こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

京都観光案内 それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

糺の森  ひとびとが行きかう鎮守の森 光が地を包む

針葉樹じゃなくて広葉樹

日本の神様は、静かな暗い所がお好きなので、深い緑に包まれた森に鎮座されます。

いちばん好適なのは、スギやヒノキなどの常緑の針葉樹が立ち並ぶ、そんな場所です。

なぜなら、よく茂った樹々の緑葉が陽射しを遮り、うっそうと辺りを暗くしてしまうからなのです。

スギの木だらけの日光なんかは、それこそ神宮の森としてはまさに最適の場所なのでしょう。

日光ほどではなくても、やはり日本では、森のなかに建てられた社の周辺に針葉樹が立ち並んでいることが多いのです。

ですが、針葉樹ではなく、ケヤキ、エノキ、ムクノキといった落葉広葉樹を主林木とした、古代山城国の面影がそのまま遺された宮の森が京都市内にあります。

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それは、世界文化遺産・下鴨神社の境内に広がる鎮守の森で、「糺の森」(ただすのもり)と呼ばれています。

その面積は12万4千平方メートル(東京ドームの約3倍)、古代からの原生林がそのまま広がる宮の森であり、その真ん中を神社へと続く参道が貫いています。

糺すとは、只洲と書く河合(賀茂川と高野川)の州を意味していましたが、いつのまにか良否を「糺す」、つまり糺弾するという意味に代っていきました。

御祭神であるタケツヌミノカミが人々の争いを糺した裁判の地。そんな、伝説が生まれたからなんですね。

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古代の糺の森は、ムクノキやケヤキなどのニレ科の落葉広葉樹を主としながらも、シイ、カシ類といった落葉しない常緑広葉樹を交えて構成されていたと思われます。

でも、いっとき、シイ、カシ類は糺の森にはほとんど残らない状態になりました。これはいったい何故だったのでしょうか。

京都市内、つまり昔の平安京なのですが、南が少し開いていて、あとの三方が山脈のカーテンで閉ざされた盆地になっています。

ですので、冬は「京の底冷え」といわれる極寒の地となります。そう、市内平地に強い冷気がとどまって動かないのです。

だから、京都市内の北エリアにある糺の森では、この凍りそうな影響をモロに受けるために、温暖の照葉樹は育たないで落葉樹に変わってしまうんですね。

逆に、三方の山の傾斜地には低温がとどまらないので、東山に建つ清水寺や南禅寺は、常緑広葉樹のシイ、カシ類に覆われているのです。

新しい命 稚樹

冷温帯の落葉樹林ばかりだと枝葉がスカスカなので、キラキラと陽射しが差し込み、森が明るくなりすぎて、神様が鎮座されるのにふさわしくありません。

だからほとんどの宮の森では、針葉樹のスギやヒノキが人々から献木されて、意図的に暗くされてきたのです。

宮の森は神様が住まわれるところなので、みだりに人が入らない地域なはずです。

でも、糺の森は京都市中の人々が自由に無制限に日々行き交っていました。

陽射しが樹々をくぐるように地面に降り注ぐ、光りが地上を包み込む場所。

人にやさしく開放的な神様なのでしょうか。どこへでも入って、遊んだり、安らぎ休息することが許されていたのです。

それらは非常に好ましいことなのですが、ただひとつ問題がありました。

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人々が頻繁に訪れるので、土、つまり土壌が荒れてしまうために、稚樹(ちじゅ)が生えてこないのです。

稚樹が生えないということ、新しい命が芽生えないということは、やがて滅びることを意味します。

もちろん、京都市民たちはこれを黙って見てはいませんでした。

一部には土壌改良を行い、稚樹の生えるのを促進させるために、景観が損なわれないように気をくばりながら立ち入り禁止区域を設け、大切に見守ります。

春には植樹祭を企画して参拝者の植樹をいただき、ニレ科の稚樹だけでなく、その他の落葉樹を加えるなど、皆一丸となってあらゆる手が尽くされています。

そんな試みからすでに30年の月日が流れ、若木が林内に目立つようになり、ひとり生えの稚樹も増えてきました。

突然の災害が変えたもの

1934年の室戸台風と、翌年に起こった大洪水は京都市中に尋常ではない被害をもたらしました。

糺の森も例外ではなく、数千本の樹木が消えてしまったのです。

そのあと復興のために、時の内務省から配布されたのが、クスノキをはじめとする常緑広葉樹でした。

このクスノキたちがどんどんと勢力を伸ばしていき、糺の森の風景を少しづつ変えていくことになります。

大樹が空を隠すようなエリアが出来始め、常緑広葉樹と落葉広葉樹が共存するような世界へと変わり始めたのです。

本来、南国をふるさととするクスノキは、もともと京都盆地には分布しないのです。

京都市の天然記念物である青蓮院の大クスノキなど、有名な大樹のクスノキは市内に多いのですが、すべて植栽されたものなのです。 

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でもふと考えると、「京の底冷え」の糺の森では、常緑広葉樹は生存出来なかったのではないか、という疑問が残ります。

たしかに1980年ごろまでは、クスノキたち常緑種は寒さのために枯れ戻ることが多かったのです。

ですが、この頃から日本では、大きな気候変動が起こってきました。

そう、この糺の森でも、地球温暖化の影響で常緑種が優占種へと変わりはじめていたのです。

そして近年では、スギ、イチョウ、シイなども少しづつですが増えはじめていることが分かってきました。平均気温はどんどん上昇しているのです。

それでも、汗ばむ真夏のころ、糺の森のなかに入ればひんやりと涼しく、なんともいえない爽快感につつまれます。

境内から一歩出たアスファルトの下鴨本通りと馬場西側の落葉樹林、ふたつの場所の地上1・5メートルでの気温の違いは1・5度、地表面温度では10度も樹林のほうが低いことが検証されています。

ずっと昔から、親しみ集う京都市民たちにリフレッシュ効果をもたらしてくれる特別な宮の森。都市林として、これからもみんなを癒してくれるのでしょう。