寺院

大通寺  西八条禅尼 源実朝と過ごした日々

京から鎌倉へ 享年28という若さでこの世を去ってしまった源 実朝(さねとも)。 その鎌倉幕府・第三代将軍のわずかな生涯に、より添うように生きた一人の女性がいました。 彼女の幼名は千世(ちよ)といい、出家後には、「西八条禅尼」(にしはちじょう ぜ…

高山寺 「鳥獣人物戯画」 失われたエピローグ

謎多き国宝絵画 世界遺産・高山寺が所有する国宝絵巻「鳥獣人物戯画」。 漫画の元祖と名高いこの国宝戯画は、甲・乙・丙・丁という筆様の異なる4巻の絵巻で構成されています。 擬人化されたウサギやサル、カエルなどが自然の森の中で戯れるさまを描いた甲巻…

聚光院の障壁画  狩野一族を画壇の覇者に仕立てあげた天才絵師 永徳

武将たちの栄華 室町幕府を事実上崩壊させ、一時、天下の支配者として君臨した戦国大名、三好長慶(ながよし)。 長慶が病死すると、その権力の全てを部下の松永弾正が奪うのですが、その弾正もあっけなく織田信長に敗死させられました。 その三好長慶の栄華…

禅の言葉 人間、その無限に向上するもの  政治と宗教

政治と宗教のつながり 禅宗という思想を本格的に日本に伝えたのは建仁寺を開いた栄西(えいさい)でした。 「禅」そのものは、最澄を祖とする比叡山・延暦寺で四宗兼学(円・戒・禅・密)のひとつとして、すでに平安時代に伝えられていました。 この延暦寺で…

宇治平等院で命尽きた源頼政  「遅くはないさ、はじめればいい」という口ぐせ

その大義名分 治承4(1180)年、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)が全国の源氏に対し、平家追討の令旨(りょうじ)を出しました。 令旨とは、皇太子や親王の命令を記したものですが、上皇の命令である院宣(いんぜん)や、天皇の命令である勅…

本法寺  なべかむり日親と「魔王」足利義教

恐怖の魔王 ときの有力大名たちを統制するために、将軍家の絶対的権力を確立するために「魔王」となった足利義教(よしのり)。室町幕府、第六代将軍です。 義教が将軍に指名される少し前に、日本で最初の土一揆は起こります。 さらに、関東公方の反乱、南朝…

法勝寺  巨大で奇抜 八角九重塔はなぜ建てられたのか ②

時の流れ 治暦4(1068)年、藤原摂関家と外戚関係を持たない後三条天皇が帝位についたのは35歳のときでした。 「えも知れぬ重圧を感じるのは、関白摂政が天皇の外祖父であるからのことで、私とは全く無縁のことだ」と、この時、後三条帝は周りに豪語…

法勝寺  巨大で奇抜 八角九重塔はなぜ建てられたのか ①

院政 平安時代、白河上皇に「天下の三不如意(ふによい)」という有名なエピソードがあります。 賀茂川の氾濫、双六の目、延暦寺の僧兵、この三つだけは自分の意のままに、思い通りには、どうしてもすることが出来ないと上皇が嘆いたという話です。 ですがこ…

空海の足跡  高野山から東寺へ そんな遠くに行かんかて

絶賛された目録 唐から帰国していた空海が、やっとのことで、なんとか都にある高雄山寺(神護寺)に入れたのは、大同4(809)年のときでした。 空海は、国から20年の留学を命じられていたのにもかかわらず全く聞き入れないで、わずか2年で唐から帰国…

伝教大師と弘法大師  「育てる人」最澄の密教への心残り

後世への影響力 偉大な功績を讃えられたことで、伝教大師という諡号を与えられた最澄。そして、その永遠のライバルであった弘法大師・空海。 最澄は日本天台宗の祖であり、入滅後には神になったと伝わる空海は真言密教をこの国にもたらしました。 この天才宗…

神護寺  国宝 源頼朝 平重盛の肖像画はなぜこの寺に残されたのか

京都市の西北部にある高雄山(たかおさん)。木々に囲まれた山域には清滝川が流れ、渓谷から、乱れ積みの長い階段を登り切ったところに建つのが古刹・神護寺です。 平安京が出現する少し前の天応元(781)年に、高雄山寺として創立された古い歴史を持ちま…

清凉寺  生身の釈迦像 それはホンモノと入れかわったのか

大変なものが 清凉寺の所蔵する「釈迦如来立像」に対して、文化庁が国宝指定のための調査を行ったのは、昭和28年7月29日のことでした。 調査員が像の背面を調べようと、まず光背(こうはい)をはずし、その背面に手をあてたとき、ズズッと何かが下へす…

東寺  言葉だけではたどりつけない世界 立体曼荼羅

ただ一度だけの炎上 延暦13(794)年、桓武天皇は京都遷都にともない、羅城門を挟んで二つの寺、東寺と西寺の建設を命じました。 平安京を守護するための官寺として建立されたのですが、外国からの来賓客の宿泊に主に使用されていました。 そして東寺の…

高台寺  秀吉とねね ふたりで築いてきたもの

ねねという女性(ひと) 洛中の七条通りを東の方角へ突き当るまで進み、京都女子大学のある坂を越えてさらに進むと、五百段もある大階段が見えてきます。 その気の遠くなるような長い階段をのぼりきったところにあるのが、豊臣秀吉の墓である豊国廟です。 は…

高山寺 明恵  あるべきように 自然のままに

慈悲の人 明恵 京都・栂尾(とがのお)にある世界遺産のひとつ高山寺。鎌倉時代、ここに明恵(みょうえ)という高僧がいました。 一般的にはほとんどその名は知られていないのですが、大学受験には頻繁に出題されるため、高校の教科書などには掲載されていま…

麟祥院 春日局の生涯  信じている 強さがいいと

斎藤 福という娘 麟祥院(りんしょういん)は徳川家光によって、1634年に、乳母の春日局のための菩提寺として建立されました。 日本最大規模の禅寺である妙心寺、その48ある塔頭のひとつとして、海北友雪や狩野探幽が描いた美術画の寺宝が伝わる格式高…

大徳寺  千利休と山門事件 隠された真実

千利休自刃の原因とされている山門事件、それは大徳寺で起こりました。 山門事件とは、利休をモデルにした木像が大徳寺の山門上に安置されたことで、豊臣秀吉の怒りをかってしまった事件のことです。 ですが、さまざまな歴史検証が行われてくると、どうやら…

五山送り火  夏の夜空にゆらめく炎

乾いた静かな夜空に、炎がゆらめく五山送り火は、夏の京都の風物詩。 大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居形と次々に浮かび上がり、儚く消えていきます。 毎年8月16日に、お盆に帰ってきた先祖の霊を壮大な送り火で見送るこの風習は、洛中に脈々と伝承さ…

智積院  根来寺の炎上から  少しでも前へ 

成田不動で有名な「成田山新勝寺」、初詣の人々で賑わう「川崎大師平間寺」、日帰り登山の聖地、高尾山「薬王院」。 いずれも関東屈指の大寺院ですが、この三つの名刹は新義真言宗・智山派に所属し、宗団の東日本における拠点となっています。 そして、それ…

祥雲寺  東山七条 地下に眠る歴史的・客殿遺構

東山七条にある名刹・智積院(ちしゃくいん)の講堂が平成4年に再建されたとき、事前に建設予定地の調査が改めて行われたことで、歴史的な遺構が発掘されました。 なんと、智積院の前身寺院として知られる祥雲寺の桃山時代の客殿遺構が見つかったのです。 …

龍安寺  謎につつまれた石庭 義政と庭師たちの有縁 

研ぎ澄まされた静寂の空間 嵯峨野から金閣寺へと続く、きぬかけの路(みち)。 霊気が漂うように霧に包まれる、その路から視線を上げると、すぐそこに衣笠山(きぬがさやま)から朱山(しゅざん)が連なっているのが見えます。 この山々のふもと一帯は、平安…

飛雲閣  秀吉の足跡 それは聚楽第・伏見城の遺構なのか

西本願寺の境内にそびえる国宝・飛雲閣は、金閣寺、銀閣寺とともに京都三名閣と呼ばれています。 純金で内装されていたという豊臣秀吉が造営した聚楽第の遺構だと、少し前までは、そう伝えられていました。 ですが、現在の時点では、建物の第二、第三階に改…

鞍馬寺  毘沙門天立像  わずかな光のなかに道はある

はるか彼方を見すえる鞍馬寺の毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう)。 左手を額あたりにかざして、遠く、平安の都を見守っています。 北方から都を守護するため、秘境の霊山というその場所に立ち続けてきました。 ま昼でさえ漆黒のような暗闇に覆われる…

銀沙灘と向月台  月に照らされた 青の世界

ユートピア 文明14(1482)年、応仁の乱が終わり、世の中が少し落ち着きはじめると、前将軍・足利義政は、頓挫していた山荘邸宅の造営に再び執りかかりました。 すなわち、現在「銀閣寺」と呼ばれている寺のことですが、もともとは、義政の終の棲家と…

西園寺家と日野名子  ふたりの明日

西園寺家をよろしく頼むべし 西園寺公経(さいおんじ きんつね)を事実上のルーツとする京都・西園寺家と、鎌倉・北条家のつながりは密接でした。 承久3(1221)年、武家政権から実権を取り返すために後鳥羽上皇が挙兵した承久の乱。 太政大臣の西園寺…

広隆寺 弥勒菩薩半跏像  口もとにたたえるアルカイック・スマイル

日本美術を守ったフェノロサ 明治初期、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる奈良・京都では多くの仏像や仏画が犠牲となっています。 当時、奈良・京都を頻繁に訪れていた東京大学教授のアーネスト・フェノロサは、この現状に強い危機感を抱いていました。 というのも、…

醍醐の花見  京極竜子の生涯 圧倒的なその美貌

桜舞い散るその下で 慶長3(1598)年、豊臣秀吉によって名刹・醍醐寺で開かれた「醍醐の花見」。 それは、日本国はじまって以来の華麗極まる花見と語り継がれることになった壮大なイベントでした。 豊臣ファミリーと側近武将たち、そして、1300人の…

和気清麻呂  平安京建都 約束の場所  

戦前の日本において、楠木正成と共に、二代忠臣と呼ばれたのが和気清麻呂(わけのきよまろ)です。 楠木正成は、南朝を守るために武人として壮絶な最期を遂げましたが、清麻呂は、王朝の万世一系という神勅を命懸けで守った官人でした。 女帝と怪僧 神護景雲…

千本釈迦堂 奇跡の建築  高次とおかめ 君に出会えてよかった

そして本堂だけが残った 有名な観光寺院では、本堂、山門、講堂、塔というように、昔からの伽藍群のそのまま全てが揃って残されています。 ですが、京都のお寺には、町のなかに一部分だけが残されているというケースがじつは多いのです。 そして、その残され…

法成寺を建てた藤原道長  欠けることのない満月 

酒の席での戯言 平安時代最高の権力者といわれる藤原道長。自宅に招いた大勢の公卿の前で「この世をばわが世とぞ思ふ」という和歌を詠み、その場を凍りつかせました。 その慢心に聞こえる自画自賛は、酒の席での戯言でしょ、と流されることもなく、1000…