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尻尾のはなし ②アスペクト 「地」と「図」のバランス

ケイゾク

前回の記事では、「ボイス」と呼ばれる出来事における書き手の立場を表す概念について考察しました。

「する・させる」というように能動的な立場をとるか、それとも「れる・られる」といった受動的な立場をとるのかといった違いです。

引き続き、文末表現における重要カテゴリーとして、今回は「アスペクト」について少し触れていきたいと思います。

出来事がどのような「局面」にあるかを表すのがアスペクトです。文法用語では「相」と訳されています。

局面とはつまり、出来事が「完結」しているのか、それとも、まだ「継続」しているのか。それが、アスペクトの基本的概念となるんですね。

まずは、わかりやすく例文を見ていきましょう。

Ⓐヒロシはさっきごはんを食べ

Ⓑヒロシはさっきごはんを食べていた

ⒶⒷの共通点は、「過去」の出来事を表しているという点にありますが、Ⓐは「さっき」の時点で「ごはんを食べる」という事態が完結したことを表すのに対し、Ⓑは「さっき」の時点で「ごはんを食べる」という事態がまだ完結していないことを表しているんです。

「~ていた」、つまり、食べるという行為は、「さっき」まだ継続していたということです。

そのⒶⒷふたつの区分は、事柄の「全体」か「部分」か、と言い換えてもいいかもしれません。

事柄の全体が起きたのだとすると、事柄は完結したことになりますし、事柄の部分しか起きていないなら、事柄はまだ完結していなくて継続していることになります。

日本語では、事柄の全体が起きたことを表す(完結相)は「る(u)」と「た」で、一部分だけに起きたことを表す(未完結相)が「ている」と「ていた」です。

たとえば、「圭介は家から茅ヶ崎駅まで10分歩く(u)」は言えるのに、「圭介は家から茅ヶ崎駅まで10分歩いている」という言い方が出来ないという違いを見ればわかります。

「家から茅ヶ崎駅まで10分歩く」という事柄の全体が起きるのに10分かかるのだとすれば、その部分が同じように10分かかるということはありえないからです。

一つひとつが完結しないと前には進めない

では、実際に私たちがブログや文章を書くときに、アスペクトの表現をどのように意識し使い分けすれば読み手にわかりやすく伝えることが出来るのかを、参考例文をもとに検証してみたいと思います。


彼は、追われるように崖に近い岩陰に①とび込んだ。

その狭い空間には、多くの兵と住民たちが身を②かがめていた。兵の一人が、子供を抱いた女に銃を③つきつけていた。「いいか、子供が泣いたら殺すぞ。敵に気づかれれば、火炎放射器で全員がやられるんだ」女は、機械的に④うなずきつづけていた。

そのうちに、ふと笑うような泣きむせぶような低い声が、背後で⑤きこえた。

振り向くと、銃をつきつけられた女が、顔を仰向かせ、唇を⑥ふるわせている。女のかたくにぎりしめられた両掌の間には、ながい舌を突き出した乳児の首が⑦しめつけられていた。

「馬乗りがはじまった」駆け込んできた兵が、血の気の失せた声で⑧叫んだ。

そして、「ここにも敵が来るぞ、火炎放射器でやられるぞ」と、⑨言った。

住民も兵も、おびえたように⑩立ち上がった。          (工藤真由美 殉国)

この、一連の文章(テキスト)の時間的推移は次のようになっています。

(②―③―④) ― ⑤(⑥―⑦) ― ⑧ ― ⑨ ― ⑩

①⑤⑧⑨⑩といった、ル形・タ形(完結相)が出来事を前進させる働きを持つのに対し、(②③④)(⑤⑥)のテイル形・テイタ形(未完結相)が同時の出来事を表す働きを持っているのが見て取れます。

物語はル形・タ形(完結相)によって進められて行き、テイル形・テイタ形(未完結相)はその各部分の内部を広げていく役割を果たしています。

つまり、完結相で締めくくられたセンテンスだけが出来事を先に進めることができると言えるのです。

そう、一つ一つが完結していかなければ、コトというのは前には進まないんですね。

ただ、だからといって、アスペクトで最も重要視されるのが完結相だということでは決してないんです。

じつは、ここがお伝えしたい肝の部分なのですが、あくまでもコトを進めていくのが(完結相)なのだとしても、読み手が本当に注目するところは(未完結相)なんです。

そうなんです、逆に、淡々とコトが運ばれていくだけでは書き手の思いを読み手に充分に伝え共感させていくということは難しくなってしまうんですね。

本当に伝えたい大切なところや詳細に描写したい部分は、未完結相の表現を使って、立ち止まり広げていくことが必要になってくるのでしょう。

実際に上の例文「殉国」のなかで、その現実に思わず目を背けたくなってしまうけれど、強く印象に残る文は②③④及び、⑥⑦のセンテンスではないでしょうか。

例文の「殉国」は、絶妙なバランス感でテキスト構成されているんです。

まさに、文章表現の「あ・うん」の呼吸が必要とされるんですね。

そう、テキスト作成の核心的要素と言える2層構造(地と図)がここにもあぶり出されています。

文章全体のベースは完結相で進んでいき、詳細部は未完結相で語られていく。

ゲシュタルト心理学の「地」と「図」の概念にたとえると、背景となる「地」が完結相、詳細部の「図」が未完結相になるんです。

 

ゲシュタルトの法則

図と地(Figure and ground)とは、デンマークの心理学者であるエドガー・ルビンが明らかにした知覚現象のことです。
人はモノを見るときに無意識のうちにまとまりをもったものとして知覚する傾向をもっています。
そして、視野の中にふたつの対象が存在するとき、ひとつは形として目に映り、もうひとつはその背景を形成しているように捉えます。
ルビンは背景から浮き上がって見える部分を「図」として、その背景を「地」として区別しました。
そして図と地が入れ替わることで2通りの見え方をする図形を反転図形と呼び、その代表的な例として「ルビンの杯」(Rubin,1921)を考案しました。
「図と地」という言葉を初めて使ったのはルビンであり、これはゲシュタルト心理学やゲシュタルトの法則の重要な概念でもあります。

図と地とは?