京都案内  こうへいブログ  

京都観光案内 それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

高台寺  秀吉とねね ふたりで築いてきたもの

ねねという女性(ひと)

洛中の七条通りを東の方角へ突き当るまで進み、京都女子大学のある坂を越えてさらに進むと、五百段もある大階段が見えてきます。

その気の遠くなるような長い階段をのぼりきったところにあるのが、豊臣秀吉の墓である豊国廟です。

はるか昔、菩提を弔うために、週に何度もこの場所へと、階段をのぼり通い詰めた一人の女性がいました。

秀吉の出世を陰で支え続けてきた、ねねという女性です。

彼女は秀吉の正室でしたが、子供を授かることはありませんでした。豊臣の後継者になった秀頼は、側室の淀殿が産んだ子供なのです。

秀吉の死後、しばらくすると、ねねは剃髪して出家し、高台院湖月尼として高台寺という寺で残りの余生を過ごしたんですね。

ねねが出家したのは51歳のときでしたが、その後の26年間という長い歳月を、秀吉の思い出とともに高台寺で一人で生きていくことになります。

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清水寺と祇園という花街のちょうど中間に位置する高台寺の周辺は、行き交う観光客たちでつねに賑やかな場所でもあります。

そして、円山公園の南側から霊山護国神社の参道までの道が、「ねねの道」と呼ばれる石畳の通りです。

これは平成11(1998)年に、秀吉没後400年を記念して整備されたものなんですね。

君はますます綺麗になった

歴史上の貴重な史料として、あの織田信長がねねに送った一通の手紙が現在に遺されています。

「この地へ初めて越し、見参に入り、祝着に候」からはじまる、安土城を訪れたねねに対しての、信長からの礼状です。

この時、両手に抱えきれないほどのみやげ物を用意したねねは、目いっぱいオシャレをして安土城の信長のもとを訪れているんですね。

そして信長は、「しばらく見ないうちに、ホントに、ますます君は綺麗になった。禿頭の藤吉郎(秀吉)が君のような女性を失うようなことが、もしあれば、奴は立ち上がることはもうできないだろう」と、書き残しているのです。

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そんなねねが秀吉のもとへ嫁いだのは、秀吉がやっと足軽頭になったころで、秀吉24歳、ねねはまだ14歳の幼妻でした。

そう、まだまだ、明日のコメにも困るような貧乏だった時代に二人は夫婦になっているのです。

茅葺の貧しい長屋で行われた祝言の式の日、タタミも敷けず、ワラの上に薄べりを敷いて粗末な盃で三三九度の盃を交わしました。

でも、二人とも本当に幸せでした。若かったあの頃、二人を包む世界のすべて、何もかもが輝いていたのです。

そして秀吉はこの後、めきめきと天性の才覚を発揮させていき、信長のもとで出世街道を駆け上がっていくことになるんですね。

ひとつの賭け

結婚12年目となる天正元年のこと、織田軍は越前の朝倉、近江の浅井を滅ぼすのですが、このときの秀吉の貢献度は非常に大きく、その軍功は認められ、近江北群12万石の大名になります。

さらに、翌2年には、琵琶湖の湖岸地域である長浜に自身の城を、ついに築き上げたのです。

この新興の城下町を盛り上げていくために、秀吉はひとつの賭けにでました。

一定の長期間、町人たちに年貢諸役を免除することにしたのです。つまり、税金をまけるという、とんでもない政策をうちだしたのです。

これは、秀吉の想定していた以上にもの凄い反響を呼び、他領からの転入希望者で長浜の町は溢れかえることになります。

次第に収拾がつかなくなってきたために、やはり、秀吉はこれを撤回しようとしたのですが、それを制止したのがねねでした。

赤い血を垂れ流し続けるような苦しみを背負っても、今はこれを撤回してはいけない。ここで民心を失ったら取り返しがつかないと、免税を続けるように秀吉を説得したのです。

その結果、この我慢が実を結び、長浜は近畿内でも有数の発展都市へとなっていき、豊臣家の財政を大きく支えていくようになるんですね。

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めぐり逢い

秀吉の晩年の、最後のビッグイベントといってもいい醍醐の花見。

慶長3(1598)年3月、上醍醐から下醍醐まで醍醐寺の広大な境内を埋め尽くす万朶の桜に参加者たちは酔いしれていたのです。

この花見の宴は、豊臣家の女性たちに日ごろの憂いを散じてもらうようにと、秀吉の思いが込められ企画されたものでした。

いや、表向きにはそういうことになっているのですが、本当は、自分が余命少ないことを覚悟していた秀吉の、おそらく最後になるかも知れない、ねねにささげる贈りものだったのでしょう。

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「本当にいろんなことがあった。泣いたり怒ったり・・・。ついに、君との間に子は授からなかったけど、そんなことは大したことじゃない。こんなしがない世の中で、よくぞ、君というひとにめぐり逢えたもんだ」

舞い落ちる桜の下で、ねねの横顔をぼんやりとながめる秀吉は、そんなふうに、ひとり思いふけっていたのです。