こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

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真如堂  優しい表情を見せる阿弥陀さま 東三条院の離宮

神がかり的な美しい景観

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銀閣寺と南禅寺を結ぶ「哲学の道」。その近くに、神楽岡(かぐらおか)という静寂に包まれた場所があります。

この一帯は桜や紅葉の季節になると、まさに神がかり的な、美しき景観の世界へと変貌を遂げます。

いにしえより、その神楽岡に佇む真如堂。正式名は鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざんしんしょうごくらくじ)といいます。

鈴聲山という山号は、ここに天照大神を初めとする多くの神々を祀ったときに、神々が鳴らす鈴の音が聞こえてきたという伝承によるものです。

 

道長の栄華を陰でささえた姉

注目すべきは、この神秘的な場所である神楽岡は、平安時代に一条天皇の母である東三条院の離宮であったことです。

この女院の夢に、阿弥陀さまが老僧の姿であらわれて、「私は特に女性を救いたいと思うので、あなたの離宮に留まりたい。」というお告げがありました。

その阿弥陀さまは、天台の僧である戒算上人が比叡山から引き取ってきて、洛中にある地蔵堂に祀ったという阿弥陀仏でした。

そして、女院の希望通りに、この阿弥陀仏をご本尊として、真如堂はこの地に建立されたのです。

東三条院というのは、藤原兼家の娘である詮子(せんし)のことなのですが、あの藤原道長の姉であり、道長の栄華を陰でささえた女性です。

詮子は、円融天皇の女御となり壊仁親王(後の一条天皇)を生みました。

そして一条天皇の即位により、皇太后となり絶対的権力をもって政治に参加します。

詮子が女御から皇太后に昇ったのも新例ですが、女院の称号も、彼女から始まることになるのです。

女性のあつい信仰

真如堂の建立にあたり、詮子の存在は大きく一条天皇の勅願時となり、その後も長く天台浄土念仏道場として栄えます。

法然や親鸞をはじめ、多くの僧が参拝し、庶民、とくに女性のあつい信仰を受けました。

真如堂の阿弥陀さまは、これ以上優しいお姿をした仏さまは二つとあるまいといわれるほど慈悲に溢れています。

おそらく、柔らかい性格で優しい表情を見せている詮子のもとへ、阿弥陀さまは女性救済を願っておりてこられたのでしょう。