「文章」と「文」の違いをはっきりと意識する
「文章」というものを定義づけしようとすると、観点として、「文章」の単位性というものが重視されます。
「『メロスは激怒した。』という(文章)は名文なのだろうか」
「新聞の社説の(文)は読みにくい」
という言い方がよくされますが、これらは厳密には誤りで、
「『メロスは激怒した。』という(文)は名文なのだろうか」
「新聞の社説の(文章)は読みにくい」
と、されなければなりません。
まず、文章(テキスト)とは、ひとつひとつの文(センテンス)の集合体である、ということを自分のなかで明確に区分けづけることが必要になるのです。
そうすれば、次は、自然に文脈の存在というものを強く意識することになります。
文章のなかに複数の文が存在するからといって、それが必ず文章となるわけではありません。
そこに連続性を持つ文脈が存在してこそ、初めて文章として認められるんですね。
僕がゴルフをするときに、アプローチ技術で基本にしているのはピッチエンドラン。体を水平回転させることです。
という文連続では、なんとなく言いたいことは分かっても、そこに文脈の存在を読み取ることが出来ません。ですが、
僕がゴルフをするときに、アプローチ技術で基本にしているのはピッチエンドラン。ここでは絶対的な約束事があります。体を中心にしてヘッド軌道を丸くイメージし、体を水平回転させることです。
といった文連続で書かれていれば、そこに文脈を読み取ることが出来て、文章として認められるのではないでしょうか。
そこだけが光って見えるセンテンス
一つのまとまりとされた文章(テキスト)には必ず初めと終わりがあり、当然ながら、そのまとまりの前後には文脈はありません。
一つのまとまりとしてテキストは全体性が保証されていて、そこにはテキスト全体の内容を統括するある種の内容上のまとまりがあるのです。
文章にまとまりを与える表現にはさまざまなものがありますが、それは文章のなかに存在するひとつひとつの文(センテンス)のなかに秘められているんです。
たとえば、テキストを構成している数多くのセンテンスの中に、文章全体の連文情報をまるで繋ぎあわせていくかのような働きを持つセンテンスがいくつか存在しています。
ひとつのテキストを読み通そうとするときに、その、まるでそこだけ光るようなセンテンスを見つけることができれば、また違う意味で読み取り行為を楽しむことができるのではないでしょうか。
「このエッセイ読んでいて面白いな。」「この作家のコラムはやっぱり期待通りだな。」と、感じるテキストとはいったいどんな文章構成で書かれているのか。
重要なセンテンスと、その他のフォロー文がどういう組み立て構成で書かれているのかを読み取ることができれば面白いと思いませんか。
ではここで、非常にわかりやすいプロの技を参考にしてみましょう。
アプローチで一番大切なことは、狙った落とし所にきちんとボールを運ぶこと。寄せの「感性」を身に付けるには、狙った場所に落とす確率の高い技術が必要です。
僕がアプローチの技術で基本にしているのはピッチエンドラン。ここでは絶対的な約束事があります。体を中心にしてヘッド軌道を丸くイメージし、体を水平回転させることです。
丸く振っていくと、インパクトでボールに強くコンタクトしたりせず、体の回転に引っ張られてヘッドスピードが徐々に上がっていきます。体の回転にクラブの動きを任せると腕によるムダな力加減が入らない。だからパンチが入ったりユルんだりせず、振ったなりの距離がきちんと出せるんです。
加えて、体が水平に回転すると右肩が下がったりせず、ヘッドの上下軌道のズレが少なくなってザックリ・トップを減らせます。
「アルバトロス・ビュー」より
こうへいブログ補足【ピッチエンドラン】
グリーン周りからのショートアプローチの方法の一つで、ボールを空中に高く上げて邪魔になる障害物を回避しつつ、その落下後のボールの転がりを利用し、ラインに乗せてカップインを狙う、もしくは寄せるための打ち方のことを言います。
いかがでしょうか。上のテキストで最も重要となるセンテンスは下記の4つのセンテンスとなります。
Ⓐアプローチで一番大切なことは、狙った落とし所にきちんとボールを運ぶこと。
Ⓑ僕がアプローチの技術で基本にしているのはピッチエンドラン。
Ⓒ体を中心にしてヘッド軌道を丸くイメージし、体を水平回転させることです。
Ⓓ振ったなりの距離がきちんと出せるんです。
この4つの名詞述語文によるセンテンスを中心理論としてテキストが構成されているのを読み取ることが出来ます。
そう、これらピックアップされた文を読むだけでも、書き手が大まかに何が言いたいのかが、わかりやすく伝わってきます。
あとは、「丸く振る」「ヘッドスピードが徐々に上がっていく」「腕によるムダな力が入らない」「振ったなりの距離がだせる」と、動詞文の説明によるフォロー文が次々とテキストを完成させていくのが読み取れるんです。
やはりゴルフというスポーツの指南書テキストなのですから、当然、最も必要となるのは「動き」を説明する動詞述語文による解説なのですが、それらの動詞文を客観的に並べていくだけでは読み手に伝わりやすいテキストとは言えません。
書き手の最も伝えたい主観、主張が示された名詞述語文が、適度に、テキスト内に散りばめられてないとならないんですね。
ようするに、テキストの2層構造という本質をなぞるように、主観と客観を交互に示すことで、読み手に強くアピールするメリハリが必要となってくるのです。
ちなみに、第1段落では、2つめのセンテンスが、
寄せの「感性」を身に付けるには、狙った場所に落とす確率の高い技術が必要です。
「必要だ」という形容名詞文(名詞文)で書かれているのですが、これを名詞述語文と捉えて、テキスト構成としてトピックセンテンス(中心文)をいきなり3つも続けてしまうよりも、この2番目の文章を、
寄せの「感性」を身に付けるには、狙った場所に落とす確率の高い技術が必要になります。
という、動詞述語フォロー文に変えておいたほうが、本当は、メリハリが効いていいのでしょう。
原文では(形容)名詞述語文ですが、わかりやすくお伝えするために今回は、引用枠内ではあえて太字にしませんでした。
形式名詞
4つの名詞述語文を例示しているのですが、Ⓑは「ピッチエンドランだ」という名詞述語文の「だ」を省略しただけの形になっているので、「Ⓑは名詞述語文だ」とすぐにおわかりいただけると思いますが、あとの3つに文に関しては、ピンとこないかたもいらしゃるかもしれません。
Ⓐの「大切なことは」「ボールを運ぶこと」、さらにⒸの「水平回転させることです」に使われている「~こと」は、「もの」「の」「とき」といった言葉と同じく形式名詞と呼ばれています。
「こと」が最後につくことで、「体を水平回転させる」という節全体が名詞化され、「体を水平回転させること」という、ひとつの名詞となるんです。
動詞述語文に「こと」がつくことで名詞述語文に変わってしまうんですね。
またその名詞述語文は、「体を水平回転させることが 必要になってくる」というように、ひとつの文の成分になり主語としての役割も果たします。
要は、名詞化することで体言となり、格助詞「が」「を」「に」などが付けられて複文に組み込むこともできますし、「~こと」と言い切ることもできるということなんです。
Ⓓの「距離がきちんと出せるんです」も同様で「ん」が形式名詞になります。
先ほど「の」も「こと」「もの」と同じく形式名詞の働きをすると説明しました。
「距離がきちんと出せる(の)です」と、書き変えても違和感がないのがわかるように、「ん(n)」というのは「の(no)」がつまった形(no→n)なんです。
音を響かせているのを聞きながら 家賃が入って来ないんだそうだ
「んです」という表現は、「のです」に比べて話し言葉でよく使われるとされていて、エッセイやコラムなんかにもよく使用されるらしいんですね。