伏見稲荷大社  荼枳尼天は白いキツネに乗って

朱く長き異界 商売繁盛の神様として有名な伏見稲荷大社。その朱一色の世界は、京阪電車・稲荷駅にも見られ、伏見という街のイメージと重なり合います。 稲荷という社名は、「稲生」(イネナリ)の「ネ」が抜けて「イナリ」となり、「リ」が「ニ」に転音して…

徳川家光によって再興され現在の姿になった観光寺院が京都ではなぜ多いのか

福運の姫君 徳川二代将軍・秀忠の五女である和子は後水尾天皇に入内し、度々起こった公武関係の危機は回避されました。 まさに、朝廷と幕府の平和への架け橋となった彼女は、京都文化の復興にも大きな足跡をのこしています。 政治的な役割よりも、むしろ自身…

本能寺の変 そのあとすぐの話  明智光秀と「京町中の者ども」

謀反は突然に 天正10(1582)年6月2日、まだ夜の明けきらぬ京都の町。 明智光秀の率いる一万三千の兵が本能寺を囲み、滞在していた君主・織田信長に襲いかかりました。 「あの、明智どのが・・・まちがいないのか」 安土城の留守を守る蒲生賢秀(が…

もうひとつの伏見城  リバーサイドの城郭 月の色をもらって

川面に映える名月 指月城 伏見山の西南に、「指月の森」と呼ばれる小高い丘陵地帯があります。 そこは、宇治川を臨む風光に恵まれた場所で、大坂と京都をおさえる重要な要衝でもありました。 川面が映しだす月の色をもらうために、豊臣秀吉はこの地に指月・…

本能寺の変  しかめっ面の英雄 最後の言葉

春の陽が地上に降りそそぐ穏やかな日、出陣する織田信長軍の傍らの畑で、農民がスヤスヤと居眠りをしていました。 これを見た、信長の顔色をうかがう木下秀吉は、「こいつらのために合戦にいくのに」と激怒し斬りかかろうとします。 ですが信長は、「いや、…

織田信長の京都支配  麒麟が近づいてきたのか すべてが好転し始める

正倉院秘蔵 蘭奢待 天正2(1574)年、骨董品・茶器の名物収集に励む織田信長は、ついに、御持の蘭奢待(らんじゃたい)を手に入れます。 蘭奢待とは正倉院秘蔵の名香ですが、室町幕府八代将軍・足利義政が手に入れて以降、多くの希望者があっても誰ひと…

大徳寺  金毛閣に掲げられた木像  なぜ利休は自刃に追い込まれたのか

真理だけを突き詰める 22の塔頭寺院とふたつの別院で構成される広大な境内を持つ大徳寺。 臨済宗大徳寺派の大本山として、禅の道場としての使命を果たし続けてきました。 風情ただよう石畳の通路と新緑と花々に彩られた聖空間の古刹。 千利休をはじめ多く…

北野天満宮  道真の怨霊 稲光が走り雷鳴がとどろく

平安時代中期の天暦元(947)年に創建された北野天満宮。 菅原道真(菅公)をご祭神とし、藤原氏によって大規模な社殿造営がなされました。 国宝に指定されている本殿は、豊臣秀頼によって再建されたものです。 これは八棟造と呼ばれる様式で、拝殿と本殿…

八坂神社  祇園の神様 出雲の女神と出会ってから

神仏分離令からまだ150年 神と仏は同じであると考える神仏習合。それは、今日ではあまり理解されていません。 ですが、明治維新で神仏分離令が出されるまで、奈良時代から江戸時代まで1200年の間、ごく自然に日本人に受け入れられていたのです。 日本…

天部二十八部衆と風神・雷神像  悪魔のチカラ身に着けた正義のヒーロー

イメージされる無限の観音像 三十三間堂 文永3(1266)年の再建から750年もの間その姿を保ち続けてきた蓮華王院・三十三間堂。 お堂に安置された一千一体の千手観音像に守られてきた奇跡の宗教建築です。 丈六の千十観音座像を本尊とし、その脇侍に…

室町幕府将軍 空白の3年 暗躍する松永久秀

松永久秀「所司代」 天文18(1549)年、阿波国の戦国大名・三好 長慶(みよし ながよし)は、将軍・足利義晴と足利義輝を京都より追放しました。 実質的に洛中の支配権をにぎった長慶でしたが、初期の頃の権限内容は今も不明なところが多く、史料もほ…

元禄の京に光琳あり  尾形家 不肖の3兄弟

雁金屋の3兄弟 徳川家の娘に生まれ皇室に入内した東福門院和子。 朝廷と幕府の平和の架け橋となったその偉大な皇后は、延宝6(1678)年、帰らぬ人となりました。 彼女に最もひいきにされていた幕府御用達・老舗呉服商の雁金屋(かりがねや)の商運は、…

仁和寺  仁清と乾山 宮廷文化が生んだ きれいさび 京焼

御池と御室 代々天皇の皇子および皇孫が門跡という住職を務められた世界文化遺産・仁和寺。 神泉苑のある場所が御池と呼ばれるように、この古刹がある地域も御室と呼ばれてきたのです。 寺であると同時に宮殿であるという性格を持つこの門跡は、全国の寺社を…

東福門院和子  京都を再興させた 東から来た宮廷の人

京都市民が待ちこがれたその人 元和6(1620)年6月、二代将軍秀忠の娘・徳川和子の入内を一目でも見たいと、京都・洛中の街路には群衆があふれていました。 至美至高の行粧をこらしたその新しい女御入内は盛大に営まれたのです。 この時期の朝廷と幕府…

大坂城が落城した そのあとの京都の話 反骨の突っ張りたち

あっさりと翻った豊臣恩顧たち 元和元(1615)年5月7日、難攻不落と称された大坂城は、徳川軍から止めを刺される猛攻撃を受け、ついに落城しました。 翌8日、秀忠の娘・千姫の助命嘆願も受け入れられず、豊臣秀頼、淀殿ともに自害し帰らぬ人となった…

激動の時代と豊臣秀頼の寺社復興 そんなあなたのおかげです

激動の50年 永禄11(1568)年に織田信長が入京してから、元和元(1615)年の豊臣家滅亡までの僅か50年に満たない日月。 この短いながらも激動の時代は、近世封建制度の成立と、京都の新たな都市計画の始まりでした。 中世の終わりから仏教は、…

近世の覇者と仏法 織田信長包囲網 暗闇の中のひとすじの光 

京都に出現した近世的覇者 王城を抱く京都が堅持した古くからくる伝統や、そこに住む人々の生活から育った風習。 新しい街の支配者である織田信長は、これらを一切認めませんでした。 永禄11(1568)年、中世末のカオスの世界から生まれた近世的覇者は…

もうひとつの二条城  織田信長の入京 あの鐘を鳴らすのはあなた 

信長が築造した二条城 二条城といえば、徳川家康によって築造された現在も遺る「京之城」をいいますが、それよりずっと前に、京都にはもうひとつの「二条城」がありました。 それは、足利幕府最後の将軍・足利義昭のために織田信長が築造したかなり大規模な…

三十三間堂  千手観音像に守られた奇跡のお寺

750年前から守られてきたお堂 蓮華王院・三十三間堂は、長さ125mの仏殿の中に1001体の千手観音像が整然と並ぶ、国宝の宗教建築です。 住んでいた法住寺殿の中に、後白河院が平清盛の力を借りて、長寛2(1164)年に建立しました。 観音の力で…

平等院  鳳凰堂  龍神に守られた平安時代の象徴

建物から飛び出している尾廊 朝日山から朝日が昇ると、光りが池の水面に当たり、その光は反射してお堂の中に入ります。 さざなみのようにキラキラ揺れる光を受けた仏像は、まるで胸のあたりで呼吸しているかのようです。 まばゆい自然の光によって、阿弥陀如…

豊国神社 京都東山七条  平和への歓喜に沸く風流踊り

歓喜に沸く豊国大明神臨時祭 慶長3(1598)年、豊臣秀吉は伏見城で他界し、方広寺大仏殿の背後にそびえる阿弥陀ヶ峰に理葬されています。 翌慶長4年には、「豊国大明神」という神号を朝廷から与えられ、正式に神格として祀られました。 これが「豊国神…

建仁寺 所蔵  俵屋宗達 風神雷神図屏風 魔法使いと呼ばれた天才絵師

鎌倉幕府の第2代将軍・源頼家の寄進によって栄西が建立した建仁寺は、武家の強力なバックアップを受けて、14世紀には京五山第三位の臨済宗名刹となりました。 現在では、祇園・花街のすぐそばで地元の人々に親しまれている、禅寺にしては珍しく格式ばらな…

養源院  お江の思いが託された 俵屋宗達の杉戸絵

豊臣家により創建され徳川家によって再建された寺 文禄3(1594)年に豊臣秀吉の側室・淀の願いによって、彼女の父である浅井長政と祖父・久政の追悼の寺として養源院は建てられました。 戦国期の北近江の大名であった浅井長政は、妻・お市の兄にあたる…

南禅寺・方丈 なにがなんでも再興させる 崇伝の奔走 東へ西へ

消えた京都の古き由緒ある寺院 草庵から出発した小さな寺院が伽藍寺院に発展すると、いちばん必要とされるのが建築費用でした。 大規模になればなるほど、宗派を問わず、お布施の集積だけではまかないきれなくなります。 最初の出費の大部分を援助してくれる…

金地院   禅宗最高峰の住持 以心崇伝 

悪国師の名を受けて 徳川家康には極めて優秀で才覚に長けた、徳川幕府三百年の治世の基盤を築き上げたブレーンが二人いました。一人は、民衆に絶大な人気のあった天台宗の傑僧・南光坊天海。 そしてもう一人は「悪国師」と呼ばれ、人々を苦しませる悪役であ…

ほんとうのおススメ  閑古鳥よ鳴かないで

京都三大観光地 新型コロナの影響で、京都の観光地も本当に人が少なくなりました。 国内からおこしになられる方たちだけでは、この10年くらい続いた混み具合には、たぶん、もうならないでしょう。 インバウンドの人々が訪れることのないこの期間は、いつま…

金閣寺  義満の黄金趣味の極み 水面に映る 曇りの日

舟を浮かべて盛大な宴 金閣といえば派手で強烈な光を放っているイメージがありますが、実際に境内へ足を踏み入れて眺めてみると、優しく気品ある光に包まれています。 手前の鏡湖池に写しだされたゆらゆら揺れる姿は、何か夢の世界を訪れたような幻想を抱か…

清水寺  王城の守護神 田村麻呂 明日を開く鍵 信じる言葉はあるか

征夷大将軍・坂上田村麻呂 清水寺が国から公認されたのは、805年のことです。できたばかりの平安京では、寺院の新設・奈良からの移転は禁じられていましたので、国家公認の東寺・西寺以外の寺院はありませんでした。 清水寺だけが例外的に、特別に認めら…

二条城 なんで都にお城が建ってんのやろ  離宮と呼ばれて

なぜ元離宮と呼ばれるのか 明治元(1868)年2月3日、二条城に明治天皇が行幸されて、城内・白書院で徳川幕府討伐の詔(みことのり)を発せられました。 薩長を中心とした討幕軍は江戸に進発します。そう、遡ること260年前に、徳川家康が京での幕府…

三条大橋 『知らん顔』した街並み 擬宝珠に遺された悲しき傷痕

東海道中膝栗毛の舞台となった華やかな一面とはうらはらに、数々の悲話が三条大橋には伝わります。 豊臣秀次の妻・側室侍女やその幼児たちが秀吉によって首うちにされたり、橋のすぐ近くの池田屋に潜伏していた尊王攘夷派志士が新撰組に襲撃されたりした、や…