下鴨神社    水の神がいる裁判発祥の地 糺の森

上下の両賀茂神社は、伊勢神宮と並んで皇室からもっとも崇敬されてきました。賀茂社の神に対する崇敬が特に厚くなったのは、桓武天皇の794年平安遷都からです。

賀茂社を司っていたのは、京都の東北に居を構える賀茂氏ですが、東南と西南に居を構える秦氏とともに京都の有力な一族でした。桓武天皇にとっては、平安遷都を成功させるためには両氏の協力が必須条件だったのです。

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そして、嵯峨天皇の時代から後鳥羽天皇の時代までの間、天皇の皇女は斎王として賀茂社の神に仕えました。これは、天皇が賀茂社の神に対して自分の最愛の娘を捧げるという行為を意味するのです。

このことが行われていたのは、皇女を斎宮に出した伊勢神宮と、斎王としての賀茂社のみでした。ここに賀茂氏が皇室と深い関係を持ち続けていたことがよくわかります。

賀茂氏は、上下の両賀茂神社をともにその祖先神としていました。上賀茂神社は神山にしずまるワケイカズチノカミを、下鴨神社はワケイカズチノカミ(子)の親神にあたるタケツヌミノカミ(祖父)とタマヨリヒメ(母)を賀茂御祖神として祀っています。

この親神はもとより水の神さまであり、その所在するところを糺の森(ただすのもり)といいます。糺の森は賀茂川と高野川の交わる、いわゆる河合にあります。

タダスは、只洲と書いて河合の洲を指していたのです。それが、いつのまにか正・邪を判定する(糺す)の意味にとられ裁判判決の発祥の地となりました。

タケツヌミノカミが古来、人民の争いを聞き出して判定したところだという伝説が生まれたからです。糺の森のすぐ南側に京都家庭裁判所があるのは、何か目に見えないめぐり合わせがあるのかも知れません。

「山城風土記」の伝説によると、タマヨリヒメ(玉依姫)が瀬見の小川に流れてきた丹塗りの矢をひろって持ち帰ったところ、たちまち矢は美男子と変わり、ヒメとのあいだにワケイカズチノカミを生んだとあります。

タマヨリヒメが瀬見の小川の神につかえる聖女であったことを伝えていますが、これは下鴨神社を水の神とする信仰があったことを物語っているのでしょう。