こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

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高山寺 国宝 鳥獣人物戯画  なぜこの寺に伝わったのか 

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石水院「鳥獣人物戯画」

人里離れた静かな森林にたたずむ、世界遺産のひとつ高山寺。

寺には石水院という国宝がありますが、これは明恵(みょうえ)という高僧の住房だった建物です。

1218年、後鳥羽上皇から学問所として贈られたものを明恵が高山寺に移築しました。

建て替えや改造は行われていますが、床柱や柱、梁などに古材をそのまま利用した部分が遺されている建築です。

そして「鳥獣人物戯画」の真筆は高山寺が所有しているのですが、その精巧な複製が作られ、この石水院に展示されています。

この真筆の作者は天台密教の高僧である覚猷(かくゆう)だと言われていますが、美術史家の間では様々な異論が出ているんですね。

例えば、

・覚猷のもとで図像の模写をした絵仏師との合作説

・絵仏師ではなく宮廷絵師との合作説

・覚猷の系譜に属する他の画僧の作品説  など

 

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明恵十三年忌の法要に寄付された

覚猷はすでに明恵の生まれる30年前に亡くなっていて、高山寺は明恵が居住するまでは有名な寺ではなかった。とすれば、なぜ「鳥獣人物戯画」がこの高山寺にあるのでしょうか。

美術史家たちの有力な説によると、この作品は高山寺の古文書の記録から、鎌倉時代中期の頃の、仁和寺の僧である法助が秘蔵していたと言われています。

法助は摂政・関白の九条道家の息子であり、母親は西園寺公経の娘でした。

九条道家と西園寺公経はともに明恵の崇拝者であったので、自然に法助も幼いころから慈悲深い明恵に傾倒していたのです。

だから法助が明恵十三年忌の法要に高山寺を訪れたときに、「鳥獣人物戯画」を寄付したのではないかという説が有力視されているんですね。

そこには慈悲の心があった

「鳥獣人物戯画」の甲巻で、題材になっているのは貴族と高僧たちのストーリーです。

公家たちが左右に分かれて弓矢で的当てを争う行事が描かれていますが、弓を射るのはウサギとカエルです。

これを見た人達は、このウサギは誰々のことで、このカエルは誰々のことだと分かって見ていた。そして皆で爆笑してたのです。

それはこの絵によって、ばかばかしい宮廷や寺院の争いを、笑いものにしてやめさせようとした覚猷の風刺がきいた作品でした。

でも、そこには笑いものにするだけではなく、慈悲の心が隠れていた。

ウサギもカエルも滑稽であるが、そこにはそういう動物たちを温かく見る作者の目があった。だからこそ、この作品は多くの人々に愛されたのですね。