テレビドラマなんかで、作家が机の前で原稿を書こうとしていて、最初の出だしがなかなか思いつかなくて苦悩している場面を見ることがよくあります。
「最初さえうまく書き始めることが出来たら、後は流れるように進めることができるのに」そんなセリフが聞こえてきます。
私たちがブログで記事を書こうとするときでも、確かにそういうことがよくありますよね。
ひとつの「文」も、それがまとめられた「文章」も、「前提」と「焦点」というループで構成されているので、どうしてもそうなってしまうのではないでしょうか。
何しろ、本当の書き始めだけは「前提」とする内容はどこにもないからです。
たとえば、
Ⓐ圭介は横浜へ向かった。というひとつの文で見ると、
圭介は(どうしたかというと)横浜へ向かった。という構造になっています。
「圭介は」が前提で、「横浜へ向かった」が焦点ですね。
指示対象の「圭介」に係助詞「は」を付けて提示するとき、「圭介」は読み手にとって「既知」の内容でなければなりません。
つまり「圭介」は先行文脈ですでに話題に上がってないといけなくて、それが「前提」の概念なんです。
ここで「圭介」が初めて登場するという設定なのだとしたら、係助詞「は」は使えないのです。
同じようにひとつの文脈で見てみると、
Ⓑ昨日はイセザキモールへ出かけましてね。
Ⓒ美味しいサンマーメンをだしてくれる店があるんです。
「Ⓑ。それはどうしてかというとⒸ」という理由を説明する構成になっています。
Ⓑが「前提」でⒸが「焦点」、Ⓒの「焦点」につくのが「のだ」という形式でしたね。
この場合でも、「昨日は、どこかへお出かけでしたか?」という「前提」で談話が進んでいたであろうことが想定できます。
「前提」から「焦点」が導き出され、その「焦点」が今度は新たな「前提」に変わるというループになっているんです。
このように文の主題提示や文章展開というのは「前提」と「焦点」の繰り返しで提示されていきます。
細かい「問い」と「答え」を繰り返し提示していくことで、テキスト全体という大きなテーマを貫く巨視的な「問い」と「答え」を読み手に伝える。
それが、テキスト展開の本質なんですね。
ループの展開のタイプは様々で、たとえば、
Ⓓはとがありを見つけました。
ありは木の葉につかまりました。
木の葉は船になりました。
というように、あらたに導入された「焦点」が次々と後続の文の「前提」となっていく線状的主題化による談話展開もあれば、
Ⓔクスリは飲むのがいちばん手軽です。
(飲むクスリ)にはいろいろな形があります。
まず顆粒状のクスリは、こまやかな粒になっていて、非常に溶けやすいので・・・・
胃でも働き、腸のほうにも効くのが三層錠で・・・・
いちばんよくあるのが、糖衣錠というツルツルした錠剤ですが・・・・
といったように、上位のテーマからいくつかの下位テーマが派生される「派生的なテーマによる主題展開」などがあげられます。
いずれにしても、談話主題をどのように伝えていくのかは、そのときの書き手の視点や思惑に左右されることになるのでしょう。