1978年に初刊が発行され、超ロングセラーとなった、岩波新書「日本語の文法を考える」。
文学博士・大野晋氏が古典的事実をもとに現代日本語の新しい文法の体系を探求した究極の一冊です。
古本店やブックオフにいけば今でも棚に並んでいることが多いので、すぐにでも手に取ることができます。
大野氏はこの著書のなかで、助詞「ガ」の歴史的展開とその特性について詳しく述べられているのですが、その後、学会では様々な異論も出ていて、これが引き金となり数多くの議論が重ねられています。
氏によると、助詞「ガ」の根本的な特性は、ガの上にくる言葉とガとが一体となって、下にくる表現に対して条件づけするところにその特性があるということなんです。
条件づけ、つまり、下にくる体言や動詞や文表現などに対して、ガを含む上の部分が新しい情報を加えるのだという理屈になります。
文法的に置き換えて言うとすれば、ガの役目は、ガを伴った体言からはじまることで、下の体言を主名詞とする連体修飾節で書かれたセンテンスを生み出すということなんですね。
ガという助詞は、古くは「君が代」とか「恋が窪」といったように、体言と体言の間に入ってつなぎあわせる職能を持っていました。そう、接続助詞「ノ」のような役目ですね。
上にある体言と下にくる体言が一体になって形容語が作られていた。
形容語が作られるということは、下の体言に対して新しく条件づけをすること、未知の情報が加わるということなんです。
こういった接続助詞的なガの使い方は古典語のガの8、9割を占めていましたが、現代語ではほんの少ししか残っていないそうです。
ただ、このときのガの職能の余力のようなものが、次の例文に見られるようなガの性格を今も残しているといいます。
Ⓐ裕子が買ったピアノ。
Ⓑ順子が生まれたとき、わたしはもう40歳でした。
このように、ガは「買った」「生まれた」だけにかかるのではなくて、ガの下の体言の「ピアノ」「とき」までを統合する力を持っているんですね。
ガの上の体言と下の体言を統合し一体化する、それこそが「ガ」の基本的性格なのだ、ということなんです。
Ⓒ家賃が入ってこないんだそうだ。
Ⓓ何事が起こりつつあるかをまるで知らない。

この大野氏の理論に対して、モントリオール大学で博士号(言語学)を取得した金谷武洋氏は、著書「日本語に主語はいらない」のなかで次のように反論されています。
「格助詞は基本文内で仕事を終わるのだから、文を切ることはできない。だが、ここで「ガ」について言えることは「ヲ」や「二」や「デ」など、ほかの格助詞についても同様なのだ」
たしかにその通りで、
Ⓔ家賃を払ってくれないんだそうだ。
Ⓕどこに落としたのかをまるで覚えてない。
といったように「ヲ」や「二」の場合でもなんの違和感もありません。それどころか、
Ⓖ彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、
Ⓗ彼の頭は出入り口をふさぐコロップの栓となるにすぎなくて、
と、なんと係助詞「ハ」で表現されていても、統合され一体化している例はいくらでもあるんです。
やはり連体修飾節で書かれていると、スピード感が出て、流れるように一息で文を読むことができるんですね。
一体化されてスラスラと流れていく表現が生まれる理由は、「ガ」という助詞の使い方にあるのではなく、連体修飾節が持つその職能のなかにあるのではないでしょうか。
さらによく見ると、
Ⓖ彼は彼の棲家である(岩屋)から外へ出てみようとしたのであるが、
Ⓗ彼の頭は出入り口をふさぐコロップの(栓)となるにすぎなくて、
というように、「ハ」からはじまり、「ノ」「二」で終わる大きな連体修飾節のなかに、(岩屋)(栓)が主名詞となった小さな連体修飾節が包みこまれているのが見て取れるんですね。
連体修飾節の2重構造、どうやらこの辺りに、流れるような文を書くコツがひそんでいるのかも知れません。