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京都観光案内 その裏に隠された物語のご紹介と、それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

鞍馬寺  毘沙門天立像  わずかな光のなかに道はある

はるか彼方を見すえる鞍馬寺の毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう)。

左手を額あたりにかざして、遠く、平安の都を見守っています。

北方から都を守護するため、秘境の霊山というその場所に立ち続けてきました。

ま昼でさえ漆黒のような暗闇に覆われる世界で、一筋の光として輝く王城鎮護の仏神。

拝観に訪れた人がその毘沙門天立像の前に立つと、悩みを抱えた心の闇を見抜かれ、光明をあたえられるのです。

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鞍馬の天狗

標高570メートルの鞍馬山の鬱蒼とした樹々に囲まれた山中に立つ鞍馬寺。ここに、どんな信仰があったのでしょうか。

770年、唐招提寺を開いた不屈の高僧・鑑真の弟子にあたる鑑禎(がんてい)が本尊毘沙門天を祀り創建します。

そこには、平安時代から中世にかけ、都を見下ろす山岳地帯で日々修業を重ねる修験道の一団、そう、山伏と呼ばれる異能の集団がありました。

神通力をもった「鞍馬の天狗」、それは彼たちのことです。人々の山伏にたいする畏敬の念から天狗という概念は生まれたのです。

畏れはまた祈りを生む。疫病や災害からの救い、この世の救いを求める都人たちの魂のよりどころ、それが鞍馬寺だったんですね。

インドからやってきた守護神

仏教を守護する天部たちは、いくつかのグループに分かれていて、毘沙門天が所属するのは財宝の神グループです。

これは現世利益を重視する富豪育成派閥であり、七福神を中心に形成されています。

弁財天、大黒天とともに七福神のメンバーである毘沙門天は、古代インドではヴァイシュラヴァナという神でした。

もともと天部たちは古来インドの神々であったのですが、中国を経過して仏教の神へと転身していったんですね。

インドの有名な叙事詩によると、神々の王である梵天から千年の苦行を課せられた毘沙門天は、北方守護の守護神を命じられるとともに、財宝の山が乗せられたプシュパカという天車を与えられたといいます。

つまり、北方守護神と財宝神という二つの特色を持つ天部が毘沙門天なのです。

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また、信仰対象としての二面性とは別に、自身のアイデンティティとしても二つの顔を持っています。

単独尊としては毘沙門天と呼ばれ、別の顔としては、四天王の一尊として多聞天という役割を担っていたのです。

インド神であったころから、方位神のなかでも毘沙門天は最高神とされていました。

なぜならインドでは、神々を抱く山、ヒマラヤが北に位置するので、北位がウッタラ(最高の)方向だと信仰されていたからです。

地蔵買うた四天王

もちろん、仏教神としても、この最高神の位置は変わりません。

四天王は、東方―持国天(じこくてん) 南方―増長天(ぞうちょうてん) 西方―広目天(こうもくてん) 北方―多聞天(たもんてん)=毘沙門天。それぞれが東西南北、各方位を守護しています。

東のじこくてんから、時計回りで、じ・ぞう・こう・た四天王、「地蔵買うた四天王、さいごは毘沙門さん」です。

なぜ、四天王が地蔵を買ったのか、それは謎なのですが、このゴロ合わせはぜひ覚えておきましょう。

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日本で見られる毘沙門天は、左右いずれかに宝塔を持ち、反対の手に宝棒もしくはほこを持つスタイルが多いのですが、チベット仏教や、いわゆるラマ仏教化した中国仏教では一風変わった様々な姿で表現されているといいます。

たとえば珍しいものだと、右手に旗を持ち、左手でマングースを抱えているという珍しい仏像があります。

マングースは蛇の天敵なので蛇の攻撃から身を守ってくれるという効果と、もうひとつに、マングースの脇腹を押すと宝玉を吐き出すという伝説があるので、その二つの功徳は、毘沙門天が持つ本質にみごと一致していたのでしょう。

名刹が山寺に多い理由

平安京の造営にともない東寺、西寺という大規模な官寺が整然と並びました。

私寺の建立には厳しい規制があったのですが、王城鎮護の名のもとに、例外的に許可された寺もいくつかあったのです。

それは坂上田村麻呂の清水寺、最澄の比叡山寺、和気清麻呂の高尾山寺(神護寺)、そして藤原伊勢人の鞍馬寺です。

いずれの寺も、遠く見下ろすことのできる山岳地帯に、都を守護する目的で立ち並んでいることは言うまでもありません。

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そして、暗間(くらま)という語源の鞍馬寺は、都の北方を守護しています。

この寺が建立する場所は、奥深く、ま昼であっても薄暗い、鞍馬山という霊山です。

そこは、この寺に祀られている魔王尊の住処として、闇の畏怖が強く感じられる神秘の境地なのです。

暗闇のなかの一筋の光に例えられた毘沙門天立像は、その境地に、しかめっ面で立っている。そう、深い闇があるから光は差すのです。

きっと、わずかな光のなかに、救いの道はあるのでしょう。