宋から持ち帰られた多数の文化財
泉涌寺は大門をくぐると、まるで、坂の上から伽藍(がらん)を見下ろすような配置になっています。
ゆるやかな下り斜面の向こうに、黒光りした本瓦の屋根を持つずっしりとした仏殿が目に映るのです。
緑に囲まれた広く白い窪地の庭に、建物が沈んだように見える不思議な景観であり、訪れる人たちは、まずこの景観に魅了されます。
まさに、京都でも他には見ることのできない珍しい伽配置藍になっているんですね。
泉涌寺が建立されたのは、鎌倉時代1226年、俊芿(しゅんじょう)を開山としました。このとき、宋からの影響を強く受けた大伽藍が築かれたのです。
時代背景として、宋風の彫刻、絵画、建築が次々に文化輸入されている時節でもあったので、異国的な雰囲気が強調され創建されることとなったのがこの寺院の特色なんです。
開祖である俊芿は宋へ渡って12年間勉学し、帰国したあとに泉涌寺を建立しました。
その時に、宋から経典や仏画、書、儒学関係の資料など多数の文化財をこの国に伝えているのです。
そして、あとを継いだ二世の湛海も宋に渡り、宋の白蓮寺から仏牙舎利を持ち帰ることを許されました。
彼は仏牙舎利とともに、楊貴妃観音、舎利殿の韋駄天などの彫刻も持ち帰っているのですが、それに感化されたように、仏殿の本尊釈迦、脇侍の弥陀、弥勒も、まさに宋風の影響をうけた日本の鎌倉彫刻として仕上げられているのです。
皇室寺院としての権威を飾る建物
泉涌寺は、皇室の菩提寺という意味から「御寺」(みてら)と呼ばれています。泉涌寺の霊明殿には歴代の天皇・皇后の位牌がまつられているからです。
また、この霊明殿の皇族参拝のときの休憩所「御座所」は明治の再建で、明治天皇から京都御所内の御里御殿を下賜されました。
本坊書院の東にある海会堂は、京都御所内の歴代の御念持仏をまつった、黒戸の御所を移したものです。
さらに、仏殿、舎利殿は1668年に徳川家綱によって再建されましが、これは宮中の建物を移して、重層瓦葺きにしたものだといわれています。
このように、この御寺は皇室寺院としての権威を飾る建物に満ちあふれているんですね。