六波羅蜜寺  市の聖  そんなあなたになりたくて

平安時代の半ば、京の町に流行していた疫病に立ち向かう一人の聖(ひじり)がいました。
その人は、空也(くうや)。自ら刻んだ十一面観音像を車に乗せ洛中を引き回し、念仏を唱えて病魔を鎮めます。

この時、野生の茶を霊水で煎じて、小梅干しと結び昆布を入れたものを、空也は病人に与え飲ませました。その茶は、当時の庶民にとっては大変なご馳走であり、栄養であり、薬になるもので、実際かなりの効果を発揮して多くの人々を救います。殺菌力の強い飲食物が予防医学的な役目を果たしたからです。空也上人は常に市井の人の中にあり、京童たちは親しみを込めて「市の聖(いちのひじり)」と呼びました。

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951年に、空也は西光寺という名の寺を創建しました。空也の没後、弟子の中信によって六波羅蜜寺と改称され、天台別院となります。
かなり大きな敷地で、平家一門の邸館が並んで境内に建てられていました。

平家没落のときには、兵火を受けて焼失します。その後、何度も修復と焼失を繰り返しますが、奇跡的に本堂だけは今も健在で、秘仏・十一面観音観音立像は、国宝に指定され、ここに安置されています。江戸時代までは広大な寺域を保っていましたが、明治になって敷地を道路や小学校に大きく譲り渡しました。

このお寺の見どころは何といっても、空也像です。日本の木造彫刻の中では、最大傑作の一つといわれていて、運慶の四男・康勝(こうしょう)の作と伝わります。康勝は鎌倉時代の人なので、空也の時代には生まれていません。康勝は、寺に伝わる何らかの像や伝承に基づいて創作したのではないでしょうか。

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空也像は、口から六体の弥陀(みだ)を出し、首に金鼓を下げて、左手には鹿の角のついた杖をついています。そして足の筋肉は張っていて、足の指の付け根は草鞋に食いこみ、その草鞋の底は擦り切れています。これは、空也が全国を走り回った強靭な肉体の持ち主であったことを表現しているのです。

厳しい修行に明け暮れることも、難解なお経を読むこともできない人々を救うためにはどうすればいいのか。空也は、日本中を駆けずり回り仏教を庶民に開きます。十世紀半ばという時期を考えれば画期的なことでした。それは、のちの浄土宗や時宗につながっていきます。まさに空也は、中国でもインドでもない日本仏教の先駆者だったのでしょう。

そして、彼はなぜ鹿の角を持ち、鹿の皮衣をきているのでしょうか。
鹿をあやめなければ生きていけない暮らしの人々や、その為にあやめられた鹿たち。
それぞれと自分を同一化し、民や動物の苦悩を己の苦悩とし、彼らの極楽往生を願って、念仏を称えるためです。

私は、いつまで自分中心なのか。まだ自分のことしか考えていない。
真っ直ぐなまなざしで私を見る。そんなあなたに、どうすればなれるのでしょうか。
六波羅の灰色の空に、空也は問いつづけました。