利休の最高傑作 草庵茶室

利休が造った茶室 主君・織田信長の仇うちのために、明智光秀を合戦で滅ぼした豊臣秀吉は乱世を制して天下布武を実現しました。 その舞台となる天王山を抱くここ山崎の地に、古刹・妙喜庵(みょうきあん)はたたずんでいます。 この山崎の合戦後、秀吉は1年…

毘沙門堂    円山応挙の遊鯉と山もみじの名刹

天台宗五門跡という高い寺格を持つ毘沙門堂は、京都駅から一駅、山科駅北側の山あいにたたずむ風情のある山寺です。 秋になるとこの辺り一帯が紅葉し、洛中とはまた違った雄大な風景が見られます。 円山応挙 遊鯉 そして、毘沙門堂では円山応挙の杉板絵の衝…

清凉寺  生身の釈迦如来像  もしも想夫恋が聴けるなら

国宝の釈迦如来像 寛平6(894)年に遣唐使が停止されてから約1世紀後、東大寺の僧である奝然(ちょうねん)が、密教を研究するために中国(宋)主要部へ向かいます。 それは、古代日本人の最大の旅行記といわれ、その期間は約20ヶ月におよびました。 …

方広寺  ほんの一瞬だけ輝いた 黄金の大仏

しおれた花に足を踏んづけるように 慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、日本の支配権を手に入れます。 秀頼の代になっていた豊臣家は、わずか60万石の大坂の一大名に転落しました。 用心深い家康は関ヶ原に勝利しても安心出来ず、し…

六波羅蜜寺  市の聖 空也 常に市井の人の中にあり

疫病に立ち向かう市の聖 空也 平安時代の半ば、京の町に流行していた疫病に立ち向かう一人の聖(ひじり)がいました。 その人は、空也(くうや)。自ら刻んだ十一面観音像を車に乗せ洛中を引き回し、念仏を唱えて病魔を鎮めます。 この時、野生の茶を霊水で…

高桐院  忠興の思い 愛しきガラシャよ永遠に

一度は見ておきたいアプローチ 竹林に囲まれた高桐院の苔が敷き詰められた庭の中に、書院に続く歩いて1分ほどの小径があります。 これが、スピルバーグが立ち止まり感激し絶賛したといわれる有名な高桐院のアプローチです。 細川藤孝を弔う高雅な寺院 そし…

光悦寺    洛北 鷹ヶ峰に築かれた芸術の里

文化サロン 光悦村の誕生 左大文字山の北に位置する鷹ヶ峰にたたずむ光悦寺。光悦とは本阿弥光悦のことですが、茶道、書、陶芸、彫刻、漆絵とオールラウンドに才能を発揮する文化人でした。 1615年、徳川家康からこの鷹ヶ峰の地を与えられ、芸術家や工芸…