元禄の京に光琳あり  尾形家 不肖の3兄弟

雁金屋の3兄弟 徳川家の娘に生まれ皇室に入内した東福門院和子。 朝廷と幕府の平和の架け橋となったその偉大な皇后は、延宝6(1678)年、帰らぬ人となりました。 彼女に最もひいきにされていた幕府御用達・老舗呉服商の雁金屋(かりがねや)の商運は、…

仁和寺  仁清と乾山 宮廷文化が生んだ きれいさび 京焼

御池と御室 代々天皇の皇子および皇孫が門跡という住職を務められた世界文化遺産・仁和寺。 神泉苑のある場所が御池と呼ばれるように、この古刹がある地域も御室と呼ばれてきたのです。 寺であると同時に宮殿であるという性格を持つこの門跡は、全国の寺社を…

東福門院和子  京都を再興させた 東から来た宮廷の人

京都市民が待ちこがれたその人 元和6(1620)年6月、二代将軍秀忠の娘・徳川和子の入内を一目でも見たいと、京都・洛中の街路には群衆があふれていました。 至美至高の行粧をこらしたその新しい女御入内は盛大に営まれたのです。 この時期の朝廷と幕府…

大坂城が落城した そのあとの京都の話 反骨の突っ張りたち

あっさりと翻った豊臣恩顧たち 元和元(1615)年5月7日、難攻不落と称された大坂城は、徳川軍から止めを刺される猛攻撃を受け、ついに落城しました。 翌8日、秀忠の娘・千姫の助命嘆願も受け入れられず、豊臣秀頼、淀殿ともに自害し帰らぬ人となった…

激動の時代と豊臣秀頼の寺社復興 そんなあなたのおかげです

激動の50年 永禄11(1568)年に織田信長が入京してから、元和元(1615)年の豊臣家滅亡までの僅か50年に満たない日月。 この短いながらも激動の時代は、近世封建制度の成立と、京都の新たな都市計画の始まりでした。 中世の終わりから仏教は、…

近世の覇者と仏法 織田信長包囲網 暗闇の中のひとすじの光 

京都に出現した近世的覇者 王城を抱く京都が堅持した古くからくる伝統や、そこに住む人々の生活から育った風習。 新しい街の支配者である織田信長は、これらを一切認めませんでした。 永禄11(1568)年、中世末のカオスの世界から生まれた近世的覇者は…

もうひとつの二条城  織田信長の入京 あの鐘を鳴らすのはあなた 

信長が築造した二条城 二条城といえば、徳川家康によって築造された現在も遺る「京之城」をいいますが、それよりずっと前に、京都にはもうひとつの「二条城」がありました。 それは、足利幕府最後の将軍・足利義昭のために織田信長が築造したかなり大規模な…

三十三間堂  千手観音像に守られた奇跡のお寺

750年前から守られてきたお堂 蓮華王院・三十三間堂は、長さ125mの仏殿の中に1001体の千手観音像が整然と並ぶ、国宝の宗教建築です。 住んでいた法住寺殿の中に、後白河院が平清盛の力を借りて、長寛2(1164)年に建立しました。 観音の力で…

平等院  鳳凰堂  龍神に守られた平安時代の象徴

建物から飛び出している尾廊 朝日山から朝日が昇ると、光りが池の水面に当たり、その光は反射してお堂の中に入ります。 さざなみのようにキラキラ揺れる光を受けた仏像は、まるで胸のあたりで呼吸しているかのようです。 まばゆい自然の光によって、阿弥陀如…

豊国神社 京都東山七条  平和への歓喜に沸く風流踊り

歓喜に沸く豊国大明神臨時祭 慶長3(1598)年、豊臣秀吉は伏見城で他界し、方広寺大仏殿の背後にそびえる阿弥陀ヶ峰に理葬されています。 翌慶長4年には、「豊国大明神」という神号を朝廷から与えられ、正式に神格として祀られました。 これが「豊国神…

建仁寺 所蔵  俵屋宗達 風神雷神図屏風 魔法使いと呼ばれた天才絵師

鎌倉幕府の第2代将軍・源頼家の寄進によって栄西が建立した建仁寺は、武家の強力なバックアップを受けて、14世紀には京五山第三位の臨済宗名刹となりました。 現在では、祇園・花街のすぐそばで地元の人々に親しまれている、禅寺にしては珍しく格式ばらな…

養源院  お江の思いが託された 俵屋宗達の杉戸絵

豊臣家により創建され徳川家によって再建された寺 文禄3(1594)年に豊臣秀吉の側室・淀の願いによって、彼女の父である浅井長政と祖父・久政の追悼の寺として養源院は建てられました。 戦国期の北近江の大名であった浅井長政は、妻・お市の兄にあたる…

南禅寺・方丈 なにがなんでも再興させる 崇伝の奔走 東へ西へ

消えた京都の古き由緒ある寺院 草庵から出発した小さな寺院が伽藍寺院に発展すると、いちばん必要とされるのが建築費用でした。 大規模になればなるほど、宗派を問わず、お布施の集積だけではまかないきれなくなります。 最初の出費の大部分を援助してくれる…

金地院   禅宗最高峰の住持 以心崇伝 

悪国師の名を受けて 徳川家康には極めて優秀で才覚に長けた、徳川幕府三百年の治世の基盤を築き上げたブレーンが二人いました。一人は、民衆に絶大な人気のあった天台宗の傑僧・南光坊天海。 そしてもう一人は「悪国師」と呼ばれ、人々を苦しませる悪役であ…

ほんとうのおススメ  閑古鳥よ鳴かないで

京都三大観光地 新型コロナの影響で、京都の観光地も本当に人が少なくなりました。 国内からおこしになられる方たちだけでは、この10年くらい続いた混み具合には、たぶん、もうならないでしょう。 インバウンドの人々が訪れることのないこの期間は、いつま…

金閣寺  義満の黄金趣味の極み 水面に映る 曇りの日

舟を浮かべて盛大な宴 金閣といえば派手で強烈な光を放っているイメージがありますが、実際に境内へ足を踏み入れて眺めてみると、優しく気品ある光に包まれています。 手前の鏡湖池に写しだされたゆらゆら揺れる姿は、何か夢の世界を訪れたような幻想を抱か…

清水寺  王城の守護神 田村麻呂 明日を開く鍵 信じる言葉はあるか

征夷大将軍・坂上田村麻呂 清水寺が国から公認されたのは、805年のことです。できたばかりの平安京では、寺院の新設・奈良からの移転は禁じられていましたので、国家公認の東寺・西寺以外の寺院はありませんでした。 清水寺だけが例外的に、特別に認めら…

二条城 なんで都にお城が建ってんのやろ  離宮と呼ばれて

なぜ元離宮と呼ばれるのか 明治元(1868)年2月3日、二条城に明治天皇が行幸されて、城内・白書院で徳川幕府討伐の詔(みことのり)を発せられました。 薩長を中心とした討幕軍は江戸に進発します。そう、遡ること260年前に、徳川家康が京での幕府…

三条大橋 『知らん顔』した街並み 擬宝珠に遺された悲しき傷痕

東海道中膝栗毛の舞台となった華やかな一面とはうらはらに、数々の悲話が三条大橋には伝わります。 豊臣秀次の妻・側室侍女やその幼児たちが秀吉によって首うちにされたり、橋のすぐ近くの池田屋に潜伏していた尊王攘夷派志士が新撰組に襲撃されたりした、や…

東福寺  明兆・大涅槃図  ホンモノは全然違うのです

臨済宗を中心とした禅宗は、宋・元の美術や喫茶などの最新の中国文化と共に、鎌倉時代から南北朝時代にかけて日本へ伝わりました。 そこから江戸時代までの禅院で花開いた禅宗美術は、いまも名刹の特別公開などで展示され、訪れる人々を魅了してやみません。…

納涼床  マジックアワーと鴨川の夏 麒麟の夏

納涼床のはじまり 鴨川が良く見える位置に座席が設置されて、懐石や割烹・京料理を楽しむ、夏の風物詩である納涼床の季節がやってきました。 夕暮れ時に一杯やりながら目に映る、マジックアワーに包まれた鴨川の風景は格別です。納涼床が年中行事化となった…

本法寺 長谷川等伯 波龍図  一滴の水で天に昇る

洛中に今も伝わる逸話 室町時代に創建された本法寺は、さまざまな法難に遭いながらも正面から立ち向かい、ねばり強く布教を続けた日蓮宗の本山であり、京都市民たちが誇る名刹です。 本法寺のある京都・洛中には、今も伝わるこんな逸話があります。 桃山時代…

承天閣美術館  天才画家 伊藤若冲 雲のうえから微笑む

かよい慣れた道をいつもよりゆっくりと歩く夕暮れの帰り道。新型コロナのはやりで、本当に人がいないのでなんだか違う景色に見えます。 ここは、普段ならインバウンドの人々で溢れる、京都市中心部のグルメロード錦市場。いまは人影もまばらです。 その為に…

相國寺  義満の権力欲の裏側  幻の七重大塔

宗派を超えた国家的建築物 応永6(1399)年、それまで誰ひとり見たことのない高塔が、京都洛中の北の地に出現しました。その高さは三百六十尺、足利三代将軍・義満が竣工させた相國寺・七重大塔です。 百メートルを優に超すこの塔は、義満が宗派を超え…

本能寺  麒麟がくる  明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか

応仁の乱からの復興 京都の街を焼き尽くした応仁の乱。絶望的状況がなんとか収束に向かったとき復興に尽力したのは、町衆と呼ばれる富裕層の商売人たちでした。 その大半の人たちは法華宗門徒だったので、法華宗の信仰は京都の中心部に浸透します。 「題目の…

天球院  孤高の天才画家 狩野山雪

戦国武将・池田輝政の妹 妙心寺の塔頭のひとつである天球院は、寛永8(1631)年に建てられました。 天球院という名は、姫路城主の戦国武将・池田輝政の妹の天球院という院号から名付けられています。 この女性は因幡若狭城主に嫁ぎましたが、離縁し池田…

祇園  「いちげんはん」と「さしこみはん」

路地裏をせくように歩く舞妓さん 紅殻格子(べんがらごうし)のお茶屋が立ち並ぶ、京都を代表する花街。軒下の提灯に明かりが灯りはじめる夕方になると、舞子さんが通りの角から少しせくように現れます。 そんな情緒を感じられる花見小路あたりが祇園(ぎお…

伏見  濠川がゆっくり流れる 豊かな水源と酒蔵の街 

城下町に集う酒蔵 豊臣秀吉が築城した伏見城によって、伏見地区は天下の巨大な城下町になりました。 この活気が、伏見の銘酒とよばれる甘口のお酒の需要を、一気に増大させます。 人々の賑わいと共に、この地は名水が湧き出る場所であり、多くの酒蔵が集まり…

錦市場  至高の食材に出会える 京の台所

道幅3メートルほどの両側に、京野菜や川魚・湯葉・漬け物など、京都ならではの食品を扱う店が並ぶ「京の台所」と呼ばれる錦市場。 いまでは小売りだけではなく、店舗の一部を改装するなどして、自前の食材がその場で食べられるお店が増えてきています。買い…

天授庵  細川幽斎 古今伝授の戦国武将が再建させた名刹

京都三大門のひとつ南禅寺の巨大な三門のすぐ傍に、杮葺きの本堂の天授庵はただずんでいます。 池の縁を深紅の紅葉が包み込む池泉回遊式庭園と本堂の前庭に広がる枯山水庭園。ふたつの趣を感じることの出来る景観は、訪れる人々を魅了してやみません。 徳川…