それは歴史的発見
平成11年、神泉苑にほど近い京都市立西京商業高校のグラウンドが発掘され、極めて貴重な遺跡が発見されました。
それは平安時代の寝殿造り、貴族の邸宅と池泉庭園が、そっくりそのままの形で姿を現したのです。
池の大きさは、東西15メートル、南北40メートルとかなり大規模で、池のすぐ近くから、板を方形に組んだ井戸のような穴が見つかっています。
これが池に水をもたらす泉であり、ここから地下水を湧出させて、水路から池に流し込む仕組みになっていました。
そして、建造物の欠片を最新CGで組合わせ再現させると、複数の屋敷が池を取り囲むように配置されていたことがわかったのです。
平安京を流れる小川
豊かな地下水を利用した池泉庭園。そこには、梅や桜、楓、菖蒲など四季を彩どる樹々が埋め尽くすように植えられていて、霧雨が舞い降りると、そこはまるで桃源郷が広がる世界のようでした。
さらに、水は邸宅から敷地の外に排出される仕組みになっていて、そこから流れる清らかな水が平安京の縦横にいくつもの小川を形成させていたのです。
おそらく、ほとんどの貴族邸宅がこのような形式になっていたと思われ、湧き水を源とした池が平安京の各所に築かれていたのだと考えられています。
そこから流れる水路が碁盤の目状を沿うように走っていて、その流れる清水は庶民の生活を潤し、物資の輸送にも使われたのです。
京都市内で見つかった遺跡を見渡すと、いたるところに無造作に井戸の穴が発見されています。
その発見のなかで、平安時代から鎌倉、室町、江戸初期まで、造られたであろう時期に限らず、すべてに共通している事実があります。
それは、すべての時代において共通して見られるのですが、井戸の深さが非常に浅く、わずか1.5メートルほどしかないということです。
これはどういうことかというと、平安京ではどこを掘っても簡単に水を得ることができたということなんですね。
わずか2メートルも掘れば水が湧き出る場所。少なくとも江戸初期のころまでは、平安京の地下水位はかなり高かったのでしょう。
水道水ではあかんのです
京都の地下水が今も支えている伝統産業・伝統文化といえば、やはり、西陣や京友禅という繊維産業です。
作業を進めるのにいちばんの利点は、この地下水は「金気」(かなけ)が少ないということ。
金気というのは鉱物、そのなかでも気になるのが鉄です。鉄が多いと、鉄さびによる赤茶けた色が目に見えない微妙な加減で繊維に付着してしまうのです。
つまり、京都の地下水には鉄分がほとんど含まれないために、めいいっぱい染料の本来の色を引き出すことができるのです。
そして、酒・豆腐・漬物といった伝統食品にも良質の地下水は欠かせません。
唐の代の中国で生まれた豆腐は水気をしっかりと切った固くしまった豆腐で、日本のものとは食感が大きく異なります。
どちらを好むかはもちろん個人の味覚によって違うのですが、総重量の80%が水であるという日本の豆腐は、水をふんだんに含んだ柔らかい仕上がりになっています。
嵯峨野豆腐に代表される京豆腐の店舗は洛中のいたるところに見られ、街の真ん中でくみ上げた地下水を今でも使用されています。
水道の水ではあきませんのです。井戸水でないと大豆の香りが立たないのです。
その井戸水には一般の細菌や大腸菌は全く検出されないという調査結果がちゃんと行政によって出されています。
さらに、鉱物の含有量はどうなのかということも徹底的に調べられているのですが、水銀や鉛、ヒ素などの含有量は、すべて合格基準値の百分の一という少なさでクリアしているのです。
そして、注目すべきは、「硬度」を示すカルシウム・マグネシウムなどの数値。
硬度が0~100までだと、軟水とよばれるらしいのですが、京都の水道水は41で、井戸水は72という結果でした。
軟水なのに適度にカルシウム類が溶け込んでいるために、豆腐や酒の旨味を引き出すのに最も適した硬度となっているのです。
あふれる地下を泳ぐ
京都盆地を囲む三方の山々に降り注ぐ雨は、鴨川や桂川、宇治川などの河道によって盆地に流れ込みます。
それらの河道は長い歴史のなかで何度も変動しているので、水の流れていない無数の過去の河道が存在していることになります。
そうした今は宅地などになってしまっている過去に存在したもと河道の地下には、豊富な地下水が流れていることが多いのですが、これらは伏流水と呼ばれています。
数万年ものあいだに変動し続けた河道をすべて合わせると、それこそ、幅数キロにおよぶ巨大な目に見えない河道ができていることになります。
地表だけをとらえれば鴨川の流路は細い線に過ぎないのですが、地下に流れる伏流水の流路はかなり広い幅に違いないのです。
ですので、伏流水がそこら中に流れる平安京では簡単に井戸が掘られ、その上質の水源を確保することが出来たんですね。
それでは、これらの伏流水が流れる京都盆地の地下規模とはいったいどのようになっているのでしょうか。
何故、そんな大量の地下水を貯めこんでおくことが出来るのでしょう。
京都盆地の地下には、底にダイヤモンドのような硬い岩盤を敷く、巨大なお椀のような穴が口を広げています。
東西12キロ、南北33キロ、深層部はもっとも深い場所で800メートルにおよびます。
お椀といっても丸くはなく、くぼみが綺麗な、すり鉢状になっていて、その底にどんどん水が溜まっていきほとんど外に漏れることがないのです。
でも正確にいうと、すり鉢には岩盤がほんの少しだけ欠けた部分があります。
ちょうど天王山の麓あたりなのですが、欠け具合はきわめて小さいために、水の流出はほんのわずかの量なのです。
だから、地下水は入る一方でほとんど出ていきません。
まさに水を貯水するのに最も理想的なこの巨大な水甕に溜まった水の総量は211億トン。
琵琶湖の水量270億トンに匹敵する莫大な地下水は、今も、その水甕のなかでタプタプと揺れ動いているのです。