こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

京都観光案内 それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

外枠概念  ひとつひとつ つかんでみる 確かめてみる

前回の記事でスキーマという外枠概念について紹介しました。それは認知心理学の鍵概念で、ある事柄についての枠組みとなる知識のことなんですね。

現在自分が置かれている状況で何が大事な情報なのかを判断し、取得選択するときのカギとなるのが、このスキーマなんです。

非常に雑多な情報が溢れている世の中で、人はそれを絶えず意識に取り込み、捨て去っていきます。

すべてを記憶にとどめることはできないので、何が大事な情報なのかを見極め、注意を向けるか向けないかを決めていくんです。

人は注意を向けないものを何度見ても正確に記憶することはできません。

スキーマを通して、自ら選択された情報だけがとして潜在意識のなかに蓄積されていくことになります。

その意識の中に定着してしまった知識は簡単に翻ることはありません。

逆にいえば、新しい知識を取り込もうとするときには、そのスキーマというフィルターを通して理解することになるので、スキーマにそぐわない情報は無意識に跳ね返してしまうことになるんです。

スマホが嫌でガチャ系を使っている人に「AI」の話をしても拒絶されるのではないでしょうか。

アナログ思考という「スキーマ」がその人物の意識下に刷り込まってしまっているからです。

文章表現の展開も同じ理屈で、自分が感動した大自然の風景をいきなり「こと細か」に描写し始めてみても、読み手の意識のなかには、なかなか入っていかないのかもしれません。

感動を得た風景、場面の「中身」を読み手に伝えようとするなら、まず、「外箱」に見立てた「仮のスキーマ」を先に提示することこそが効果的な気がします。

一人称、三人称の表現に関わらず、主人公と読み手の「視点」をまず一致させる表現を試みる。

いきなり細部描写を描かないで、ひとつひとつ外枠を同化させていき、そのあとで核心に触れていくわけです。

正岡子規の写生文で見てみましょう。

自分が病気になって後、ある人が病床のなぐさめにもと心がけて、鉄網の大鳥籠を借りてきてくれたので、それを窓先に据えて、小鳥を十羽ばかり入れて置いた。其中にある水鉢の水を変えてやると、全ての鳥が下りてきて、争ふて水をあびる様が面白いので、病床からながめて楽しんでいる。

水鉢をおいてまだ手を引かぬ内に、ヒワが一番先に降りて浴びる。浴びようも一番上手だ。ヒワが浴びるのは勢が善いので、目たたく間に鉢の水を半分位、羽ばたき散らして了ふ。そこで外の鳥は、残りの乏しい水で順々に浴びなくてはならぬやうになる。それを予防する積りでもあるまいが、後にはヒワが先づあびやうとするとキンバラが二羽で降りてきて、ヒワを追ひだし、二羽並んで浴びて了ふ。其後でジャガタラ雀が浴びる。キンカ鳥も浴びる。暫くは水鉢のほとりには、先番遅番と鳥が詰めかけて居る。其様が実に愉快さうに見える。

考へて見ると、自分が湯に入る事が出来ぬようになってから最う五年になる。 (小鳥)

ここでは、水鉢の水を変えてから、鳥たちが水浴びを終えひと段落するまでの変化がきめ細かく描写され表現されています。

まず、「小鳥を十羽ばかり入れて置いた」「水鉢の水を変えてやると「病床からながめて楽しんでいる」と、自らの行動をひとつづつ確かめるように語る部分がその「外箱」の表現です。

ここが書き手の表現位置の提示文脈で、ここで読み手の視点が一致することになり、「ヒワが一番先に降りて浴びる」という箱の「中身」となる鳥の描写へとつながっていくんですね。

そして、「其様が実に愉快さうに見えて」と、小鳥たちが水を浴びる様子を眺める子規は、「考へて見ると、自分が湯に入る事が出来ぬようになってから・・・」という、今度は子規自身への心理描写へとつなげていくことになります。

そう、まるで箱の中身の構造が、さらに二重仕掛けになっているかのように。

この子規の手法は、もともとの俳句、和歌の革新を志すなかで鍛えられたものと言われているんですね。