こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

京都観光案内 それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

ナニワの求人広告  ②人情味あふれる奥深い街

時は90年代のはじめ、哲夫さんが勤務する「求人センター・ミナミ支社」は大阪・心斎橋のビル街の一角にありました。

哲夫さんが所属する営業部の主力商品は求人情報誌「ドーダ」の紙面広告。

その掲載枠を企業や商店に1ページでも多く販売することが営業社員の使命になります。

ようするに、中途採用の人材を募集する求人広告を依頼してもらえるように働きかける仕事です。

 

もちろん、この時代インターネットはまだ普及されているわけもなく、少年ジャンプや週刊文春と同じように、週刊販売されている一冊の雑誌に求人広告が掲載されていたんです。そう、一冊丸ごと全部が求人広告で埋めつくされていました。

おそらくほとんどの人が、求人広告というのは、欠員が出た会社が広告会社に電話依頼をして頼むものだと認識されていると思います。

ですが、電話で依頼を待っているだけではなく、「近いうちに求人を計画している会社」、もしくは、「なんとか今の人数でやってはいけてるけれど、いい人材がいれば採用したい」といった会社を営業社員たちは自ら探し出さなければなりません。

その掲載ニーズを探り出し、その需要にしがみつき、広告依頼を取ってこなければならないのです。

まあ、どの業界でも同じような現状だったと思いますが、依頼を待っているだけでは、とても営業ノルマをこなすことは出来なかったんですね。

このころ関西エリアだけでも「ドーダ」のライバル誌は他に10誌は販売されていて、中途採用を募集する企業もまだ多くありました。

広告枠を販売する営業社員たちは、ライバル誌の先週号のページを1ページづつめくりながらテレアポをかけていたんです。

先週号の掲載だと、応募者の反応結果がそろそろ出ているころなので、それを伺いながら、その結果が思わしくなければ自分のところの求人誌を使ってもらえるように頼み込むのです。

掲載されている広告には応募する人たちがすぐ問い合わせできるように、ひとつひとつの広告に電話番号が必ず記載されていました。

その結果、求人募集をかけている会社は、ひとたび広告を載せると、あちこちの求人広告の営業から電話がかかってくることになります。

そう、面接希望者からの電話を待っているのに、広告の売り込み電話ばかりがかかってくることになってしまうんです。

「あんたら、いい加減にしいや。肝心の応募者からかかってこないのに、あんたら求人会社の電話ばっかりひっきりなしやないかい」と人事担当者は、はらわたが煮えくり返っているので、タイミングが悪ければ怒鳴りたおされることになります。

でも哲夫さんに言わせると、実はここが「大阪」という場所の人情味あふれる奥深いところで、ただ冷たく突き放されるのではなく、感情をモロに表に出してストレートに怒りをぶつけてくる人が多いのです。

だから、その先の話の転びようによっては、「まあええわ、そこまで言うんやったら、1回、話聞いたろうやないかい、お~こらぁ」となるケースもけっこうあるそうなんです。

そして、もうひとつの新規開拓のアプローチ方法は、やはり飛び込み営業です。

当然、キタやミナミのある大阪市というのは大都会なので、そこら中のオフィス街にビルがひしめき合い建っています。

哲夫さんたちは、ひとつのビルのなかにあるオフィスを一件一件パンフレットを片手に訪問して回るんです。それは「ローラー作戦」と呼ばれていました。

ごくまれにですが、置いていった名刺とパンフレットを取り置きしてもらっていて、人材が必要になったときに電話をいただけるなんてこともあったそうです。というか、反応があるとしたらそれしかありえません。

当時、求人情報誌「ドーダ」(仮)は全国区のTVコマシャールでも紹介されていたので、世間には結構知られてはいました。

まあ、突然訪問してきた求人広告の営業マンに、「いや~ちょうどいい時にきてくれた。これから人を募集しようと考えてたとこなんや。さあ~どうぞ、どうぞこっちに」なんてことが起きることはほとんどと言ってありません。

なので、「ローラー作戦」をかけて、初めて訪問したその場で契約を取ってきたとなると、契約金額の大小問わず、他の営業社員たちからは一目置かれることになります。

なにしろ、ほとんどの営業社員は在職中にそんなことは1度も出来ずに終わるからです。

ですが、わずか3ヶ月という短い期間のなかで2度もそれをなしえた男がいました。そう、それが哲夫さんです。 (つづく)