中世の京都
カオス 足利尊氏によって室町幕府は開設されましたが、二代目の義詮(よしあきら)の段階までは、足利家が全国を統一したとはとても言えない状況でした。 そう、国家の最高権威である朝廷が北朝と南朝に真っ二つに分かれているという事態はまだ克服されてい…
木曽谷に逃れて 平家総帥・清盛が倒れた後、京都から平家一族を追い落したのは源頼朝ではなく、信州・木曽の山中で挙兵した木曽義仲でした。 義仲の本姓はもちろん「源」であり、木曽の住人である「源義仲」というのが正式な名前なのです。 義仲と頼朝は互い…
なんのための鎌倉殿ぞ 正慶2(1333)年5月、後醍醐天皇の勅命による攻撃によって鎌倉幕府は崩壊し、北条氏は滅亡しました。 最後は、足利尊氏、新田義貞といった幕府側の屋台骨ともいえる有力御家人の裏切りによって、その息の根を止められたのです。 …
京から鎌倉へ 享年28という若さでこの世を去ってしまった源 実朝(さねとも)。 その鎌倉幕府・第三代将軍のわずかな生涯に、より添うように生きた一人の女性がいました。 彼女の幼名は千世(ちよ)といい、出家後には、「西八条禅尼」(にしはちじょう ぜ…
政治と宗教のつながり 禅宗という思想を本格的に日本に伝えたのは、建仁寺を開いた栄西(えいさい)でした。 「禅」そのものは、最澄を祖とする比叡山・延暦寺で四宗兼学(円・戒・禅・密)のひとつとして、すでに平安時代には伝えられていたのだそうです。 …
空位となった将軍職 応仁元(1467)年から11年間にわたって続いた「応仁の乱」によって、中世の京都は完膚なきまでに焼き尽くされ、焦土と化しました。 応仁の乱は、足利将軍家や有力大名たちの家督争いからはじまり、やがて全国規模の軍事的な衝突へ…
恐怖の魔王 ときの有力大名たちを統制するために、将軍家の絶対的権力を確立するために「魔王」となった足利義教(よしのり)。室町幕府、第六代将軍です。 義教が将軍に指名される少し前に、日本で最初の土一揆は起こります。 さらに、関東公方の反乱、南朝…
慈悲の人 明恵 京都・栂尾(とがのお)にある世界遺産のひとつ高山寺。鎌倉時代、ここに明恵(みょうえ)という高僧がいました。 一般的にはほとんどその名は知られていないのですが、大学受験には頻繁に出題されるため、高校の教科書などには掲載されていま…
悪女と呼ばれて 室町幕府八代将軍・足利義政の正室であり、希代の悪女と呼ばれた日野富子。 尼将軍と名高い北条政子に匹敵する女傑だと好評価がある一方で、悪女、悪妻、応仁の乱の主犯、高利貸、守銭奴と、ありとあらゆる酷評も伝わります。 そして当時、富…
兄はなぜ怒っているのか 文治元(1185)年、源頼朝の密命を受けた土佐坊昌俊(しょうしゅん)が京へと向かっていました。 目指すその場所は、現在の西本願寺の近くにあった源義経と恋人の静、その二人が住む邸宅です。 このとき義経は、実の兄である頼朝…
突然の出来事 長享3(1489)年、室町幕府第9代将軍・義尚(よしひさ)は、弱冠25歳の身でありながら、近江の陣中で戦死しました。 この予期せぬ事態により、足利将軍の座が空白になったので、隠居の身でありながらも大殿の立場にあった義尚の父・義…
はじまりの場所 足利政権のはじまりのときに、どこに幕府を開くのか、鎌倉にするべきか、それとも京都にするべきなのかという議論が繰り返し行われました。 新たな幕府にとって政権の所在地をどこにするのかは、極めて重要なテーマだったからです。 そして、…
乾いた静かな夜空に、炎がゆらめく五山送り火は、夏の京都の風物詩。 大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居形と次々に浮かび上がり、儚く消えていきます。 毎年8月16日に、お盆に帰ってきた先祖の霊を壮大な送り火で見送るこの風習は、洛中に脈々と伝承さ…
ユートピア 文明14(1482)年、応仁の乱が終わり、世の中が少し落ち着きはじめると、前将軍・足利義政は、頓挫していた山荘邸宅の造営に再び執りかかりました。 すなわち、現在「銀閣寺」と呼ばれている寺のことですが、もともとは、義政の終の棲家と…
西園寺家をよろしく頼むべし 西園寺公経(さいおんじ きんつね)を事実上のルーツとする京都・西園寺家と、鎌倉・北条家のつながりは密接でした。 承久3(1221)年、武家政権から実権を取り返すために後鳥羽上皇が挙兵した承久の乱。 太政大臣の西園寺…
舟を浮かべて盛大な宴 金閣といえば派手で強烈な光を放っているイメージがありますが、実際に境内へ足を踏み入れて眺めてみると、優しく気品ある光に包まれています。 また、季節や天候によって様々な美しい姿を魅せてくれるのですが、晴れた日よりも少し曇…
義政の治世の結果は焦土だった 室町幕府八代将軍・足利義政は、弟の義視をあと継ぎに定めておくことで、機会がくれば自分はもういつでも隠棲できるようにと、密かに準備を進めていました。 将軍職というものにつくづく嫌気がさしていたので、義視が住職をし…