
1964年、沢田研二(ジュリー)は、京都・四条河原町のダンス喫茶「田園」で歌い始めたことで音楽活動を本格化し、ここでザ・タイガース結成前の仲間と出会っています。
ジュリーが「田園」のステージに登場する午後6時頃になると、入場できずに、河原町通りまで人があふれる現象が起こったといいます。
彼がステージに立つ日、京都の繁華街には、若い女性が誰も歩いていなかったと、私の祖母が言っていました。
その美貌と歌声を京都の街で知らない女性はいないほどの人気だったんですね。
岸部一徳(サリー)ら京都出身のバンド(ファニーズ)メンバーが田園のステージ上で沢田に声をかけ、隣の喫茶店に誘い出し、ぜひよろしくと、加入を強く勧めます。
田園での誘いの後、沢田は1966年にファニーズ加入。その後、大阪で活動して人気を高め、内田裕也のスカウトで上京し、1967年にザ・タイガースとしてデビューしたのです。
ザ・タイガースと京都のつながりは強く、メンバーは全員京都出身です。京都でバンド活動を始め、関西のコンテストで優勝するなど経験を積んでいきました。
解散後、メンバーの瞳みのる(ピー)は京都に戻り芸能界を引退。
沢田自身も京都・比叡山延暦寺で結婚式を挙げるなど京都への思いは強いようです。
また、現在も俳優として活躍する岸部は、「一緒に京都へ帰ろう」との会話を題材に曲を作るなど、京都への思いを歌に残しています。
田園でバンド仲間に出会ったことがジュリーの音楽キャリア開始には重要でした。
ザ・タイガースと京都は活動初期の拠点でありメンバーの出身地である点で深い関係があるといえるのです。
1971年、シングル「君をのせて」でソロデビュー、1977年に発売された「勝手にしやがれ」は、オリコン週間チャート1位を獲得します。
この曲で、第19回日本レコード大賞を受賞した彼は、その後ヒット曲を連発させ、その人気を確固たるものとしたんですね。
1979年に発売された26枚目のシングル「カサブランカ・ダンディ」は、井上堯之バンドと共に作り上げられた曲のなかでも、「沢田研二、至高の一曲」と言われるほどの完成度となったのです。