上賀茂神社  神奈備信仰の社  岩倉具視が復活させた葵祭

古代日本人の優れた色彩感覚

賀茂川上流にある御園橋(みそのばし)を渡ると、奥のほうに、上賀茂神社がしずまっているのが見えてきます。

丹塗りの鳥居と殿舎が、まるで王朝時代が再現されているように、青い杉の木立のなかに立ち並んでいるのです。

神社建築の丹塗りは、緑の山や林に対して、目に鮮やかな配色効果をもたらします。

これを選び残したことにより、現在も世界中で、古代日本人の優れた色彩感覚はそうとうなものだと絶賛されているんですね。

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神奈備(かんなび)信仰

上賀茂神社の中心信仰は、きわめて古い原始時代から、そのまま生きている形で行われています。

国の重要文化財を含む数十棟からなる壮大な本社は、神社の北に円錐形にそびえる神山(こうやま)に降臨するワケイカズチノカミを遙拝する施設です。

つまり、上賀茂神社は山岳信仰の社といえるのですが、それは、神奈備信仰とよばれている森や山そのものを神体としてあがめる信仰なのです。

また、上賀茂神社と神山のあいだからは、縄文土器や弥生式土器、石器も数多く発見されています。

これは、この付近に古代文化のひらけた年代が、三千年以前にさかのぼることを証明しているんですね。

上賀茂神社は、天武天皇の時代678年に現在の社殿のもとが造営され、807年には朝廷から正一位の神階をたまわり、下鴨神社とともに、国家鎮護の神として大切にされてきました。

そして819年、賀茂祭が朝廷のもっとも重要な恒例祭祀に準ずる勅祭となるのです。

賀茂祭が葵祭とよばれるようになったのは、江戸時代の初めからですが、牛車・勅使・衣装にいたるまで葵の葉で飾ることから、そう名付けられたのでしょう。

ちょっと行ってくるわ

葵祭は維新の混乱で明治3年から廃止されていましたが、明治17年に岩倉具視の力によって復活しました。

岩倉は、明治天皇とともに「ちょっと行ってくるわ」といって江戸に出かけ、江戸から東京と名を変えた場所に居座って、ついに帰って来なかったんですね。

岩倉は後ろめたさを感じていたのしょう。故郷が衰退していくのをなげいて、京都の再建案を次々に発議していきます。

葵祭も岩倉の発議によって、ついに下賜金をたまわり見事に復活することになりました。

ちょうど、この頃から琵琶湖疎水による日本最初の水力発電所、紡績工場や西陣織などの産業の電化、日本最初の市街電車の開通など、近世京都の基礎も整備されはじめることになるのです。