神護寺    紅葉の名所  高尾に残る威容を誇る寺

f:id:kouhei-s:20181125212536j:plain

荒ぶる魂で寺を再興させた怪僧

その荒れ放題の寺からは、何から何まで寺宝はすべて持ち去られていました。
ただひとつ残った薬師如来立像も雨ざらし野ざらしの状態です。堂宇の破れた屋根のすきまから月光が、この如来像の横顔にふりそそいでいました。

空海の時代に隆盛を誇っていた神護寺は、およそ300年後の平安時代末期には全山が破壊状態になっていました。
そんな神護寺に一人の僧がやってきました。男の名は文覚(もんがく)。那智で千日間、滝に打たれ続けるなど、難行苦行を繰り返す特異な気性と気迫を持つ傑僧と呼ばれていました。

神護寺の荒廃をいたく悲しんだ文覚は、真言宗の発祥の寺というべき場所を復興させることを強く決意します。
そして寄付を集めて、薬師堂や不動堂を再建しますが、それ以上は思うように進まず、ついに後白河法皇の所に押しかけ、屋敷の外から大声で勧進帳を読み上げ寄進を迫ります。

後白河法皇は管弦の遊びの最中で、文覚の大声量にリズムを狂わされ大激怒します。
法皇は「何者だ、首を突き刺せ」と命じます。文覚は左手に勧進帳を、右手に刀を持って、大暴れしますが、大勢の家来に取り押さえられます。そして命だけは助かりましたが、伊豆国に流されます。

そこで平家によって伊豆に流されていた源頼朝に出会います。
この頼朝との出会いが文覚と神護寺の運命を大きく変えていったのです。頼朝の挙兵が成功し平氏が衰退に向かうと、後白河法皇は手のひらを返したように頼朝に慕われている文覚に対して好意を示し、多くの荘園を与えます。また頼朝からの寄進もあり、神護寺は再興し、寺の財政は安定しました。
素晴らしい紅葉の世界を私たちに魅せてくれる神護寺は、京都の高尾の地で威容を誇る姿で残っています。そして、その最大の功労者は文覚上人なのです。

千二百年の時を刻む国宝 薬師如来立像

神護寺の本尊は金堂に安置されている、国宝の薬師如来立像です。
ヒノキの一木造り(いちぼくづくり)で独特の迫力があります。
腐敗しつつあった旧来の豪華な奈良仏教に背を向けて、山岳にこもって修行するようになった次世代の僧たちが京都にいました。その僧たちは、仏像に意思的で頼もしい肉体を持った姿を求めはじめます。この像は、その流れを取り込んだ平安時代初期の彫刻の先がけだといわれています。