天龍寺   大方丈から曹源池の向こうに見る登竜門

 

後醍醐天皇の鎮魂のために造られた寺

天龍寺は暦応2(1339)年に、足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うために高僧、夢窓疎石を開山として建立されました。
尊氏によって吉野に追いやられた後醍醐天皇は、右手に剣を持ち、左手に法華経を持って、臨終の苦しみの中で「骨はたとえ吉野山の苔に埋もれても、魂は常に京都の御所がある天を望む」と言い残し亡くなりました。

これを聞いた尊氏は恐怖に怯え、光厳上皇院宣を得て後醍醐天皇の菩提を弔う寺の建設を始めます。もともと尊氏は天皇を尊敬していたので、吉野に追いこんだ事に対して、己自身に深い罪を感じていました。
そして戦争によって、むなしく命を落としたさまざまな生きとし生ける物の霊どもを和合させ、末永い平和を祈るために天龍寺は建てられたのです。


竜門の滝を模した石組み

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大方丈から見た曹源池の対岸の一番奥に滝の石組みがあります。この滝の石組みは、竜門の滝を模したものですが、この滝の途中に鯉魚石という石があり、これは黄河の竜門を登れば、鯉が竜になるという伝説を造形化したものです。

立身出世のための関門を意味する内容に、禅思想の影響が見られます。鯉が竜門の滝を登って竜になるという話は、ほかならぬ、この天龍寺という寺に最もふさわしい話ではないでしょうか。

 

明治維新で降りかかった災厄

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天龍寺明治維新の際に、とんでもない災厄にあいます。蛤御門の変において、ここに長州藩の陣地が置かれ、ここから出陣した長州藩兵が御所を守る薩摩藩と戦って敗れ、天龍寺に逃げ帰ってきた所を砲撃で追撃されました。これによって天龍寺の建物は、ほとんど全焼しました。

現在の建物は明治以降に建造されたものであり、古い面影を残すものは、ほとんどありません。ですが現在、大方丈に展示されている襖絵の雲龍図は、宝暦13(1763)年に描かれここにあった作品のレプリカです。
奇想の天才画家、曽我蕭白(そがしょうはく)34歳の時の作品ですが、しばらく立ち止まって見とれてしまうほどの素晴らしい雲龍図です。
本物はボストン美術館にありますが、頭尾のあいだ、胴体部分の4枚は残っていません。やはり明治維新の災厄の際に失われたのでしょう。 

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