こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

京都観光案内 それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

尻尾のはなし ①ボイス それは自分の意見か世間の声か

二者択一

世に出ている日本語文法の入門書のたぐいというのは、ピックアップされている重要項目がほぼ共通しています。

そこでは、①ボイス②アスペクト③テンス④ムード といった4項目が基本として構成されているんです。

ブログで記事を書くときでも、自分の書いた文章が何となくしっくりこない時は、この4つのうちのどれかを見直すことで大抵の問題は解決できると思います。

というよりも、書くときに試行錯誤をかさねてしまうのは、ほとんどこの4項目の使い方を無意識的に模索してしまっているからなんです。

どういうことなのかというと、これら①~④は、全て、文の最後の動詞述語に付ける言葉で表現されるものであり、まさに、そこは文の尻尾(しっぽ)のところにあたる言葉なんです。

そして、それらは例外なく二者択一という形がとられています。

①のボイスでは、(能動「する」 vs 受身「られる」)という対立、②のアスペクトでは、(完了「した」 vs 継続「ている」)という対立する表現のうち、どちらを選択するのかを示さなくてはなりません。

③のテンスは「た」という過去・完了形を選ぶのか、「る」という現在形を使うのかといった時制の選択になります。

最後は、日本語文法で最も重要視されている文法項目の④ムード表現になります。

ムードというのは、書き手の意思や気持ちを述べる主観表現です。

それは、書き手が文に主張や思いをいれるかいれないのかという、日本語の基本文の対比構造になっているといってもいいでしょう。

たとえば、「雪がしんしんと降っている」といった文の場合は、ただ事柄を述べているにすぎません。

これにムードを加えると、「まもなく雪がしんしんと降るだろう(推量)」「今夜は雪がしんしんと降るかもしれない(可能性)」といった書き手の気持ちが込められた文に変わるわけです。

ムードが加えられた表現というのは、そこに書き手の主観が示されるのですから、当然もっとも大切な日本語表現となってくるんですね。

まず世間の声を伝える

それでは、まず、今回は①ボイスについて説明していきたいと思います。

まず①のボイスというのは、能動態・受動態といった「態」という意味合いを持った文法用語のことを示します。

ようは、書かれた文の締めくくりが「受身」で書かれているか、もしくはそうじゃないのかで区分されているのだと捉えてもらうとわかりやすいかと思います。

ボイスという項目で核心的な要素となるのが、まさに、この「受身」に関しての表現です。

それは、「れる」「られる」という言葉が使われた受身表現のことなんですね。

書き手がなぜ受身表現を使うのかと言うと、「私」という存在を消し、事態を客観化させ読み手に伝えるためです。

たとえば、

Ⓐ赤穂浪士の討ち入りは今日、当時の世間にとっていかにも「当然だった」ように思われている。だが、本当にそうだったのか。

という例文の場合、「思われている」を使うことで、あくまで世間ではそう思われているが、「私」の思いはそのなかには入っていないのだということを示すことになるんです。

受身を使った部分に「私」の意見はなく、ここからつながる後続文脈に「私」の主張はあるといった、予告の意味も含んでいるんですね。

「思われている」という表現が使われた時点では、書き手は「一般的にはそう思われているんですよ」と伝えているにすぎないということなんです。

その一般的意見を、書き手自身が肯定するのか否定するのか、もしくは答えすらださないのか、それは、「また、つぎの話」ということなんですね。

 

また、記事を書いていて、文末を「れる」「られる」といった受身表現にしたとき、もし違和感を感じることがあれば先行文脈に「を」格が紛れていないか確認してみて下さい。

もし紛れていれば、文末を能動態に変えるか、文そのものを書き変えるほうがいいかもしれません。

「を」格でつながる受身表現も日本語の場合けっこうあるのですが、それでも、大抵はこれで解決できるんです。

受身・受動態の文は「が」格か「に」格で表現されていて、「する」「させる」といった能動態の文は「を」格で表現されていることが圧倒的に多いんです。

たとえば、下の例文を見てみて下さい。

Ⓑ警官隊はバリケードをとりのぞき、入口横のガラスを破って入口を開け、学生たちのゴボウ抜きが始められた

ある文章教本では、この複文は文法違反であり、センテンスとして受け入れることは出来ないと書かれています。

いわゆる主格(主語)の無断交代ですね。一つの文のなかで、「警官隊は(が)」という主格が、「ゴボウ抜きが」という主格に、いつのまにかすり替わってしまっているんです。

「警官隊は~を開け~始められた」という主述関係は明らかにおかしいので、正しい表現をするなら、

Ⓒ警官隊はバリケードをとりのぞき、入口横のガラスを破って入口を開け、学生たちのゴボウ抜きを始めた

と、能動態「を」格で統一しなければならないと、説かれているんです。

「を始めた」と改めると、「警官隊は」という主格が一貫して、筋が強くなるのがわかります。

受動文には「が」格・「に」格を、能動文には「を」格を、これを意識下において、最終チェックするだけで、気持ち良く文末を書き終えることができるんです。