路地裏をせくように歩く舞妓さん
紅殻格子(べんがらごうし)のお茶屋が立ち並ぶ、京都を代表する花街。軒下の提灯に明かりが灯りはじめる夕方になると、舞子さんが通りの角から少しせくように現れます。
そんな情緒を感じられる花見小路あたりが祇園(ぎおん)という街のイメージではないでしょうか。
いにしえからの祇園への思い
もともと祇園とは、祇(かみ)の園(その)という意味であり、スサノオノミコトである牛頭天皇を祀る八坂神社のことです。
承平4(934)年に社殿が創建された八坂神社は朝廷からの信仰を授かり、京都の民からも疫病退散・災難退散の神としてあがめられたのです。
人口の密集していた都であった京都に病気が蔓延したり、世の中が不景気になったりすると、世直しの神として祭礼が派手に行われました。
そんな信仰が現在の祇園祭りには継承されているんですね。
元禄まではのどかだった祇園
昔から神社の門前には料理屋・水茶屋・旅籠ができるもので、そのうち門前町がいつの間にか形成されいわゆる遊里となっていくのです。
元禄(1688年〜)頃まで、京都の遊里として有名だったのは島原と伏見の橦木町ですが、祇園一帯はまだ田んぼや畑がどこまでも続く景観で、社前に水茶屋があるくらいだったのです。
それが、元禄がすぎた宝永(1704年〜)の時代になると、遊里らしい繁栄がはじまり、1世紀後の文政(1804年〜)からは最盛期をむかえ、最も有名な花街としての歴史が続いていくことになります。
(現在は、遊里という昔の花街の概念とは異なります。芸妓を呼んで楽しむことのできる区域のことです)
抹茶スイーツの街 祇園
八坂神社の南楼門にある鳥居をくぐると、有名な二軒茶屋がそこにはありました。
西は藤屋、そして東は中村屋、参拝にこられる人たちの腰掛茶屋としてはじまり、いつしか食事も出来るようなお店になっていきます。
藤屋は明治初期に終わりましたが、中村楼は京都屈指の料理茶屋としてその姿をのこしています。
そこに併設されている「二軒茶屋カフェ」。こだわりのグリーンティーは、やっぱり飲んでおきたい一品。
ソフトクリームアイスと一緒にグラスに入っているのは、たくさんの小豆に抹茶アイス。さらに抹茶パンケーキも絶品なんです。
祇園はやはり甘味処・スイーツを味わう街なのではないでしょうか。
清冽な流れをたたえる白川のほとりにたたずむ「ぎおん小森」は、戦後50年以上お茶屋を営んでいましたが、平成9年に甘味処に生まれ変わりました。
評判の白玉クリームあんみつは、丹波の大納言小豆・吉野のくずきり・宇治の抹茶を使用したアイスクリーム。そんな、最高の食材で仕上げられています。
そして、創業百四十年の宇治茶専門店、祇園町南側にある「祇園辻利」。
その2・3階にある喫茶・都路里で絶大な人気を誇るのは、特選都路里パフェです。お薄用の抹茶を使っているので、きめ細かく後味にほんのりと抹茶がのこります。
それは、寒天にバニラや抹茶のアイス・抹茶カステラ・栗やみかんなどが入る、高さは約25センチの圧倒的なボリュームで頂けるパフェなのです。
いちげんはんお断りなのか
祇園のお茶屋(お酒なんかを嗜み、お座敷遊びの出来るお店)などでは、なじみではなく初めての客である一見さんはお断りのお店が確かに多くあります。
でも料理屋さんをはじめとしてほかのお店ではそうでもないはずです。いまどき、それでは商売にならないでしょう。
「いちげんはん、お断り」を貫いているお店も、格式ばった意地悪をしているわけでもなく本当の意味でのおもてなしをしたいからなんです。
客の望みを徹底して追及し、心底満足してもらうためにあらゆる努力をする。そのためには、客のことを知らないといけない。
見知らぬ初めての客だと、好みがまったくわからないから無理なんですね。
「いちげんはん」にも色んな人がいます。
宿泊している老舗旅館などを通してお茶屋さんに特別なルートを使って強引に来訪される客を、お茶屋さんでは「さしこみはん」と呼んでいます。
ちなみに、「えらいもん、ひきうけてしもた」の「えらいもん」は無理難題のことで、「えらいことしてしもた」は、立派なことをしたのではなく、とんでもないことをしでかしたという意味です。
また、「かなんな」というのは「かなわないなぁ」の略になります。
「かなん」には、絶対的否定の意味と、「どうしよう」というなんとも困惑した二通りの感情を表す意味があります。
「いやぁ、こんなんしてもろて。かなんな」これは、別に困っているわけではないのです。