あれから15年の日々が過ぎました。震災があった3月11日、私は東京で働いていて、絵画の買い付けや画廊での販売という画商の仕事を生業としていました。
その日は中途半端に仕事の空き時間ができたので、何線だったのかまでは憶えていないのですが電車で板橋区に向かっていたのは記憶にあります。
漫画喫茶に行こうと思い、電車のなかで、今乗っている場所から一番近くにある高島平の駅前に快活クラブがあるのを以前から知っていたので休憩しようと思ったのです。
でも、知ってはいたものの、10年近く東京に住んでいましたが高島平に行くのは初めてのことで、土地勘がまったくない場所でした。
今から思えば、何故あのような日に、はじめての街を訪れてしまったのかと、いまでも考えてしまうことがあります。
そして、店の個室でウトウトしていると、突然に大きな揺れがくるのを感じ、私はびっくりして立ち上がろうとしました。
すると、再び、今度はそれ以上に強烈な振動が襲ってきて、かつて経験したことのない大きな揺れを感じたのです。そう、午後2時46分のことでした。
私がいた場所は1階だったのですが、部屋を飛び出て廊下に出ると、振り子のようにグワングワンと凄まじい音をたてて天井が波打っているのを見ました。
それは足元の振動を感じなくさせるくらいの衝撃的な光景です。何しろ天井がスネークダンスしているように振り子運動をしているんですから。
これは天井が落ちてくるんじゃないかと思った私は建物の外に飛び出ようと走り出しますがうまく進むことができません。そのとき、はじめて、嵐に遭遇した船底のように地面が揺れているのを認識したんです。
なんとかフラフラになりながら駅前の大通りまで脱出すると、そこには尋常じゃない騒音が鳴り響いています。
建物が崩壊してたり、火が出ていたりということはありませんでしたが、とりあえず物凄く騒がしい場所になっていたのです。
鳴り続けるバスや車のクラクション、大声で怒鳴っている人たちがそこらじゅうにいます。
まだ数分しかたっていないのに、すれ違う人と罵りあったりしている人、泣いている人も見かけます。
「これは、ただ事ではないコトが起こった」と思いましたが、電波は遮断されているため、携帯で交通機関の何が今動いているかの情報を得ることはできません。
もう一度店に戻り支払いを済ませてからすぐさまに駅に向かいましたが、なんという素早さなのでしょうか、高島平駅は瞬間的に構内立ち入り禁止となっていました。
改札前に集まった人たちは外側から大声をだして、みんな猛抗議をしていましたが、近くに駅員はひとりもいないのです。
全員で停車中の電車を点検していたのか、もしくは控室かなんかを閉め切って息を潜めていたのでしょうか。そうとうな人数の駅員がいるはずなのに駅の外側からは誰ひとり見当たらないし音もさせないのです。
ただこの時の駅員の対応を目の当たりにして、早く行動を起こしてマイエリアに戻らなければならない、遅れれば遅れるほど帰れなくなるということだけは直感的に感じました。
タクシーはどれもこれも乗車中で、たまに空車が来ても、運転手の目は血走っていて止まってくれる気配はいっこうにありません。
最後の手段はただひとつ。そう、残された手段は路線バスに乗り込むしかないのです。

ただ路線バスもこれからターミナルを出発する便や回送車はすぐに車庫に閉じ込めてしまうに違いありません。
とりあえず何も考えずに今乗れるバスに飛び乗らなければならない。気がつくと私は赤羽駅行のバスに乗り込んでいました。
バスのなかは満杯の乗客たちで溢れかえり、一体いまどういう状況なんだという話でもちきりになっていました。
みんな、地震があったのはわかってるのだけれども、震源地はどこなのか、被害状況はどうなのか、電波はいつ復旧するのか、すべての乗客たちが不安にかられていたのです。
とりあえず私は赤羽駅に降り立ちましたがまったく土地勘がありません。ターミナルのバスも出発を見合わせているようで乗れる本数に制限が出てきた様子でした。
もともと関西の人間なので、時刻表に乗っている停車駅も聞いたことのない所ばかりでした。途方にくれていると、ちょうど目の前に一台のバスがきました。
「西新井行き」、よし、西新井ならよく知ってる、足立区にある4号線沿いの街だ。西新井大師があるところだ。
そのバスに乗り込んだころにはもう日が暮れ始めていました。自分では素早く行動しているつもりでも、とんでもない。あっというまに2~3時間は過ぎていたのです。
バスの客はまばらでしたが、若いカップルの二人が茨城県の大洗の海域の辺りが震源地らしいと教えてくれました。津波が心配されているとのことでしたが、津波?あまりピンとくることはありませんでした。
そして、このバスのなかで、ようやく電波がつながり、家族や同僚たちと連絡が取れ、状況をおぼろげながら把握することができたのです。
すっかり辺りが暗くなった西新井駅のバス停に降りると、私は煙草に火をつけて煙を吸い込み、少し頭を整理しはじめました。ここからは、電車もバスも、もう一切動いていません。戻るには、歩くしかないのです。
私が戻る街は「御徒町」、ちょうど上野と秋葉原の間に位置する街で、日本で2番目に古い商店街があります。その街に通うオフィスがあり、近くに部屋を借りていたのです。
西新井から御徒町まで歩いて2時間くらいでしょうか。ヘッドライトが行き交う国道4号線を真っ直ぐに進んで帰ります。
そのとき福島に起こっていた未曽有の出来事など何も知らずに、ただ、ひたすら歩く自分がいました。
出張で長い間お世話になった郡山市・二本松市にいる素晴らしき仲間たち。みなさんお元気でしょうか。私は今、京都に戻っています。震災のあと、みんなで励まし合い、よく歌った曲をもう一度。
ーー 今、蛍火のようにぼくら命の火を燃やしている、ちっぽけでも、どんな悲劇さえも焼き尽くすように ーー