宇治橋  茶道発祥の京都に生まれた銘茶

宇治橋には、三の間とよばれる上流に向かって、少しせり出した空間があります。橋の西詰から、三つ目の柱の間にあることから三の間です。足下には、宇治川が流れこんできて、上流に目をやると槙尾山と朝日山にはさまれた狭い川幅から激流がほとばしり出てくるのが見えます。心地よい開放感があふれた場所です。

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宇治橋の歴史は古く、7世紀には架橋されていました。江戸時代に偶然、付近の寺から日本最古の刻石文が発見されましたが、上の三分の一が出土品部分で、下の部分は「帝王編年紀」の記載によって補足されているものでした。それによると、646年に道登という僧が、急流のために人や馬が流されることをなげき架橋したと記されています。

この頃、物資や人々の往来には、北陸沿岸航路ー若狭越えー琵琶湖航路ー大津のコースが選ばれていました。大津のすぐ南西が宇治地域で、宇治川を安全に渡るための橋を確保することは、各地域の物資を、人口が集中する近畿へ運ぶ重要な意味をもっていたのです。道登は、僧侶の社会奉仕団の一員として、宇治橋が、重要な産業道路として架設されるのに尽力しました。

宇治川付近は、昔から京都に住む人たちにとって遊山の地でした。宇治上神社や平等院があり、景色もよく、なによりも、神がかり的に宇治川の水は澄んでいたと伝わっています。中世の頃、宇治川で獲れた鯉は、琵琶湖や賀茂川産の鯉と違って、クセがなく、とびきりのご馳走でした。

また、茶の産地や品種を飲み分けて勝負を競う闘茶(とうちゃ)が、当時流行っていましたが、宇治川の水を使った茶は格別の味わいで、すぐにわかったそうです。宇治川の川霧である「朝霧」も宇治の風物詩で、宇治茶がおいしいのは、この朝霧による恩恵もあるといわれてきました。

宇治地方といわれる山城平野南部は宇治茶の産地です。宇治茶は文化財的評価を受けるまで有名になりましたが、それは、水や朝霧の恩恵だけで、得られたのではありませんでした。

茶道発祥地の京都では、すぐれた技術による良質の茶の要求がもたらされます。それに応えるために、手もみ技術の伝統による茶の乾燥法があみだされました。一枚ずつ摘み取った茶の若葉を蒸し、それを炉の中で手で揉みながら乾燥させる。そのときの火加減と時間がむずかしく、熟練の技が必要とされました。一見原始的に見えて、実はもっとも合理的な製茶の技術が、良質のものを作り上げてきたのです。