こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

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(ボクハ ウナギダ)文  繰り返されることのない動詞表現

コンテキスト依存型

前回、ご紹介した奥津敬一郎(著)「(ボクハ ウナギダ)の文法」について、今回も少しだけ考察していきたいと思います。

奥津氏のこの著書は1978年に初版が発行されて以降、増版が繰り返され、文法書としては異例のロングセラーとなりました。

「ボクハ ウナギダ 文」という文が定型文のひとつとして呼称されるまでになり、テレビでも「わたしは スバルです」「やっぱり、俺は菊正宗」なんていう「モジリ文」のキャッチコピーを使ったCMが放送されるなどして、ウナギ文がそこら中に出回るようになったんですね。

「ボクハ ウナギダ 文」というのは、どういう文なのかというと、

僕は ウナギ  を食べる

僕は ウナギ  を釣る

僕は ウナギ  

というように、「食べる」「釣る」という動詞を、助動詞「だ」に置き換えた文になります。

ただ、「だ」型文の成立はあくまでそれまでの会話の流れ、文脈というコンテキストの存在を前提としています。

突然に、「ボクハ ウナギダ」などと言われてもあいまいさが出て通用しませんし、無論、外国人には理解できない文型となっているんです。

そう、「ボクハ ウナギダ 文」は、極めて合理的なコンテキスト依存型の言語なんですね。

だから、「君は何を食べる?」「君は何を釣るんだい?」と聞かれたとき、「ウナギを食べるよ」「ウナギを釣るんだ」とワザワザ動詞を繰り返さなくても、「僕は、ウナギだ」という答えで充分通じるということなんです。

いや、むしろその方が日本語の会話として自然なのかもしれません。

このように、「だ」とそれぞれの動詞には、ある対応関係があると考えられるんですね。

「だ」という助動詞は名詞のあとにつくことで、「ウナギだ」という名詞述語文を完成させます。

つまり「だ」は、動詞や形容詞といった用言と同じ役割を名詞に付与することで、代用として文の述部を成すんです。

「だ」は完了形にすると「だった」、丁寧体にすると「です」「でした」になるのですが、当然ながらこれらも「だ」と同じ文法的職能を持ちウナギ文を完成させます。

そして、ここからが重要なのですが、書き手が動詞を使って文を書くケースというのは、それまでの文脈が存在せず、読み手に意味が理解されない場合や、文脈の有無にかかわらず、動詞の意味を明示したい場合に限られます。

文章のそれまでの流れ、文脈からしてその意味が明らかであれば、動詞は使われることなく、「だ」が、その代用として動詞の位置に置かれるんですね。

文法的にシンプルにいうなら、ウナギ文というのは、動詞述語文を名詞述語文に変換させたものになります。

ウナギ文も含めて、コンテキストの存在があってこそ文意が通じる名詞述語文というのは、裏を返せば、それまでの文章内容をまとめ上げた表現がなされたひとつの文となっているはずなんです。

この本を読んでみて、あらためて私が確信したのは、やはり、文章全体をまとめ上げる力を持つのは、名詞述語文で間違いなかったんだということです。

そこには書き手の主観、判断が含まれていて、「要するになに?」「言い換えればどういうこと?」といった答えがそこに明確に提示され表現されています。

それに対し、動詞述語文にはそれまでの文脈全体をまとめ上げるといったような力はありません。

あくまでも描写的に、書き手の心理からすればどこか傍観的とでもいいましょうか、その事実の部分だけを具体的に淡々と述べたものにすぎないのです。そう、あくまで、どこまでも単発的な表現なんです。

程度の差を表すのが形容詞

ここからはウナギ文と少し離れた話になりますが、形容詞述語文もどちらかというと名詞述語文に近い表現概念を持ちあわせています。

同じ用言として、形容詞は動詞と一括りにされがちなのですが、じつはそうではなくて、形容詞述語文もそれまでのコンテキストをまとめ上げる表現力を持っているんです。

「嬉しい」「悲しい」「痛い」といった心理的表現はもちろんですが、「高い」「大きい」「広い」「狭い」といった形容詞にも話し手の主観が含まれています。

ある表現が形容詞として働いているかどうかは、その表現が「程度の差」を許すかどうかという基準で考えてみることが出来きるんですね。

たとえば「広い」と話し手が思った場合、話し手は知らず知らずのうちに、自分のなかにもっている基準とその対象を比較していることになります。

つまり、話し手のなかにスタンダードとして持っている「広い」に対する程度基準があって、題材として出てきたものに対して比較しながら心理的判断を下しているわけなんです。

それぞれの述語文を丁寧体にしてみると、動詞述語文は「ます」「ました」、名詞述語文と形容詞述語文は「です」「でした」に必ずなりますので、好きなエッセイや、「このブログいいなあ」と思えるような文章に出会えたら、どんな構成になっているか紐解いてみても面白いかもしれません。