「何を言ってるのか わからない」の「何」
文章(テキスト)を「意味的に、1つのまとまりをなす文(センテンス)の連鎖である」と定義付けするなら、まず、そこに必要となってくるのは「結束性」です。
文連続としてつながれた結束的なテキストには、テキスト全体をつなぎ合わせる重要な役割を果たす「主題」が存在します。
テキスト全体には、その主題を含む「主題文」が散りばめられ、次々と話題となる主題を変えていくタイプもあれば、ひとつの主題が最後まで貫かれるタイプもあり、そのときの書き手の思惑によってさまざまなテキスト構成のあり方が提示されることになるんですね。
よく、何について語られたものであるかが上手く伝わらないときに、相手が「何を言ってるのかわからない」「何の話かわからない」などとよく言いますが、この「何」の部分にこそ、話し手が意図とする「談話の主題」が含まれているんです。
おそらく、その「談話の主題」を話し手が上手く伝達できていないために、聞き手は「わからない」と言ってるに違いありません。
「談話の主題」というのは目に見えない「情報」なわけですから、話し手の頭のなかでどのように構築され記憶されているのか、相手は直接観察することは出来ません。
さらに上で述べたように、「主題」というのがその時の話し手の意図次第で変わり続ける可変的存在であることが、「話題の主題」をよりいっそう捉えにくいものとしているんですね。
ですが「談話の主題」を捉える手がかりは、表層的な言語形式の中に確かに存在します。
テキスト形式で言うと、それが、これまでにご紹介した「名詞述語文」「とりたて助詞」といった主題標識による表現形式になるんです。
今回は、主題標識のうちで、上の2つの表現と同じ意味合いを持つ、「投げ出し提示」について紐解いていきたいと思います。
出来るだけ繰り返さないこと
まずは、名詞の投げ出し提示を見てみましょう。
Ⓐ『物価問題』、それこそが重要な課題だ。
そして、次は名詞句による投げ出し提示です。
Ⓑ『ドイツのM市』、そこへは我が社の若い行員が毎年数名づつ派遣される。
Ⓒ『パテに、冷肉に、上等の葡萄酒』、これが今日の私の献立なの。
さらに、インフィニチブと呼ばれる書き手の心の声を投げ出した表現方法があります。
Ⓓ『たぶん、彼はこないだろう』、それが私の心配の種だ。
Ⓔ『決してあきらめない』、そう、誓った。
いかがでしょうか。書き手が最も伝えたい核心がむき出しで投げ出されているのが読み取れます。
ここまで並べて見て、共通して言えることは、投げ出された後に必ず「それ」「そこ」「これ」といった指示名詞につながれているという形がとられていることです。
名詞句にせよ、動詞文にせよ「投げ出し提示」で放り投げたのなら、そのツケとして、指示名詞を使い後続文で回収しなければならないんですね。投げっぱなしは許されないんです。
要するに、「投げ出し提示」とは仮の断裂関係であるので、一度切られて、不安定な状態にはなるのですが、後続の述語説明文に改めてつながることで、まず、文内全体がいっそう安定し、さらに後続文にまで影響を及ぼしテキスト文脈までを安定させる射程を持っているということなんです。
後続文にまで影響を及ぼすとはどういうことなのかというと、投げ出された『物価問題』『ドイツのM市』という主題表示は、ワザワザ繰り返し明示しなくても省略という形で読み手の意識下に続いて行くということです。
『ドイツのM市』、そこへは我が社の若い行員が毎年数名づつ派遣される。遥か遠方の都市ではありながら、当社にとっては誠に縁の深い、その・・・・
といったように、投げ出し提示された『西ドイツのM市』という場所の話題は、次の主題がテキストに登場して取って変わるまで、読み手の意識下に刷り込まれていくんですね。提示としてハッキリ繰り返すことなくてもです。
日本語のテキストというのは、できるだけ主語・主題が繰り返し明示されないほうが読みやすいものとされているので、最初の「投げ出し提示」がそのあとの文まで飛び越えていくということは、後続文以降に主題の0(ゼロ)表示というものを可能にし、読みやすい流れるような文章表現ができるということになるんです。
それは、「投げ出し提示」を含む文がトピックセンテンスの役割を果たし、主語・主題を繰り返すことなく後続文脈が自然に流れていくことになると言ってもいいのでしょう。
一度分断されたことによって不安定な状態になってしまった読み手の思考。
それを解消しようとする意識にそった後続文を、書き手がどれだけ寄り添い表現出来るのかということが、読み手のテキスト解読推進力の促進に最も重要となってくるのです。