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小説における詞と辞、辞と辞の関係  融合する表現位置

国語学におけるパイオニア的存在と名高い言語学者・時枝誠記(1900―1967)。

時枝言語学の核と呼ばれているのが、世に広く知られた「詞辞論」です。

時枝はまず、ひとつの「文」を題材とするなら、それは「詞」と「辞」の結合によって構成されているのだと説いています。

「詞」とは素材が客体化され表現されたもので「山」「川」などの名詞、「歩く」「走る」といった動詞、「嬉し」「悲し」といった形容詞などです。

これに対して「辞」というのは、助動詞、副助詞、終助詞といった客体化されない直接的表現になります。

つまり、「辞」には思いや主張といった書き手の陳述が含まれているわけなんです。たとえば、

雨が降るだろう。

といった文の場合でいうと、「雨が降る」が「詞」で、「だろう」が「辞」で表現されていることになります。

「だろう」という言葉は、書き手の「推測」といった直接的表現で、読み手に対して「そのように推測しているんだよ」と伝えているんですね。また、これを、

雨が降る。

と言い切りに変えると、今度は書き手の「断定」という主張に変わることになるんです。さらに、

線路は続くよ。

という文なら、「は」という係助詞と、「よ」という相手に語りかける終助詞が「辞」になります。

線路は(どうかというと)続くよ。

というように書き手は「線路」という言葉を、「は」という係助詞を使って、読み手に主題提示しているわけです。わざわざ取り立てているんですね。

線路が続く。

という文の「が」は「辞」ではありません。ただの、描写文になります。そこが、主題「は」と主格「が」の違いなんです。

「詞」という素材、事柄そのものは主体(書き手)の向こう側にあり、「辞」という陳述表現は主体の内側にある。

そこには、主体から見た、「あちら」と「こちら」という相関関係があるわけです。

この「詞」と「辞」、「辞」と「辞」という二種類の対比観点で小説の構造の相関関係を分析した究極の一冊が、1976年に発行されています。

「ことばの藝術(言語はいかにして文学となるか)」杉山康彦 著 大修館書店

この著書のなかに、「小説における詞と辞、辞と辞の関係」について詳しく述べられている箇所があるんです。

杉山教授は、志賀直哉の『網走まで』という小説を題材にして、その対比構造の仕組みをわかりやすく紐解いてくれているんですね。

Ⓐ宇都宮の友に、「日光の帰りには是非お邪魔する」と云ってやったら「誘って呉れ、僕も行くから」と云ふ返事を受け取った。
 
それは八月も酷く暑い時分の事で、自分は特に午後四時二十分の汽車を選んで、とにかくその友の所まで行くことにした。汽車は青森行である。自分が上野に着いた時には、もう大勢の人が改札口へ集まって居た。自分も直ぐその仲間へ入っていった。
 
Ⓑ鈴が鳴って、改札口が開かれた。人々は一度にどよめき立った。鋏の音が繁く聞え出す。改札口の手摺へつかへた手荷物を口を歪めて引っぱる人や、本流からはみ出して無理にまた、還らうとする人や、それを入れまいとする人や、いつもの通りの混雑である。巡査がいやな眼つきで改札人の背後から客の一人一人を見て居る。此処を辛うじて出た人々はプラットフォームを小走りに急いで、駅夫等の「先が空いてます、先が空いてます。」と叫ぶのも聞かずに、吾れ先きと手近な客車に入りたがる。自分は一番先の客車に乗るつもりで急いだ。     『網走まで』冒頭より

どのように分析されているかというと、まず、この小説には「自分」という主人公がいます。

この文章の「辞」には厳密にこの主人公が宿っているんですね。Ⓐの段落で主人公の表現位置を確かめていきましょう。

「返事を受け取った」という表現は「返事が来た」という現在形とは違い、やや過去風になっていますが、まずそういった立ち位置から始まります。

続いて、「その友の所まで行くことにした」というところで、書き手と主人公が一体化しようとする緊迫した気配が感じられます。

さらに、次の「汽車は青森行である」というのは、家で時刻表を見ながら確認しているのか、上野駅についてからの確認なのか曖昧なのですが、「である」という現在形もあって、ここで語られる自分と語る自分が一体化するんです。

「もう大勢の人が改札口へ集まって居た」と続くところで、その一体化はさらに完璧なものになり、「自分」の立つここという位置も明確になるんですね。

そして、物語りはⒷの段落に移るにしたがって、今度は「群衆」という「あちら」側の「詞」が宿る表現に変わっていくのですが、そのなかで、主人公「辞」という「こちら」側の立ち位置はどう変わっていくのか?

そう、ここから(こちら)「辞」(あちら)「詞」の対比構造を読み取っていくんです。

「人々は一度にどよめき立った」というとき「自分」はその「人々」のなかに入っているのか、「自分」もどよめいているのか。

「改札口の手摺へつかへた手荷物を口を歪めて引っぱる人や、・・・それを入れまいとする人や、いつもの通りの混雑である」という間じゅう「自分」はどうしているのだろうか。

「自分」は、巡査に見られているのか。「小走りに急いで」というなかには「自分」は入っているのか。

「吾れ先きと手近な客車に入りたがる」というなかには「自分」は明らかに入っていない。

しかし、最後の「自分は一番先の客車に乗るつもりで急いだ」は明らかに自分自身なんですね。

とすれば、いつの間にか「自分」も人々とともに改札口を通ったのであり、とすれば、「自分」は入っているかどうかと疑ったところには底流としてずっと「自分」が潜在していたといえます。

「自分」は人々のなかに、状況のなかに巻き込まれていながら、首一つその群衆のなかからまぬがれて、自分を含めた群衆を見ています。

この、巻きこまれつつ巻きこまれないというありよう。この最後の一行こそが、この文章の最も大切な表現で、「詞」と「辞」を最も接近せしめたセンテンスになります。

主人公(自分)という「辞」が、群衆という「詞」のなかを駆け抜けるさまが、最後の一行の表現で読み手の脳裏をサーッと逆流する仕掛けになっているんです。

つまり、この最後の文は、「詞」と「辞」の溶け合うところ、融合点といってもいいのかも知れません。

主体世界と客観世界が親しくふれあう融合点。このふれ合いによって文章が踊り出し、文学言語が誕生するんです。

よって、この融合された表現部分は、読み手の意識に強く印象付けられることになります。

その証拠に、みなさんも、この文章を初めて読んだとき最も印象に残ったのはこの最後の一行ではなかったでしょうか。