同定文と記述文
前回は、「ガ」句と「ヲ」句という二つの「提示機能」を使った主題提示のあり方を説明させていただきました。
a)関取の中では、荒駒が、最も腰が強い。
b)私は教官の行動を不審に思った。
a)b)は共に、「他の誰でもない荒駒が」「他の何に対してでもなく教官の行動だけを」という限定表現の付け加えが可能であり、
c)関取の中で、最も腰が強いのは、荒駒だ。
d)私が不審に思ったのは、教官の行動だ。
という顕題文の裏にある、隠された陰題文であるという意味合いを含みます。
「ガ」句と「ヲ」句は、主格「が」、対格「を」という格助詞の機能だけではなく、こういった「提示機能」の役割も果たすんですね。
顕題文と陰題文の関係に見られるような、主語Aと述語Bが入れ替え可能な文を「同定文」と言います。「AはBだ」を「BがAだ」に変えられるということですね。
それに対して、記述文の「AはBだ」の方は、その種の言い換えはほとんど出来ません。
同定文
e)幹事は私です。→ 私が幹事です。
記述文
f)象は動物だ。→ ✖ 動物が象だ。
このように記述文の方は、よほど特殊なコンテキストでない限り、許容しがたい文になることがわかります。
記述文というのは、あくまで、ある対象の属性を記述する文です。その指示対象がどんなものかを記述するだけなんですね。
また、次に示すように、記述文は同定されているわけではないので、あらたな属性記述をいくつでも付け加えることができるのです。
g)私は学生で、主婦で、一児の母でもある。
一方で、同定文は、ある対象を他の対象によって同定する文、つまり、その同一性を述べる同一認定解釈を持つ文なんです。
だから、一度同定が成立すれば完結してしまうので、それ以後にあらたな同定を重ねることは不可能となります。
次に示す文が許容できないのは、そのためなんですね。
h)✖ 今日の当番は私で、中井さんでもある。
i)✖ 私が今日の当番で、中井さんでもある。
書き手が最も伝えたい「コト」概念が指示対象に言い換えられ同定された一文、その一文を読み手に提示することを核として、全てのテキスト展開は始まります。
つまり、「モノ」概念ではなく、【その時】の【唯一】の「コト」概念を指示対象に置き換えることで、同定文として読み手に差し出すということです。
つまり何? 言い換えれば何? 他でもない何? 要するにどういうコト? 書き手は伝えたい核心を概念化し、読み手にその主張を提示するんですね。
それでは、松本隆さんが作詞された松田聖子さんの名曲「小麦色のマーメイド」における、松本さんが聞き手にそっと差し出された同定文を探してみたいと思います。
小麦色のマーメイド
歌:松田聖子作詞:松本隆
1番)涼しげなデッキ・チェアー ひとくちの林檎酒
プールに飛び込むあなた 小指で投げ KISS
WINK WINK WINK
常夏色の夢 追いかけて あなたをつかまえて 泳ぐの
わたし裸足のマーメイド 小麦色なの
2番)灼けた素肌にキラキラ 冷たい水しぶき
ひどいわ まどろむわたし しっかり狙ったの
WINK WINK WINK
すねて怒る君も 可愛いよ 急にまじめ顔で つぶやく
嫌い あなたが大好きなの 嘘よ 本気よ
常夏色の風 追いかけて あなたをつかまえて 生きるの
わたし裸足のマーメイド 小麦色なの 好きよ 嫌いよ
言うまでもないですね、そう、
「常夏色の風 追いかけて あなたをつかまえて 泳ぐの」
「常夏色の風 追いかけて あなたをつかまえて 生きるの」
「他の誰でもない あなただけをつかまえて」という思いが込められたこの2行です。
「私がつかまえて泳ぐのはあなただ」「私がつかまえて生きるのはあなたです」
1番の歌詞を「つかまえて泳ぐ」という、ただの移動動詞にして、2番の歌詞で「つかまえて生きる」という壮大なスケールに一躍させて表現する。
核心に迫る言語表現とは、まさにこういうことなのではないでしょうか。
さすがは、これまで手掛けた楽曲の総売り上げ枚数が5000万枚を突破する、稀代の天才作詞家の仕事ですね。