画商を生業としていた私が都内のある百貨店で個展を開催したときに、作品を何点かお求めになり、それ以来親しくして頂いた社長さんがいました。
その社長さんは哲夫さんという方なのですが、若いころ、今とは全く畑違いの求人情報誌の広告営業を大阪でされていたらしいのです。
哲夫さんに聞いたその業界の話は非常に興味深く、いくつかのエピソードを本人のご了解をへて、みなさんにご紹介していきたいと思います。

ところで、「求人情報誌」、みなさんご存じでしょうか。
ちょうどバブルがはじける前後の時代、90年代のはじめごろですが、求人広告だけで埋め尽くされた一冊のぶ厚い情報雑誌が週刊で販売されていたんです。
いまなら「求人ボックス」とか「インディード」といったような媒体をネットでいくらでも検索できるのですが、そのころはネットなどもちろんありませんので、本屋で求人誌を買って転職先を探していたんです。
いちばんの大手出版企業はやはり「リ〇ルート社」でした。たとえば、男性向け正社員求人誌は「Bging」、女性向けは「とるばーゆ」、アルバイト募集は「フロム・ビー」という名にしておきましょう。
3誌ともにそれぞれの市場シェアのそのほとんどをリ〇ルート社がカバーしていました。
広告掲載料が最も高いのはやはり「Bging」、正社員を確保するためには、やはり、それなりのコストはどうしてもかかってくることになるからです。
広告掲載サイズもさまざまで、見開きカラー2ページからモノクロ1ページ、半ページ、4分の1ページと、サイズが大きくなるほど掲載料金もかかる仕組みになっています。
ですが、募集企業に高額の求人広告の掲載枠を販売するのには、哲夫さんが勤めていた時期はあまりにも苦しい時代でした。
なにしろバブルがはじけて、景気がどんどん悪くなっていくときに、社員を減らすことはあっても募集をかけようとする会社は急激に少なくなってきていたからです。
哲夫さんが勤めていた広告会社はリ〇ルート社のライバル会社のひとつでした。
求人募集をかける企業は取り敢えず「Bging」で掲載して、応募がなかったり、いい人材が確保できなかったときに、今度は哲夫さんの会社に依頼することも多かったようです。
哲夫さんが勤めていた会社を「求人センター・ミナミ支社」、情報誌を「ドーダ」という名前と仮にしときましょう。
このころ日が経つにつれて加速度的に景気は悪くなっていき、どこの求人誌も本の厚さはペラペラになっていました。
募集広告が減っていくということは掲載ページもなくなっていくということで、情報誌の厚さはうっすくなってしまうということなんです。
求人広告を企業に販売する営業マンの日常は地獄の日々といっても言い過ぎではなかったそうです。
朝礼では、薄くなった求人誌を机に叩きつけて上司は檄を飛ばします。灰皿やゴミ箱は投げられたり蹴られたりして空中を飛びかっていました。
「おまえら~、こんなペラッペラの本になって、恥ずかしないんかい。やる気あんのかい~」と、求人センターはもの凄いパワハラ環境だったんですね。
地獄の朝礼が終わると、「ドーダ」の広告を販売する営業マンの一日はテレアポ業務からはじまります。
ライバル誌の「Bging」やその他の求人誌の先週号のページをめくって、応募掲載している企業に片っ端から電話していくんです。
なにしろ募集広告には、住所、電話番号、担当者まで必要な情報がすべてそこに網羅されているわけですから。
まず、「わたくし求人センターの尾形と申しますが、人事担当の加納さんはいらっしゃいますでしょうか」と、担当者に取次ぎを頼みます。
「はい、人事の加納ですが」と相手がうまく電話口に出てくれたら間髪いれずに、
「実はわたくし求人誌(ドーダ)の求人広告を販売しているものなのですが、御社が(Bging)さんで求人募集されているのを拝見しまして、いわゆる募集効果はいかがだったのかと存じまして、その後、応募対応は順調に進まれていらっしゃるのでしょうか」
と、一気にまくしたてると、相手は大抵「う~ん、(応募は)あったといえばあったんやけど、いや、なんでそんなこと君に答えなくちゃいけないの」と返してきます。
「はい、恐れおおいのですが、もし(Bging)での応募者の反応が少なくご不満であれば、我が社の(ドーダ)の求人広告を一度試していただけないかとお電話させていただいた次第です」
たとえ慇懃無礼であっても、何しに電話したのかを人事担当者にストレートに伝えるにはこう言うしかなかったそうです。
まあ、ほとんどの相手は逆上して怒ってきます。「なんや、まるでウチに応募が無かったみたいな言い方して」「君あれか、反応のないこっちの不幸を喜んでんのか」「希望者がいっぱいで、どの人にしようか迷てるところや、残念やな」と厳しい答えばかりが返ってきます。

よく心が折れませんでしたねと哲夫さんにたずねると、「いや、ようは慣れやね。だんだん肝が据わってきて、罵られても平気になってくるんや。」「肝心なのは確率や。法則といってもいい。200件電話したら、10件はなんとかアポがとれる。そして、その10件のうちひとつが契約につながるかどうかや。」という答えが返ってきました。
さらに哲夫さんは、「いや、そんなことより大切なんは仕事をくれたお客さんに報いること。つまり、知恵を絞りに絞った広告を制作して、一人でも多く応募を増やし、面接まで呼び込むことに全力を注ぐことが大事なんや」と言います。
たとえば、ある会社に欠員がひとり出たとして、「ドーダ」に求人広告を掲載し応募があり、無事に面接が終わりめでたく中途採用につながったとします。
まさにそれこそが理想の形なのですが、一方で、求人センターとクライアントの付き合いはそれで終わります。
まさに1回きりのお付き合い。だからこそ、求人センターはその広告制作に全力を尽くさなければならないのだと哲夫さんは言うのです。
ただ、いくら仕事内容、企業メリットをわかりやすく詳細に掲載しても、給与、休日、福利厚生など、労働に見合った雇用条件が満たされていなければ人は採用できません。いや、面接の問い合わせさえこないでしょう。
本当に怖いのは「ドーダ」に求人広告を掲載いただいたのに、その掲載期間中に応募の電話が1本もないときです。まったく反応がない場合というのは、決して少なくありません。
ですがそれを上司に報告すると、「(なんとかもう一度チャンスを頂けませんか、今回はタイミングが悪かったにちがいありません)と言ってこい。おわびして、もう一回掲載してもらうんや」という指示がでました。そう、もちろん有料でという意味です。
哲夫さんはその上司の命令に従い先方を訪問し、出来るだけ慎重に言葉を選びましたが、湯飲みのお茶を顔に浴びせられたそうです。
まさに、この救いのない職場で、哲夫さんはこの後、次々と信じられないような人間ドラマを経験することになります。