こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

京都観光案内 それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

時の流れを表現する  「動き」と「状態」の描写を使い分けるには

アスペクト

皆さんがブログを執筆されるとき、そう、たとえば動詞を使って、一つの文の締めくくりを表現されているとします。

「走る。」「食べる。」「買う。」、確かに自分が書いている言葉なんだけど、妙に、何だかしっくりこないなと、感じられたことはなかったでしょうか。なにか、落ち着きが悪いというか。

そんなとき、「走っている。」「食べている。」と書き直すだけで、面白いほど、自分が表現したかった内容にピタッとハマったという経験をされたことがきっとあるはずです。

これはアスペクト(局面)と呼ばれる文法カテゴリーの話になるのですが、今回はそのアスペクトの法則を説明していきたいと思います。

「現在」「過去」「未来」、私たちは身に起きた出来事がどこの時点で発生したのか、もしくはするのかを常に意識しながら生きています。

「出来事」という概念は「事柄」と言い換えたほうがわかりやすいのかもしれません。

事柄が「いつ」起きているのかという時間的表現を示すことは、事柄の内容全体を話したり書いたりするのにとても重要な要素となります。

なので、どんな言語にも事柄が起きる「時点」を示す文法表現というものがあるんですね。

特に英語は時制(テンス)表現が充実していて、現在・過去・未来という時制だけではなくて、現在完了・過去完了・未来完了というものまで揃っています。

一方で、私たち日本語はどうなのかというと、まず、過去に起こった事柄を表す働きを持つ助動詞「た」という単語が真っ先に思いだされることになります。

日本語には英語の現在完了を表すような単語はありませんから、過去時制は、すべて「た」で表現するしかないんですね。

つまり、日本語で過去時制を表すことが出来るのは、「た」という単語、たったひとつだけしか存在しないんです。

残るは、現在・未来形の表現の仕方なのですが、たとえば、過去という形「走った」と対立する動詞の形を考えるなら、「走る」という言葉を誰もが思い浮かべるに違いありません。

過去時制「た」に対しての「る」という単語ですね。

補足になりますが、「行く」「泣く」「泳ぐ」などの動詞は「る」がつきませんが、必ず語尾が同じように(-u)で終わりますので、ここでは「る」と同じようにイメージしていただきたいと思います。

そして、ヒロシが走る という文がいつの時制を表しているのかと考えたとき、じつは、それは現在ではなくて、未来のことを表していることになります。

「今走る」と言っても、それはまさにリアルな現在ではなくて「すぐに、これから走る」という意味になってしまい、「走る」という言葉では今現在を表すことは出来ないんです。

ですが、日本語の時制を表すのには、「た」と「る」という対立構造しか使えません。言い換えるなら、「過去」と「非過去」という区分しかないのです。

英語のように独立した現在時制や未来時制というものはなくて、過去か、過去ではないんだという対立構造しか存在しないんですね。

そして日本語で現在進行を表すときに「る」は使えませんので、冒頭で少し触れたように「ている」「てある」という単語を使うことになります。

ヒロシが走る という未来時制ではなくて、ヒロシが走っている という現在時制で表現するということですね。

一時停止ボタン

描写には、時間の流れる「動き」と、時間を止める「状態」という2種類があります。

「走る」「落ちる」のような動詞表現というのは「動き」といういわば一定の時間内で発生する現象を表します。

そう、発話の瞬間というのは、まさに、本当の意味での瞬間なんです。

「走る」「飛ぶ」と口にしたとたん、すでに、発話の瞬間という時間の間には収まりきらなくなってしまうんですね。

だから「動き」を発話する時点で、もう未来のことを表すことになってしまっているんです。文字通り、言葉は「動き」出しているのです。

逆に「ている」「てある」を使えば、「状態」という動きを止めた表現が可能になります。そう、それは一枚の静止画のように描写されることになるのです。

今、現在の情況を言葉に置き換えようとするなら、一度、その流れを止めてしまわなければなりません。動画の一時停止ボタンを押さなければならないんです。

 

ここで、このアスペクトという文法概念を、「椿の花」を題材に紐解いていきたいと思います。

身も凍える過酷な冬のさなか艶やかに咲く椿の花は、散るとき、花弁と雄しべを一緒にさせて一瞬で落花していきます。

そう、一枚一枚と、ヒラヒラ散るのではなくて、ボトッと、一瞬にしてその最後を見せつけるように散っていくんですね。

話し手が 椿が落ちる と言えば、それはもうすぐ落ちる、ほんの先の未来のことを語っていることになります。

発話時という瞬間に重ねようとするなら 椿が落ちている という表現だけでしかできないんです。

落ちる一瞬のそのさまを肉眼で捉えることはおそらく相当難しいはずなので、「落ちる」ということが発生した後の事態も含めての言葉になるんですね。

わかりやすく見るために「今」という言葉を使って分析してみましょう。

今ここに本がある=今現在ここに本がある

のように、「ある」といったような状態動詞を使えば、厳密な意味での現在を指すこともできます。

でも、今椿が落ちたよ のように「た」形で使えば、「今」といっても実際にはほんの少し前に起きた過去のことを話してることになります。

そのため、✖今現在椿が落ちたよ と言えないように、「今」を「今現在」で置き換えることはできません。

それと同じように、今椿が落ちるよ と「る」形で言えば、実際には未来のことを表すことになり、「今現在」に言い換えると、✖今現在椿が落ちるよ と、これまた置き換えられないんですね。

ところが、◎今現在椿が落ちているよ という表現にすれば何の違和感もありません。まさに発話時の状態を取り上げているからです。

「ている」にみられる「状態」描写というのは、まるで静止画のように、「動き」という出来事全体のなかの「場面」を取り上げて表現されているのです。