貴船神社  和泉式部も訪れた 蛍が飛ぶ川のほとり

京都北方の貴船川の右岸に建つ貴船神社は、1300年前の建て替えの記録が残っているという古い歴史を持ちます。そして貴船の神は、賀茂川をさかのぼってこの場所にやってきたという伝承があるんですね。

今は貴船と書きますが、神が乗ってきた「黄色い船」、あるいは「木の船」の名を取ったもので、この船は、貴船神社の奥宮にある船形石の中に、閉じ込められていると言われています。

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貴船に船でやって来た神は、下上賀茂神社の創建とも深い関係のある玉依姫(タマヨリヒメ)です。玉依姫がここに来て、山の神を祀るほこらを建てたのが、貴船神社のおこりと伝わりますが、御祭神は、この玉依姫と高龗神(タカオカミノカミ)、闇龗神(クラオカノカミ)、罔象女神(ミツハノメノカミ)です。主神は、やはり農耕に最も必要な水を司る神として尊崇された高龗神ではないでしょうか。


貴船神社の奥宮までの参道の途中に、夫婦の仲を守る神を祀る結社(ゆいやしろ)があります。
平安中期の女流歌人として名高い和泉式部が、この社で祈願しています。夫の離れた気持ちが再び自分に戻ってくるよう願う和泉式部は、この時、ふりかかる苦境を一身に背負っていました。

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寛弘6(1009)年、藤原道長のすすめで、和泉式部は一条天皇の中宮彰子に仕えるようになります。やがて、道長の家司で武人でもあった藤原保昌と結婚します。ですが、二人の結婚生活はあまりうまくいっていませんでした。互いに相手を想う気持ちは強くあったのですが、プライドが邪魔をしてすれ違いの日々が続きます。

保昌は馬を駆け、矢を射ることを生業とする闘いが全ての武士であり、女を褒めることなど知らない不器用な男でした。そして、王朝で最も優秀な歌人と讃えられた式部は、真っ直ぐな感情で自由奔放に生きる女性だったのです。式部は保昌と出会うまでは、多くの男性から思いをよせられ、宮中の噂にのぼることも度々あり、上流階級のスキャンダルと呼ばれるかなり大きい事件を、いくつか起こしていたのです。

式部は、保昌に対してとどかない思いに苦悩しますが、さらに追い打ちをかけるように、娘の少式部内侍が、出産しようとして亡くなってしまうというまさかの出来事に、悲しみで心を打ちのめされます。

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この苦境のさなか式部は貴船神社に詣でています。式部は、神社の御手洗川に飛ぶホタルを見て「物思へば沢の蛍もわが身より憧れ出づる魂かとぞみる」と詠みます。すると社殿の中から、「奥山にたぎりておつる滝つせの玉散るばかり物な思ひそ」と貴船の神から返歌がありました。
貴船の神は、式部に「そんなに、思い悩まないでね。きっといいことあるよ」と慰めの言葉をかけたのです。

そして、式部がふと、後ろを振りかえると、式部の姿を物陰からそっと見ていた保昌がでてきました。

それは静かな夏の夜のことでした。
式部は保昌に手をひかれ、貴船川のほとりをゆっくりと歩いています。ほのかな灯りをつけたホタルたちが、二人の行方を照らすように無数に飛んでいました。