こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

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東寺  言葉だけではたどりつけない世界 立体曼荼羅

ただ一度だけの炎上

延暦13(794)年、桓武天皇は京都遷都にともない、羅城門を挟んで二つの寺、東寺と西寺の建設を命じました。

平安京を守護するための官寺として建立されたのですが、外国からの来賓客の宿泊に主に使用されていました。

そして東寺のほうは、建立から30年たった嵯峨天皇の時代に、空海すなわち後の弘法大師が真言密教の根本道場として朝廷から賜ることになるのです。

西寺は律令制度の崩壊とともに、その後、姿を消しました。

一方で、東寺は創建当時の姿をほぼ今でも留めていて、火事を繰り返す京都の歴史のなかで、東寺が火災にあったのはただ一度だけです。

それは足利政権が統治力を維持出来なくなっていた文明18(1486)年のことなのですが、土民、地下人とよばれる民衆たちの武力蜂起による土一揆によるものでした。

この頃、東寺などの京都の大寺院は守護不入という特権を持っていたために、徳政一揆は境内を本拠にすることが多かったのです。

ですが、そんなことはお構いなしに、鎮圧に踏み込んできた細川政元の軍勢の兵火によって東寺の中枢部は焼失してしまうことになるんですね。

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南大門、金堂、講堂、回廊、鐘楼など主要な建築はほとんど消えてしまったのですが、真っ先に復興されたのは本堂である金堂ではなく、東寺の中でも最も重要な意義を持つ講堂でした。

金堂が再建されたのは、なんと、火災から120年後のことなので、講堂の復活が東寺にとってどれだけ急務だったのかが理解できます。

では、この講堂とは、東寺にとって、真言密教にとってどれだけ重要な意味をもつのでしょうか。

密教

釈迦の教えとして説かれた、明らかな教えという意味の「顕教」(けんきょう)。

これに対して、その釈迦の残された言葉、そう、お経では語りつくせないという秘密の教えが「密教」と呼ばれるものです。

最澄や空海が出てくるまで、それまで奈良時代にあったのは、律宗、法相宗、華厳宗という南都六宗でした。

かなり簡潔に言ってしまえば、これらの宗派は釈迦がこの世界に実際に説いた教えであり、教典という書物で継承されてきた真の教えに触れることができるのが、それら「顕教」の立場なのです。

一方で、「密教」の場合は、教典だけではたどり着けないものが、秘密の教えがあるのだというスタンスをとるのです。

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そして、この「密教」こそが、嵯峨天皇と空海を強く結びつけました。

加持祈祷を宗教儀式の中心に置く密教は、天皇や国家を危険にさらす怨霊の鎮魂に非常に役立つとされています。

また、嵯峨天皇は中国文化に果てしない憧れをもたれていたので、空海の中国文化に対する教養の深さ、特に詩書の造詣の深さを絶賛されていたのです。

嵯峨天皇という強力なバックアップ体制を担保された空海は、彼一代で、みごと真言密教を日本の地に根付かせたんですね。

立体曼荼羅

真言密教には根本思想を表す「曼荼羅」(マンダラ)という言葉があるのですが、その曼荼羅を立体化表現したのが、講堂に配置されている21体の仏像なのです。

本来は、本質・精髄を意味するサンスクリット語の「マンダ」に、成就・所有の接尾辞「ラ」を加えたこのマンダラという語は、壇、道場、聚集などと訳され、仏、菩薩などが集まり充満している様子、状態を図で示した形像曼荼羅のことをいうのです。

それは万徳円満な仏の世界、そんな世界を現実のこの世に表現出来るのは、日本中でも、ここ東寺の講堂以外には考えられないのです。

1200年前に制作された国宝の仏像で表現された21体もの仏像群、そんな曼荼羅世界を他のどこで見られるというのでしょうか。

やはり、第2次世界大戦のとき、京都の街がほとんど空襲に遭わなかったという事実は、この国の歴史にとって救われたことなのだと思ざわるを得ません。

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ただ、勘違いしていただきたくないのは、京都には貴重な歴史的遺構が多いので米軍はほとんど空襲をしなかったという説、それは全くの作り話だということです。

これは、京都市内に三代以上にわたって住居をかまえてきた家系なら、誰もが知る本当のことなのです。

もし、日本の降伏が少しでも遅れていたなら、次に原爆が投下されるのは京都市内だったのです。

場所もちゃんと決まっていました。今の鉄道博物館のある場所で、京都駅すぐ近くの梅小路と呼ばれてきた鉄道系の歴史保存地域です。

また、南方以外の三方を山脈のカーテンで覆われた盆地の京都市内は、原爆投下の威力効果を検証するのに絶好の場所だったのでしょう。

つまり、被害のほとんどないエリアからでないと、原爆だけの破壊効果を検証することが出来ないので、京都市はそれまで攻撃されなかっただけなのです。

悲しい話なのですが、地元市民としてはこの事実をちゃんと認識していないといけないのでしょう。

大切なことを見失って、浮かれた気持ちで京都の歴史を語ってはいけないと自分を戒める必要があるからです。

大日如来

今回は東寺の立体曼荼羅についてでしたので、話をもとに戻さしていただきます。

講堂の仏像の立体配置は如来部、菩薩部、明王部、その他天部と、大きく分かれているのですが、その如来と菩薩の関係はどうなっているのとか、如来の生まれ変わりは不動明王というけれど、どんな位置づけなのかという疑問が生まれます。

そういった疑問に答えるために、仏の位置関係や勢力関係を立体図にしたのが東寺の曼荼羅なんですね。

そして、講堂のど真ん中に祀られているのが大日如来です。これこそが真言密教の核となる最高の仏なのです。

顕教で中心とされる釈迦如来は、我々の住むひとつの次元での如来と考えられています。

それに対して真言密教の定義では、仏教の世界とは多次元世界であり、同時並行でさまざま世界が存在するということになっています。

つまり、よく三千世界と仏教ではよく言われるのですが、現世だけでなく同時に三千もの平行する世界があるということです。

まさにパラレルワールド、その三千の世界にそれぞれの如来が存在するというわけなんですね。

では、その三千もの如来の中で根源となる真の如来とはいったいどんな存在なのかと、当然、新たな疑問がでてくるのです。

もうお分かりですね、そう、その根源となる存在こそが大日如来であり、世界をこえた、そう宇宙すべての教えの根源である如来なのです。

もはや宇宙レベルとなった大日如来の大日というのは、サンスクリット語の「マハーヴァイローチャナ」という訳です。

マハー(マカ)というのは「大」という意味で、ヴァイローチャナというのは「光り輝く」が簡素化されて「日」とし、「大日」という言葉が考えられたのです。

だから、摩訶不思議という言葉は、これは大きく、すごく不思議という意味なんですね。

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講堂の中央にある大日如来を中心とした五体の如来たちは、煩悩を超越した悟りの世界をそこで表現しています。

如来とは人間が悟りを開いて人間以上の存在と化したので、頭は螺髪であり、当然身には何も装飾していないのです。つまり飾る必要がないのです。

ですが、なぜか如来のなかで例外的に大日如来だけは立派な宝冠を抱いています。

それは、密かにそこに、真言密教の現世肯定の精神が示されているからなのでしょう。