こうへいブログ  京都案内 そして スラスラと流れるような文章が書けるようになりたくて

京都観光案内 その裏に隠された物語のご紹介と、それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

離宮・城

桂離宮  儚き世に輝く 琥珀の月

月の色をもらって 京都市・桂川に架かる桂大橋。車を走らせ、その西岸から東を望むと、ときに、見事な満月に出会える夜があります。 そして、すぐ左にたたずむのが、宮内庁の管理する、あの「桂離宮」です。 こうして見ると、満月を遠望できる絶好のロケーシ…

二条城  平安京から生まれた京都市という都市の本質

公武和合の舞台 大坂夏の陣、冬の陣が始まる少し前の1603年頃に、幕府本営・二条城は完成しました。 徳川家が上洛する際の宿所として造営されたこの城郭から、家康は戦場へと出陣しているんですね。 その後、1626年に三代将軍・家光が後水尾天皇を迎…

元離宮二条城 この国に遺された最後の御殿 その障壁画とは 

唯一 遺された二の丸御殿 権力の転換、その確認を明示するかのように、都に、突如出現した葵の城、二条城。 慶長8(1603)年、すでに解体されていた豊臣秀吉の聚楽第に対抗するかのように建てられたこの城は、まさに、京都における徳川家の拠点のひとつ…

向島城  観月のために築城された幻の城

月見のためだけに 京都伏見の地にあった幻の城といわれた向島城。 隅田川の近く、むこうじま ではなく、むかいじま と読みます。 豊臣秀吉の別荘として建築されたのですが、秀吉の死後8ヶ月後には徳川家康が城主となりました。 現在の向島地域では城跡を感…

細川ガラシャ  山城の花嫁 その美麗比喩なく

天正6年8月、明智光秀の三女・玉は、勝竜寺城に居城する細川忠興のもとへと嫁ぎました。 父と暮らしていた近江・坂本城から、かごに揺られながら比叡山を超え、山城国へとやってきたのです。 城下町にやってきた花嫁は、「容顔の美麗比喩なく」と、あっと…

二条城障壁画  御用絵師 狩野家

ただひとつだけ遺された将軍の住居 戦国時代以降、城郭造営はいちじるしく発展をとげました。 鉄砲の伝来によって戦争の在り方が大きく変わったこともあり、天下統一を目論む武将たちが、攻防戦によるその効用を重視したからです。 そして、安土桃山時代から…

伏見城  鳥居元忠の覚悟 最後の攻防戦

激戦地 伏見城 慶長5(1600)年、関ケ原の戦いに突入するころ、京都・木幡山にある伏見城は、前哨戦とされる激戦地になっていました。 徳川家康がその生涯で最も信頼したという老臣・鳥居元忠(もとただ)。 その元忠を総司令として伏見城を占拠する東…

水の都  扉を開けたら 霧雨のなかの平安京 

それは歴史的発見 平成11年、神泉苑にほど近い京都市立西京商業高校のグラウンドが発掘され、極めて貴重な遺跡が発見されました。 それは平安時代の寝殿造り、貴族の邸宅と池泉庭園が、そっくりそのままの形で姿を現したのです。 池の大きさは、東西15メ…

もうひとつの伏見城 リバーサイドの城郭 月の色をもらって

川面に映える名月 指月城 伏見山の西南に、「指月(しげつ)の森」と呼ばれる小さな丘があります。 そこは、宇治川を臨む風光に恵まれた場所で、大坂と京都をおさえる重要な要衝でもありました。 川面が映しだす月の色をもらうために、豊臣秀吉はこの地に指…

二条城  なんで都にお城が建ってんのやろ  

なぜ元離宮と呼ばれるのか 明治元(1868)年2月3日、二条城に明治天皇が行幸されて、徳川幕府討伐の詔(みことのり)を発せられました。 薩長を中心とした討幕軍は、ここから江戸に進発します。 そう、遡ること260年前に、徳川家康が京での幕府の拠…

修学院離宮   自然豊かな帝王の山荘  

田園の風景の中に建物が優雅に建ち並ぶ 後水尾院によって江戸時代初期の1655年頃から着手された修学院離宮は、足かけ20年を費やして作られました。 かなり規模が大きなこの庭園は、上・中・下の各山荘によって構成されています。そして、各山荘は田園…