こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

京都観光案内 それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

関係詞  おしゃべりな英語 もどかしそうな日本語

英文法にはあるけれど、国文法では取り扱われないのが「関係詞」で、日本語の品詞に「関係詞」は存在しません。

「関係詞」というのは、関係節で修飾される内容を、前で受ける役割を持つ英単語のことです。

「when」とか「where」といった単語のことで、先に提示され、そのあとに続いて詳しく述べられるコトガラ内容が関係節になります。

Ⓐ Let's go to the living room where it's cool.

 (居間へ行こう/そこは涼しい)


Ⓑ Do you remember the day when we first met ?

 (あの日のことを覚えているかい/その日に僕たちは初めて会った)


いずれも、関係詞のあとに「そこは涼しい」「その日に僕たちは初めて会った」という修飾語が続いているのが読み取れます。

そう、英文の場合、関係詞をひとつの「しるし」として先に提示することで、関係詞が出てきたらその後に詳しく説明されているんですよ、と読み手にサインを送れるように構成されているんですね。

このように、英語表現の基本パターンでは、重要な情報を前のほうから出していき、関連する詳細情報をその後に追加していく「情報追加型」の構造になっているんです。

だから英文の場合、関係詞があることで長文でもスラスラと理解しやすくなっているんですね。

極論を言えば、どこまでも文を自然に繋げていくことが出来るということです。

日本語に関係詞はありませんが、その代わりの役割を果たすのが連体修飾節になります。

Ⓑの例文を連体修飾節を使った訳にしてみると、

(僕たちが初めて会った日を覚えているかい)という、すごくシンプルな文に収めることが出来るんですね。

ただし、英文とは反対に、連体修飾節が先に出されて、修飾される主名詞の「日」が後にくることになるんです。つまり、文を最後まで読み切って、初めて意味を取ることができる。

だから、次の例文のように、連体修飾は長ければ長くなるほど意味が取りにくくなってしまうんです。

Ⓒ京香を尾行して兄妹の屋敷にやって来た彼氏の勘助(橋本淳)を出迎える京香の声がミカであり、京香を呼ぶ勘助の声が勘助を取り込んだミカという演出はその好例だ。 (ヤフーニュース)

京香を尾行して兄妹の屋敷にやって来た彼氏の勘助(橋本淳)を出迎える京香

京香を呼ぶ勘助の声が勘助を取り込んだミカという演出

と、ふたつの長い連体修飾節が、さらにひとつの文にされているという文構成になっています。もはや何を言っているのか捉えることができませんでした。

ドラマを視聴した人は、文意をサッと取ることができたようです。書き手と読み手がドラマ内容を互いに知っていれば通じるのが、また日本語の特徴なのだとも言えます。

ですが、やはり、連体修飾は適度な長さに収めたいものです。そうすれば、文は滞ることなくスラスラと流れていきます。

Ⓓ彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたであるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったである。

今はもはや、彼にとっては永遠の棲家である岩屋は、出入り口のところがそんなに狭かった。 (山椒魚)

「彼は~出てみようとした」という連体修飾節のなかに、「彼の棲家である岩屋」という短い連体修飾節が埋め込まれています。

そして、そのまま文を切らずに「あるが、」とつなぎ、さらに「頭が~ことが~出来なかった」という連体修飾節へとまとめ上げられているんです。

この連体修飾節の繰り返しが心地よいリズム感を生み出し、読み手のスムーズな読み取り行為を推進させるんですね。

例文Ⓒのように読み取りにくい長い連体修飾節を書くぐらいなら、いっそ例文ⒶⒷの翻訳のようにふたつの文に分けてしまえばいいのです。たとえば、

Ⓔ今から20年前のこと、シューメーカー・レヴィ彗星が木星の巨大な重力でバラバラに分解しながら次々に木星に衝突するという事件が起こりました。

という、主名詞「事件」にかかる長い連体修飾節のため読みにくい文をふたつに分けてみます。

Ⓕ今から20年前、衝撃的な天体衝突の光景を人類は目にしました。

Ⓖシューメーカー・レヴィ彗星が木星の巨大な重力で分解しながら次々に木星に衝突したのです。

Ⓕの文では、情報の中身を見せずに外がわの箱だけを焦点化させて、次のⒼの文でその中身を開示して、なるほど、と思わせる手法が使われています。

そう、まさに「問い」と「答え」で構成された「呼吸」で示されているんですね。

このⒻ→Ⓖという文脈に沿った連接展開の「呼吸」で展開されているかどうかで、文章の良し悪しというのは決まってくるのではないでしょうか。

そう思うと、関係詞に見られるように英語の語順というのは非常に理に適っていると感じるんですね。

最初に焦点となる核心を相手に伝えて、その後に補足として次々に説明を重ねていく。説得力が加速されていくという言語、おしゃべりになっていく言語といいますか。

テレビのインタビューの放送なんかを見てると、英語圏の人は物凄く流暢に、まくしたてて答えています。

「そうね、私はこう思うの。なぜなら・・・」「俺はそう信じてる。やっぱり人は・・・」と続きに続いていき、なかなか話が終わりません。

ところが、日本の人たちの答えのほとんどは、「えっ、はぁ、いやあの・・・うれしいです」と、半笑いで答える感じなんです(笑)

でも、やはり、最後の述語はハッキリと答えるんですね。