本法寺  なべかむり日親と「魔王」足利義教

恐怖の魔王 ときの有力大名たちを統制するために、将軍家の絶対的権力を確立するために「魔王」となった足利義教(よしのり)。室町幕府、第六代将軍です。 義教が将軍に指名される少し前に、日本で最初の土一揆は起こります。 さらに、関東公方の反乱、南朝…

法勝寺  巨大で奇抜 八角九重塔はなぜ建てられたのか ②

時の流れ 治暦4(1068)年、藤原摂関家と外戚関係を持たない後三条天皇が帝位についたのは35歳のときでした。 「えも知れぬ重圧を感じるのは、関白摂政が天皇の外祖父であるからのことで、私とは全く無縁のことだ」と、この時、後三条帝は周りに豪語…

法勝寺  巨大で奇抜 八角九重塔はなぜ建てられたのか ①

院政 平安時代、白河上皇に「天下の三不如意(ふによい)」という有名なエピソードがあります。 賀茂川の氾濫、双六の目、延暦寺の僧兵、この三つだけは自分の意のままに、思い通りには、どうしてもすることが出来ないと上皇が嘆いたという話です。 ですがこ…

空海の足跡  高野山から東寺へ そんな遠くに行かんかて

絶賛された目録 唐から帰国していた空海が、やっとのことで、なんとか都にある高雄山寺(神護寺)に入れたのは、大同4(809)年のときでした。 空海は、国から20年の留学を命じられていたのにもかかわらず全く聞き入れないで、わずか2年で唐から帰国…

伝教大師と弘法大師  「育てる人」最澄の密教への心残り

後世への影響力 偉大な功績を讃えられたことで、伝教大師という諡号を与えられた最澄。そして、その永遠のライバルであった弘法大師・空海。 最澄は日本天台宗の祖であり、入滅後には神になったと伝わる空海は真言密教をこの国にもたらしました。 この天才宗…

北大路魯山人  美食俱楽部による至高のメニュー そしてパブロ・ピカソとの出会い

美食倶楽部 陶芸、篆刻、書画とマルチにその才能を発揮させた北大路魯山人(ろさんじん)。 美食家という称号をこの国で初めて獲得したのも、他ならぬ彼だったのではないでしょうか。 大正10年、魯山人は38歳のときに、経営していた美術店の2階に会員制…

六孫王神社  臣籍降下と源氏のルーツ 

なぜに臣籍降下は始まったのか 私たちは「源氏」というと、源頼朝・義経など、「武士の源氏」を強くイメージします。 実は「源」という姓は、皇族、つまり天皇一族が「臣籍降下」(しんせきこうか)する際に与えられた姓であり、それは嵯峨天皇のときに始ま…

平安京の誕生  それは革命のとき 長岡京をあとにして

山の背後へ 延暦3(784)年、桓武天皇は平城京を棄てさり、長岡京への遷都を行いました。 ですがその長岡京も僅か10年という短命に終わり、さらに平安京へと遷ることになります。 平安京は現在の京都市内であり、長岡京は現在の京都府の向日市・長岡京…

神護寺  国宝 源頼朝 平重盛の肖像画はなぜこの寺に残されたのか

京都市の西北部にある高雄山(たかおさん)。木々に囲まれた山域には清滝川が流れ、渓谷から、乱れ積みの長い階段を登り切ったところに建つのが古刹・神護寺です。 平安京が出現する少し前の天応元(781)年に、高雄山寺として創立された古い歴史を持ちま…

清凉寺  生身の釈迦像 それはホンモノと入れかわったのか

大変なものが 清凉寺の所蔵する「釈迦如来立像」に対して、文化庁が国宝指定のための調査を行ったのは、昭和28年7月29日のことでした。 調査員が像の背面を調べようと、まず光背(こうはい)をはずし、その背面に手をあてたとき、ズズッと何かが下へす…

東寺  言葉だけではたどりつけない世界 立体曼荼羅

ただ一度だけの炎上 延暦13(794)年、桓武天皇は京都遷都にともない、羅城門を挟んで二つの寺、東寺と西寺の建設を命じました。 平安京を守護するための官寺として建立されたのですが、外国からの来賓客の宿泊に主に使用されていました。 そして東寺の…

高台寺  秀吉とねね ふたりで築いてきたもの

ねねという女性(ひと) 洛中の七条通りを東の方角へ突き当るまで進み、京都女子大学のある坂を越えてさらに進むと、五百段もある大階段が見えてきます。 その気の遠くなるような長い階段をのぼりきったところにあるのが、豊臣秀吉の墓である豊国廟です。 は…

高山寺 明恵  あるべきように 自然のままに

慈悲の人 明恵 京都・栂尾(とがのお)にある世界遺産のひとつ高山寺。鎌倉時代、ここに明恵(みょうえ)という高僧がいました。 一般的にはほとんどその名は知られていないのですが、大学受験には頻繁に出題されるため、高校の教科書などには掲載されていま…

麟祥院 春日局の生涯  信じている 強さがいいと

斎藤 福という娘 麟祥院(りんしょういん)は徳川家光によって、1634年に、乳母の春日局のための菩提寺として建立されました。 日本最大規模の禅寺である妙心寺、その48ある塔頭のひとつとして、海北友雪や狩野探幽が描いた美術画の寺宝が伝わる格式高…

日野富子 抜群の経済センス すべてのものが思い通りに光る

悪女と呼ばれて 室町幕府八代将軍・足利義政の正室であり、希代の悪女と呼ばれた日野富子。 尼将軍と名高い北条政子に匹敵する女傑だと好評価がある一方で、悪女、悪妻、応仁の乱の主犯、高利貸、守銭奴と、ありとあらゆる酷評も伝わります。 そして当時、富…

大徳寺  千利休と山門事件 隠された真実

千利休自刃の原因とされている山門事件、それは大徳寺で起こりました。 山門事件とは、大徳寺の山門楼閣上に自身の木像が安置されたことで、利休が豊臣秀吉の怒りをかった事件のことです。 ですが、さまざまな歴史検証が行われてくると、どうやら、この事件…

堀川六条 義経邸での出来事  弟を許さなかった頼朝

兄はなぜ怒っているのか 文治元(1185)年、源頼朝の密命を受けた土佐坊昌俊(しょうしゅん)が京へと向かっていました。 目指すその場所は、現在の西本願寺の近くにあった源義経と恋人の静、その二人が住む邸宅です。 このとき義経は、実の兄である頼朝…

室町幕府 崩壊のきざし  それは下剋上のはじまり

突然の出来事 長享3(1489)年、室町幕府第9代将軍・義尚(よしひさ)は、弱冠25歳の身でありながら、近江の陣中で戦死しました。 この予期せぬ事態により、足利将軍の座が空白になったので、隠居の身でありながらも大殿の立場にあった義尚の父・義…

室町幕府  導かれた場所 室町今出川上る

はじまりの場所 足利政権のはじまりのときに、どこに幕府を開くのか、鎌倉にするべきか、それとも京都にするべきなのかという議論が繰り返し行われました。 新たな幕府にとって政権の所在地をどこにするのかは、極めて重要なテーマだったからです。 そして、…

向島城  観月のために築城された幻の城

月見のためだけに 京都伏見の地にあった幻の城といわれた向島城。 隅田川の近く、むこうじま ではなく、むかいじま と読みます。 豊臣秀吉の別荘として建築されたのですが、秀吉の死後8ヶ月後には徳川家康が城主となりました。 現在の向島地域では城跡を感…

五山送り火  夏の夜空にゆらめく炎

乾いた静かな夜空に、炎がゆらめく五山送り火は、夏の京都の風物詩。 大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居形と次々に浮かび上がり、儚く消えていきます。 毎年8月16日に、お盆に帰ってきた先祖の霊を壮大な送り火で見送るこの風習は、洛中に脈々と伝承さ…

細川ガラシャ  山城の花嫁 その美麗比喩なく

天正6年8月、明智光秀の三女・玉は、勝竜寺城に居城する細川忠興のもとへと嫁ぎました。 父と暮らしていた近江・坂本城から、かごに揺られながら比叡山を超え、山城国へとやってきたのです。 城下町にやってきた花嫁は、「容顔の美麗比喩なく」と、あっと…

二条城障壁画  御用絵師 狩野家

ただひとつだけ遺された将軍の住居 戦国時代以降、城郭造営はいちじるしく発展をとげました。 鉄砲の伝来によって戦争の在り方が大きく変わったこともあり、天下統一を目論む武将たちが、攻防戦によるその効用を重視したからです。 そして、安土桃山時代から…

智積院  根来寺の炎上から  少しでも前へ 

成田不動で有名な「成田山新勝寺」、初詣の人々で賑わう「川崎大師平間寺」、日帰り登山の聖地、高尾山「薬王院」。 いずれも関東屈指の大寺院ですが、この三つの名刹は新義真言宗・智山派に所属し、宗団の東日本における拠点となっています。 そして、それ…

祥雲寺  東山七条 地下に眠る歴史的・客殿遺構

東山七条にある名刹・智積院(ちしゃくいん)の講堂が平成4年に再建されたとき、事前に建設予定地の調査が改めて行われたことで、歴史的な遺構が発掘されました。 なんと、智積院の前身寺院として知られる祥雲寺の桃山時代の客殿遺構が見つかったのです。 …

龍安寺  謎につつまれた石庭 義政と庭師たちの有縁 

研ぎ澄まされた静寂の空間 嵯峨野から金閣寺へと続く、きぬかけの路(みち)。 霊気が漂うように霧に包まれる、その路から視線を上げると、すぐそこに衣笠山(きぬがさやま)から朱山(しゅざん)が連なっているのが見えます。 この山々のふもと一帯は、平安…

伏見城  鳥居元忠の覚悟 最後の攻防戦

激戦地 伏見城 慶長5(1600)年、関ケ原の戦いに突入するころ、京都・木幡山にある伏見城は、前哨戦とされる激戦地になっていました。 徳川家康がその生涯で最も信頼したという老臣・鳥居元忠(もとただ)。 その元忠を総司令として伏見城を占拠する東…

飛雲閣  秀吉の足跡 それは聚楽第・伏見城の遺構なのか

西本願寺の境内にそびえる国宝・飛雲閣は、金閣寺、銀閣寺とともに京都三名閣と呼ばれています。 純金で内装されていたという豊臣秀吉が造営した聚楽第の遺構だと、少し前までは、そう伝えられていました。 ですが、現在の時点では、建物の第二、第三階に改…

鞍馬寺  毘沙門天立像  わずかな光のなかに道はある

はるか彼方を見すえる鞍馬寺の毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう)。 左手を額あたりにかざして、遠く、平安の都を見守っています。 北方から都を守護するため、秘境の霊山というその場所に立ち続けてきました。 ま昼でさえ漆黒のような暗闇に覆われる…

銀沙灘と向月台  月に照らされた 青の世界

ユートピア 文明14(1482)年、応仁の乱が終わり、世の中が少し落ち着きはじめると、前将軍・足利義政は、頓挫していた山荘邸宅の造営に再び執りかかりました。 すなわち、現在「銀閣寺」と呼ばれている寺のことですが、もともとは、義政の終の棲家と…