名所・史跡
歓喜に沸く豊国大明神臨時祭 慶長3(1598)年、豊臣秀吉は伏見城で他界し、方広寺大仏殿の背後にそびえる阿弥陀ヶ峰に理葬されています。 翌慶長4年には、「豊国大明神」という神号を朝廷から与えられ、正式に神格として祀られました。 これが「豊国神…
東海道中膝栗毛の舞台となった華やかな一面とはうらはらに、数々の悲話が三条大橋には伝わります。 豊臣秀次の妻・側室侍女やその幼児たちが秀吉によって首うちにされたり、橋のすぐ近くの池田屋に潜伏していた尊王攘夷派志士が新撰組に襲撃されたりした、や…
納涼床のはじまり 鴨川が良く見える位置に座席が設置されて、懐石や割烹・京料理を楽しむ、夏の風物詩である納涼床の季節がやってきました。 夕暮れ時に一杯やりながら目に映る、マジックアワーに包まれた鴨川の風景は格別です。納涼床が年中行事化となった…
かよい慣れた道を、いつもよりゆっくりと歩く夕暮れの錦通り。新型コロナのはやりで本当に人がいないので、なんだか違う景色に見えます。 ここは、普段ならインバウンドの人々で溢れる、京都市中心部のグルメロード錦市場。いまは人影もまばらです。 その為…
路地裏をせくように歩く舞妓さん 紅殻格子(べんがらごうし)のお茶屋が立ち並ぶ、京都を代表する花街。軒下の提灯に明かりが灯りはじめる夕方になると、舞子さんが通りの角から少しせくように現れます。 そんな情緒を感じられる花見小路あたりが祇園(ぎお…
城下町に集う酒蔵 豊臣秀吉が築城した伏見城によって、伏見地区は天下の巨大な城下町になりました。 この活気が、伏見の銘酒とよばれる甘口のお酒の需要を、一気に増大させます。 人々の賑わいと共に、この地は名水が湧き出る場所であり、多くの酒蔵が集まり…
道幅3メートルほどの両側に、京野菜や川魚・湯葉・漬け物など、京都ならではの食品を扱う店が並ぶ「京の台所」と呼ばれる錦市場。 いまでは小売りだけではなく、店舗の一部を改装するなどして、自前の食材がその場で食べられるお店が増えてきています。買い…
東本願寺の飛地境内地にある仏寺庭園 平安時代初期、9世紀の終わり頃でしょうか、嵯峨天皇の皇子であり左大臣でもあった源融が建造した六条河原院という静かな別荘地がありました。 渉成園はその苑池の遺跡と伝えられていて、承応2(1653)年、本願寺…
利休が造った茶室 主君・織田信長の仇うちのために、明智光秀を合戦で滅ぼした豊臣秀吉は乱世を制して天下布武を実現しました。 その舞台となる天王山を抱くここ山崎の地に、古刹・妙喜庵(みょうきあん)はたたずんでいます。 この山崎の合戦後、秀吉は1年…
王朝趣味の本質に合致した景観 鎌倉時代、後嵯峨上皇が仙洞亀山御所を造営するときに、吉野の山桜の苗木を大量に移植します。 この桜が満開になったとき、一陣のつむじ風が吹き、花びらが嵐のように飛び散りました。 それを見た上皇は、御所のあるこの山を「…
鴨川の西を流れる高瀬川には、桜並木や風にゆれる柳がよく似合います。高瀬川が流れる木屋町通りの三条から四条までの間は京都有数の歓楽街です。 ネオンサインが灯るBarから窓を開けると、下には高瀬川が流れていて、夜風が頬に少し冷たくいい気分です。 喧…
芭蕉が記録した嵯峨野や嵐山 嵯峨野の里にある茅葺の小さな庵。落柿舎は、松尾芭蕉の古くからの高弟である向井去来(きょらい)の別荘でした。 紀行文『奥のほそ道』で有名な江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉は、1689年にはじめて落柿舎を訪れますが、その2…
京都を復興させるための壮大な事業計画 明治維新により都が東京に遷り、京都の中心部は人口が激減しました。 京都市民は精神面と経済面で動揺します。明治18年、京都の街を復興させるべく計画されたのが琵琶湖疏水運河の開通だったのです。 東山連峰をトン…
宇治橋・三の間 宇治橋には、三の間とよばれる上流に向かって少しせり出した空間があります。 橋の西詰から三つ目の柱の間にあることから三の間です。 足下には宇治川が流れこんできて、上流に目をやると槙尾山と朝日山にはさまれた狭い川幅から激流がほとば…
天下三不如意 平家物語の巻一に天下三不如意という逸話があります。絶大な権力を持った白河法皇が、「かも川の水、双六の賽(サイコロの目)、山法師(延暦寺の僧)、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたというのです。 それくらい鴨川の水は何度も氾濫し、…