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京都観光案内 それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

連体修飾節を駆使することが出来ればスラスラと流れるような文章が書けるようになる

長文を自由自在に

日本語における「複文」、つまり複雑な「文」というのは、いったいどのような構成で作られているのでしょうか。

一般に実用文では1文平均50文字が理想的な文字数だと言われてますので、1文100字を越すような「複文」になると、頭から読み下してそのまま理解することが若干難しくなってくるようです。

だから「文は短く、短くと心掛けて書くべきだ」と、どの作文入門書にも書かれているわけですが、やはり、字数にこだわることなく長文を自由自在に操って読み手に文意が通じるように書けるようになりたいものです。

では、どうすればいいのか。その答えはただひとつ。これは、「複文」として組み立てられているパターンにはどのようなものがあり、それぞれどの様な特質を持って表現されているのか、ということをまず徹底的に分析・比較するしかないんですね。

 

日本語の「複文」は「従属節」と「主節」で組み合わされていて、従属節というのは単独では使用されず、常に主節に従属しているものをいいます。

つまり、主節とは別に、独自に主語と述語が埋め込められているわけではあるのですが、最後は主節に身をゆだねていくというのが従属節の構文的職能になります。

従属節のパターンは大きくふたつにわかれていて、ひとつは①連体修飾節、もうひとつが②連用修飾節と呼ばれているんですね。

①連体修飾節は名詞に付属して、その名詞を詳しく説明します。例えば、

康平は、律子が結婚した(うわさ)を聞いた。

という文の場合、主節のなかに名詞として登場する「うわさ」の部分をより詳しく説明するために、「律子が結婚した」という具体的な内容を表す節が「うわさ」についているのがわかります。

名詞のことを「体言」と言いますので、体言に連なって修飾するという意味で連体修飾と呼ばれるわけです。

それに対して、②連用修飾節というのは主節に直接的に従属する働きをします。

鳥が飛んだので、馬が驚いた。

という文では、「鳥が飛んだ」という主語と述語の入っている従属節が、接続助詞「ので」を伴って主節である「馬が驚いた」という主節にかかっていくんですね。

「ので」という原因・理由の概念を持って「馬が驚いた」という主節に対して、倫理的関係を示しているのです。

縦と横に織りなす言葉

わかりやすく「複文」を分析するために、今回は①の連体修飾節を分析・比較していきたいと思います。

連体修飾節は、名詞を限定するという性格上、主節に影響を及ぼしません。全体の文の構造を損ねることなく複雑な内容を1文の中に盛り込むことが出来るんですね。

②の連用修飾節の場合は、主節の述語を単位として事態を一つひとつ時間軸の上に設定して、主節と従属節の時間関係が示されますが、連体修飾節は時間関係をハッキリさせることはありません。

つまり、論理関係を厳密にしなくていいんです。名詞の属性内容を詳しく説明するのに時間概念は必要ないからです。

長い航海を終わって船体のペンキもところどころはげ落ちた船は、検疫のランチが到着するのを港外で待っている。

という複文の構造を見てみると、

名詞「船」に「長い航海を終わって船体のペンキもところどころはげ落ちた」という連体修飾節がついた従属節と、「船は、検疫のランチが到着するのを港外で待っている」という主節で構成されていることがわかります。

「長い航海を終わって船体のペンキもところどころはげ落ちた船」という節は、現在の「船」の結果的ありさまが、まるで「一枚の絵」のように説明されているだけで、時間概念はそこに存在しません。

あくまで時間概念があるのは、「船は、検疫のランチが到着するのを港外で待っている」という主節のほうです。

従属節を縦の説明文とするなら、時間の流れを持った主節は、横に流れる構文的機能を携えているといえます。

このように連体修飾節が混ぜられた複文は、縦横が織りなされた立体的な構造になることで逆に読みやすくなるんです。

わかりやすく説明するために、例文に、あえて「船は」の後に「、」を入れましたが、本来は読点は必要ありません。朗読すれば、わかってもらえると思いますが、

長い航海を終わって船体のペンキもところどころはげ落ちた船は検疫のランチが到着するのを港外で待っている。

というように、「、」を入れなければスラスラと流れるように一息で読み切ることが出来るはずなんです。なぜなら、

長い航海を終わって船体のペンキもところどころはげ落ちた船は 検疫のランチが到着するのを 港外で 待っている。

と分解してみると、述語「待っている」に向かって、各節を長い順に配置した「頭でっかち尻つぼみ」の文構造になっているのが読み取れるからなんです。

 

長い航海を終わって船体のペンキもところどころはげ落ちた船は 待っている。

検疫のランチが到着するのを 待っている。

港外で 待っている。

 

そう、この連体修飾節を駆使した「頭でっかち尻つぼみ」、というひとつの表現法則こそが、スラスラと流れるような文の提示を可能にするんですね。

たとえば、

となりの客はよく柿食う客だ という早口言葉を噛んでしまうのにも、ちゃんとした理由があります。

それは、 となりの 客は(2文節)→ よく 柿食う 客だ(3文節) というように、「頭でっかち尻つぼみ」の法則に逆流しているからなんです。

「よく」という文節がひとつ余計に置かれていて、流れを止めているんです。わざと躓くように構成してあるのでしょう。

うまく喋れない言葉を、いかに早く繰り返し喋ることが出来るのかを競い合うのが早口言葉遊びの趣旨なのですから、それも仕方ありません。

ですがこれを、 よく 柿食う 客が(3文節) となりの 客だ(2文節) というように、逆にひっくり返して法則の流れに乗せてしまうと、意味はまるっきり同じなのに、どこまでも流暢に言葉を繰り返していくことが出来るんです(笑)。