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形式名詞や形式動詞が日本語ではなぜ多用されるのか   「です」と「ます」の使い分け

このブログで何度か取り上げて説明していますが、日本語の文というのは、たった3種類しか存在しません。

Ⓐ薄っぺらのボストンバック、北へ北へと、向かった。 動詞述語文

Ⓑ人は悲しい。 形容詞述語文

Ⓒ長崎は今日もどしゃ降りの雨です。 名詞述語文

そして、その3タイプを丁寧形で表現すると、名詞述語文、形容詞述語文は必ず語尾が「です」で括られ、動詞述語文は必ず「ます」で括られることになります。

ハッキリと明確に区分されているわけではないですが、おおまか、書き手の判断や主張といった内容は名詞述語文と形容詞述語文で表現され、逆に、動詞述語文は客観的な「こと」が淡々と描写的に述べられるといった内容になっているんです。

「です」というのは「だ」を丁寧形にした助動詞なのですが、やはり「だ」という言葉には断定的要素が含まれていると言えるんですね。

なので、「だ」という言葉は描写を表現する動詞に付くことはできません。

標準語では、「食うだ」「寝るだ」「遊ぶだ」とは言えないんです。

段落としての文の組み合わせイメージで言うと、動詞述語文で細やかな内容が述べられ、名詞述語文、形容詞述語文でそれら動詞文をまとめ上げるといった感じでしょうか。

Ⓓ由子がピアノを弾き、ヒロシがドラムを叩く。そして、佳祐が歌う。SASは日本史上で最高のバンドだ。

Ⓔ恋に破れ、夢は消えた。人は悲しいね。

ただ、厳密に言うとタイプとしては3種類かもしれませんが、実際の文章提示というのは、それほど単純ではありません。

そう、日本語の文には、「形式動詞文」「形式名詞文」といった形式的な提示表現の文があるんです。

Ⓕ悔しさは大きな力に、許せないのは自分となる。 形式動詞文 「だ」→「となる」

Ⓖそこで登場したのが古畑任三郎である。 形式動詞文 「だ」→「である」

Ⓗ常夏色の風追いかけて、あなたをつかまえて生きる。 形式名詞文

Ⓘひとつひとつ掴んでみること。確かめること。 形式名詞文

「なぜ日本語には形式動詞や形式名詞が使われるのだろう?」と、ずっと考えていたのですが、最近、なんとなくわかり始めた気がするんです。

なぜ、なんとなくなのかというと、ネットで調べても明確な答えは出てきませんし、国立図書館で繰り返し探してもヒントになるような資料がなかなか出てこないんですね。

「形式動詞」や「形式名詞」が文法的にどういったものかという説明はくどいほどされていても、なぜテキストにそれを使うのか、なぜわざわざ変換させるのか、といった説明はどの本にも書かれていないんです。

ですが考え続けているうちに、わずかな手がかりようなものだけは、捉えることができた気がするのです。

形式名詞の種類は多く、「だ」に始り、「からだ」「わけだ」「はずだ」「ときだ」「ことだ」「ものだ」と限りありません。

動詞文に形式名詞を付けることで名詞化させ、さらに助動詞「だ」を付けて名詞述語文に変換させる。

客観的な動詞述語文を書き手の主張や判断が見える名詞述語文に変換させることでテキスト内の主要文へと位置づけさせようとしているわけなんです。

つまり主張の弱い表現を強い表現へと変えることで、動詞文に、答えである「焦点」的要素をもたらそうとしていることがわかります。

逆に、「である」「になる」「となる」といった形式動詞が付属する動詞述語文は、強い表現から弱い表現へとバイアスを変えようとしているのではないでしょうか。

Ⓕの例文のように、「許せないのは自分だ」と名詞述語で断定するのではなく、「許せないのは自分となる」と、どこか客観的な表現へと変えているからです。

まさに、このファジーというか、ハッキリと区分けしないところが日本語の特色なのではないかと思うんですね。

書き手の判断や主張、つまり「陳述度」の序列を各述語文の別に並べると下記のようになります。

①動詞述語文   陳述度 弱い

②形式動詞述語文 「ある」「する」「なる」  陳述度 やや弱い

③形式名詞述語文 「のだ」「ことだ」「わけだ」「からだ」  陳述度 やや強い

④名詞述語文   陳述度 強い

①から④へ向かって、上から下へと、数字が大きくなるほど陳述度は強くなります。

そして、それぞれの述語文が文脈形成されていくときは、数字の大きい文が数字の小さい文を包み込むような形で構成されている傾向が見られます。

つまり「文」を文章として並べた場合に、小さい数字の文が「前提」となり、数字の大きい文が「焦点」となる場合が多いのです。

たとえばひとつの「文」で見たとしても、「するわけだ」「あることだ」「なるからだ」という語順が日本語として自然なように。

ただ、世に出ているエッセイや記事なんかを見てみても、④のようなインパクトの強い名詞述語文というのはそれほど使われていない感じがします。

Ⓙ人魚をめぐる神話や伝説のなかでもっとも有名なのがギリシャ神話のセイレーンだ

Ⓚ紅葉の季節の京都、今、もっとも人が訪れるのが瑠璃光院です

といったような、指示対象を述語に配置して強く主張するような表現は、商品宣伝や販売目的のテキストでしか、あまり目にすることがないんです。

やはり圧倒的に使用されているのは、形式名詞述語文や形式動詞述語文なんですね。

でも、読みやすいテキストを構成するには「前提」と「焦点」が巧みに組み合わされた表現になってなければならない。

その呼吸イメージが仰々しくならないように、少し中和させた表現になるように、形式名詞や形式動詞は必要とされるのではないでしょうか。