天球院  孤高の天才画家 狩野山雪

妙心寺の塔頭のひとつである天球院は、寛永8(1631)年に建てられました。天球院という名は、姫路城主の戦国武将・池田輝政の妹の天球院という院号から名付けられています。この女性は因幡若狭城主に嫁ぎましたが、離縁し池田家に戻ります。彼女には子…

祇園  「いちげんはん」大歓迎 べっぴんの街

紅殻格子(べんがらごうし)のお茶屋が立ち並ぶ、京都を代表する花街。軒下の提灯に明かりが灯りはじめる夕方になると、舞子さんが通りの角から、少しせくように現れます。そんな情緒を感じられる花見小路あたりが、祇園(ぎおん)という街のイメージではな…

伏見  豊かな水源と酒蔵の街 

豊臣秀吉が築城した伏見城によって、伏見地区は天下の巨大な城下町になりました。この活気が、伏見の銘酒とよばれる甘口のお酒の需要を、一気に増大させます。人々の賑わいと共に、この地は名水が湧き出る場所であり、多くの酒蔵が集まりました。 東山南部の…

錦市場  至高の食材に出会える 京の台所

道幅3メートルほどの両側に、京野菜や川魚・湯葉・漬け物など、京都ならではの食品を扱う店が並ぶ「京の台所」と呼ばれる錦市場。現在では、小売りだけではなく、店舗の一部を改装して自前の食材がその場で食べられるお店が増えてきています。買い物だけで…

天授庵  細川幽斎 古今伝授の戦国武将が再建させた名刹

京都三大門のひとつ南禅寺の巨大な三門のすぐ傍に、杮葺きの本堂がただずむ天授庵。池の縁を深紅の紅葉が包み込む池泉回遊式庭園と、本堂の前庭に広がる枯山水庭園のふたつの趣を感じることの出来る景観は、訪れる人々を魅了してやみません。 南禅寺の塔頭の…

曼殊院  寛永文化の結晶 京都の歴史を立体的に理解する方法

今では、すっかり紅葉の名所となった洛北の曼殊院ですが、15年ほど前までは、訪れる人もそんなに多くありませんでした。樹々に縁どられた緩い坂道をまっすぐに上がっていくと、勅使門と淡青色の漆喰塀が見えてきます。 この門前は、もうそろそろ燃えるよう…

渉成園  街中にただずむ 王朝文化ただよう庭園

平安時代初期、9世紀の終わり頃でしょうか、嵯峨天皇の皇子であり左大臣でもあった源融が建造した六条河原院という静かな別荘地がありました。渉成園は、その苑池の遺跡と伝えられていて、承応2(1653)年に、本願寺第13代・宣如上人に依頼された石…

観智院  客殿に描かれた武蔵の水墨画 翼あるもの

東寺の子院を代表する存在で、教学研究で優秀な学僧を多く輩出した観智院は、延文4(1359)年に後宇多天皇の遺志によって創建されました。その後、徳川家康によって真言一宗の勧学院と定められます。 慶長10(1605)年に北政所(ねね)の寄進によ…

寂光院  大原の里と建礼門院 貴女の笑顔が見たいから

聖徳太子が、父・用明天皇の菩提を弔うために、自ら造った地蔵菩薩像を安置して開創したと伝わる寂光院は、洛中から十数キロ離れた、緑深い大原の里にたたずんでいます。大原には太子が創った寺院が数多く有り、実光院の地蔵菩薩や、通称蛇寺の阿弥陀如来も…

宝厳院  漱石が心癒された獅子吼の庭 「京に着ける夕」

朱色に燃える楓に包まれた獅子吼の庭。寛正2(1461)年に創建された宝厳院は、嵐山・天龍寺の塔頭寺院です。江戸時代に京都の名所名園を収録した「都林泉名勝図会」にも紹介されている(獅子吼の庭)は、嵐山の借景を取り入れた、京都でも有数の紅葉の…

大徳寺  たやすくひるまない臨済禅の拠点

臨済宗大徳寺派の大本山である名刹・大徳寺は、戦国武将たちが創建した数多くの塔頭を持ちます。花園上皇や後醍醐天皇の手厚い援助を受けていた大徳寺は、反体制側の足利将軍家が天下をとる時代になると、理不尽な扱いを受けるようになりました。「官の寺」…

野宮神社  竹林にかこまれた 源氏物語の宮

天武天皇の時代いらい、華やかな宮廷に生まれ育った内親王・女王の中から、伊勢神宮に仕える聖女として、斎宮はえらばれました。国家の祭祀を担当する重責を負いながら、年若く、身清くして単身で伊勢におもむきます。斎宮は、天皇の御手代(代理)として神…

永観堂 みかえり阿弥陀 人はみな弱虫を背負っている

1000年前から、山寺特有の雄大な紅葉が名高い永観堂は、正しくは禅林寺という浄土宗西山禅林寺派の総本山です。寺域の楓は3千本を超えていて、季節になると境内が真紅の色で染めつくされます。そして、東山の山腹にそびえる永観堂の特徴として、山の側…

退蔵院  元信の庭  天才絵師の家系

退蔵院は、妙心寺の塔頭(本寺の境内にある小寺)で、創建1404年という古い歴史を持ちます。花園上皇が創った本寺の妙心寺は足利義満に圧迫されて、寺名を竜雲寺と変えられていたほど苦境にありました。 ですが、第三世の宗因禅師(そういんぜんし)の高徳…

妙喜庵待庵  利休の最高傑作 草庵茶室

主君・織田信長の仇うちのために、明智光秀を合戦で滅ぼした豊臣秀吉は、乱世を制して天下布武を実現しました。その舞台となる天王山を抱くここ山崎の地に、古刹・妙喜庵(みょうきあん)はたたずんでいます。 この山崎の合戦後、秀吉は1年ほど山崎に滞在し…

貴船神社  和泉式部も訪れた 蛍が飛ぶ川のほとり

京都北方の貴船川の右岸に建つ貴船神社は、1300年前の建て替えの記録が残っているという古い歴史を持ちます。そして貴船の神は、賀茂川をさかのぼってこの場所にやってきたという伝承があるんですね。 今は貴船と書きますが、神が乗ってきた「黄色い船」…

毘沙門堂    円山応挙の遊鯉と山もみじの名刹

天台宗五門跡という高い寺格を持つ毘沙門堂は、京都駅から一駅、山科駅北側の山あいにたたずむ風情のある山寺です。秋になるとこの辺り一帯が紅葉し、洛中とはまた違った雄大な風景が見られます。 そして、毘沙門堂では円山応挙の杉板絵の衝立(ついたて)を…

清凉寺  嵯峨釈迦堂  もしも想夫恋が聴けるなら

寛平6(894)年に遣唐使が停止されてから約1世紀後、東大寺の僧である奝然(ちょうねん)が、密教を研究するために中国(宋)主要部へ向かいます。それは、古代日本人の最大の旅行記といわれ、その期間は約20ヶ月におよびました。 有名なインド伝来の…

嵐山  Captain of the Ship  お前が舵を取れ

鎌倉時代、後嵯峨上皇が仙洞亀山御所を造営するときに、吉野の山桜の苗木を大量に移植します。この桜が満開になったとき、一陣のつむじ風が吹き、花びらが嵐のように飛び散りました。それを見た上皇は、御所のあるこの山を「嵐山」と命名します。以降、王朝…

高瀬川    水面に映る夕暮れの街並み

鴨川の西を流れる高瀬川には、桜並木や風にゆれる柳がよく似合います。高瀬川は木屋町通にそって流れていますが、三条から四条までの木屋町は京都有数の歓楽街です。ネオンサインが灯るBarから、ほろ酔いで窓を開けると高瀬川が流れていて、夜風が頬に少し冷…

方広寺    ほんの一瞬だけ輝いた 黄金の大仏

慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は日本の支配権を手に入れます。秀頼の代になっていた豊臣家は、わずか60万石の大坂の一大名に転落しました。用心深い家康は関ヶ原に勝利しても安心出来ず、しおれた花に足を踏んづけるように、無理…

六波羅蜜寺  市の聖  そんなあなたになりたくて

平安時代の半ば、京の町に流行していた疫病に立ち向かう一人の聖(ひじり)がいました。その人は、空也(くうや)。自ら刻んだ十一面観音像を車に乗せ洛中を引き回し、念仏を唱えて病魔を鎮めます。 この時、野生の茶を霊水で煎じて、小梅干しと結び昆布を入…

落柿舎    松尾芭蕉が訪れた嵯峨野の里

落柿舎は、嵯峨野の里にある茅葺の小さな庵(いおり)です。松尾芭蕉の古くからの高弟である向井去来(きょらい)の別荘でした。 紀行文『奥のほそ道』で有名な江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉は、1689年にはじめて落柿舎を訪れますが、その2年後再び訪れた…

南の風は俺にどういうの

はてなブログ 今週のお題 【海】 海と言えば、やはり渚でいい音楽が聴きたいと思います。それも、やっぱり邦楽、できれば80年代から90年代がいいですね。王道は桑田佳祐の曲だけど、矢沢永吉、稲垣潤一、鈴木雅之なんかも雰囲気があります。 京都市生ま…

高桐院  スピルバーグが絶賛した竹林に囲まれた名刹

高桐院は、竹林に囲まれた、大徳寺の塔頭寺院です。苔の庭の中に、書院に続く歩いて1分ほどの小径があります。これが、スピルバーグが立ち止まり感激し絶賛したといわれる、有名な高桐院のアプローチです。 そして、静寂に包まれた本堂の前庭は、敷き詰めら…

光悦寺    洛北 鷹ヶ峰に築かれた芸術の里

光悦寺は、左大文字山の北に位置する鷹ヶ峰にあります。光悦とは本阿弥光悦のことですが、彼は、茶道、書、陶芸、彫刻、漆絵とオールラウンドに才能を発揮する文化人でした。1615年、徳川家康から、この鷹ヶ峰の地を与えられ、芸術家や工芸職人を集めて…

インクライン 明りを灯す人  京都をささえる琵琶湖疏水

明治維新により都が東京に遷り、京都の中心部は人口が激減しました。京都市民は、精神面と経済面で動揺します。明治18年、京都の街を復興させるべく計画されたのが、琵琶湖疏水運河の開通です。 東山連峰をトンネルで貫いて、琵琶湖から京都市まで水を引く…

地蔵院    竹の寺 隠れた名刹 ここだけの話

「竹の寺」とよばれる地蔵院は、京都市の文化財環境保全地区に指定されている、臨済禅宗寺院です。1367年に室町幕府、管領の細川頼之が創建し、細川家の庇護のもと北朝系の天皇の勅願時にもなり、17万平方メートル(甲子園球場が4つ入る広さ)の境内…

万福寺  布の大きい袋に理屈も知識もしまい 笑う布袋さん

日本のなかの中国といわれている、宇治にある万福寺。禅宗は臨済宗、曹洞宗、黄檗宗(おうばくしゅう)と三宗ありますが、万福寺は黄檗宗の大本山です。宗祖は、中国の明末の禅僧だった隠元隆琦(りゅうき)で、1661年に開かれました。 明の様式をそのま…

広隆寺  微笑み弥勒 泣き弥勒 ふたつの半跏思惟像  

広隆寺の歴史は推古天皇の時代、603年に秦河勝(はたかわかつ)が聖徳太子から、一体の仏像を賜り、それを本尊として寺を建立したことから始まります。広隆寺のある太秦(うずまさ)という地域は、有力氏族である秦氏が支配していました。 京都フリー写真…