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麟祥院 春日局の生涯  信じている 強さがいいと

斎藤 福という娘

麟祥院(りんしょういん)は徳川家光によって、1634年に、乳母の春日局のための菩提寺として建立されました。

日本最大規模の禅寺である妙心寺、その48ある塔頭のひとつとして、海北友雪や狩野探幽が描いた美術画の寺宝が伝わる格式高い名刹です。

春日局といえば、江戸城内に大奥の基盤を作り上げ、取り仕切った女性として有名なのですが、そこに至るまでにいったいどのような人生を歩んできたのか、興味のあるところです。

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春日局、幼少名・福は、明智光秀の重臣であった斎藤利三(としみつ)の娘としてこの世に生を受けました。

ですが、天正10(1582)年、「三日天下」の後、光秀が秀吉に滅ぼされたときに父の利三は京都・六条河原で処刑されます。

残された母と福は京の長屋で細々と暮らすことになるのですが、やがて、母方の親戚である豪族・稲葉正成のもとに、福は後妻として嫁ぎ、三男二女を産み育てることとなります。

ところが、家族とともに京の都で平穏な暮らしをおくっていた福は、突然に、夫と子供たちを捨て去り、江戸へと単身で向かうことになるのです。

お家騒動

慶長9(1604)年、江戸城で竹千代(のちの家光)が生まれ、徳川幕府は竹千代の乳母を京都で募集し始めました。

そして選ばれたのが、当時26歳であった福だったのです。

福の気立ての良さは、もはや京で有名だったのでしょう。さらに、天下の名武将である夫を持つという彼女の家族構成も、選考された理由の大きなひとつとなります。

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竹千代がまだ幼少のころ、徳川三代将軍の座を巡り、ちょっとしたお家騒動が起こりました。

母であるお江は竹千代を嫌い、弟の国松のほうを溺愛していたので、後継ぎを国松にするようにと、夫の秀忠に、日々なにかとプレッシャーをあたえていたのです。

二代将軍の秀忠という人物は、妻である勝気な性格のお江にまったく頭が上がらず、将軍なのに側室をもつことを許されませんでした。

一方で、自分はまったく母の愛を受けることができない人間なんだと、幼少の竹千代の心の傷は深く、彼は成人してもなかなか女性を愛せなかったそうです。

お江の強引なはからいにより、徳川の後継ぎが国松へと決まりそうになったときに、ついに、福が動き始めます。

竹千代が生まれたときから愛情をそそいできた福にとっては、竹千代こそが何よりの宝物だったのです。

ついに福は駿河にいる大御所・家康のもとを訪れ、弟が兄を差し置いてお家を継承するなんて許されません、秀忠さまの狼狽ぶりはなんなのですかと、家康に強く訴えでたのです。

福の迫力に圧倒された家康は、まさに福の言う通りじゃと、江戸に向かい秀忠を呼び出し叱責し、後継ぎを竹千代にするように指示したんですね。

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徳川家のためにできること

秀忠とお江の娘である徳川和子は、元和6(1620)年、後水尾天皇の女御として入代しました。

そして4年後には興子内親王(のちの明正天皇)を産み、中宮の位にあったのです。

ですが、このころ朝廷と幕府は一触即発の関係にあり、天皇は幕府に憤りを感じられていたといいます。

「紫衣事件」など、度重なる幕府の干渉に嫌気がさされた天皇は譲位の意向を固められていたんですね。

そして福は、おそらく不安を感じているであろう和子のもとへと、伊勢両宮代参を名目として江戸を出発し京都御所へ向かいます。

ちょっと誤解されやすいのですが、福は竹千代だけを大切にしていたわけでもなく、秀忠やお江、和子などはもちろん、家臣や大奥の女性たちなど、お家のすべてに気を配りながら対応していたのです。

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中宮和子の御所に参内した福は、中宮に金50枚を献上したのをはじめ、興子内親王には紗綾50巻、中宮付きの侍女の筆頭である権大納言局へ銀30枚などの豪華な土産を持参して将軍家の威厳を示しました。

さらに、その一ヶ月後には後水尾天皇に拝謁を許され、故郷の丹波水上群春日部郷にちなむという「春日局」の称号を得たのです。

何しろ無位無官の女性が、天皇に拝謁するという異例中の異例の出来事です。

形としては、あくまで西三条大納言実枝の妹分として参内したのですが、突如現れた「今や江戸の女」に、公家たちのクレームは凄まじいものがあり、しばらく遺恨を残すことになるんですね。

そしてじつは、この福の上洛には、天皇に譲位をすすめるという幕府の方針を中宮らに伝えるという隠された密命があったのです。

遠い日の記憶

その昔、「天下一の裏切者のくせに三日しかもたなかった愚かな大将、その筆頭家臣だった男」、お前はその娘だと責められた日々。

母と共に残され、人々に罵られながら、陽のあたらない薄暗い長屋でこの世のすべてを恨んだ日々。

そんな娘だった福は、今や朝廷を揺さぶるほどの女性になっていたのです。

福はこう言います。「進む道で石につまづいたらどうするかって? そんな石は許さない、二度と戻れないように遠くに蹴とばしちまうのさ」