文章展開というのは「前提」と「焦点」が繰り返されるもの、一定の「問い」を示してそれに「答え」ていくものだと、このブログでは繰り返し説明してきました。
たとえば、
Ⓐ私は、正直言って、呼ばれたから田辺家に向かっていただけだった。Ⓑな―んにも、考えていなかったのだ。 (吉本ばなな 「キッチン」)
といった文の組み合わせの場合、Ⓐの文が成り立つためには、前提として田辺家の存在がそれまでの先行文脈で提示されてなければなりません。
さらに、Ⓐは次の焦点を導く「問い」となっています。
そしてⒷの文は、Ⓐの文に対し、焦点となる「答え」として提示されているわけなんです。
Ⓑは、Ⓐの「呼ばれたから田辺家へ向かった」という内容を受け、「な―んにも、考えていなかったのだ」という形でより具体的に「言い換え」られているんですね。
(※「のだ」「んだ」という言葉は、「焦点」となる文に使われます。)
そう、この「言い換え」という概念こそが文章展開の本質なんです。
「つまり、何?」「要するに何?」「言い換えればどういうこと?」
その「問い」と「答え」の呼吸を、書き手は読み手に差し出して、主旨を伝えようとしているんです。
「(文章の学校)の教科書」という一冊の文章教本があるのですが、そのなかに「プロの技」という項目があって、プロのライターたちが書き上げた、実際に掲載された文章が例として示されています。
それらの文章はリズムも素晴らしくて、流れるように読めるんですね。
「なぜ、プロのライターたちはこういう文章が書けるのだろう?」「何かコツがあるのか?」「やはり語彙が素人とは圧倒的に違うのか?」
その理由がどうしても知りたいと思ったくらいの、本当に魅力ある文章の数々なんです。
ですが、文章構成というのは「前提」と「焦点」で成り立つという理論を理解して上で、そのフィルターをかけて読んで見ると、その謎は私の中で解き明かされていきました。
今回は、その文章のひとつを例として見ていきたいと思います。
Ⓐアプローチで一番大切なことは、狙った落とし所にきちんとボールを運ぶこと。Ⓑ寄せの「感性」を身に付けるには、狙った場所に落とす確率の高い技術が必要です。
Ⓒ僕がアプローチの技術で基本にしているのがピッチエンドラン。Ⓓここでは絶対的な約束事があります。Ⓔ体を中心にしてヘッド軌道を丸くイメージし、体を水平回転させることです。
Ⓕ丸く振っていくと、インパクトでボールに強くコンタクトしたりせず、体の回転に引っ張られてヘッドスピードが徐々に上がっていきます。Ⓖ体の回転にクラブの動きを任せると、腕によるムダな力加減が入らない。Ⓗだからパンチが入ったりユルんだりせず、振ったなりの距離がきちんとだせるんです。
「(アルバトロス・ビュー)より」
太字で示したⒷ、Ⓔ、Ⓗの文が測ったように各段落で「焦点」、つまり、答えの文となっています。
Ⓑ、Ⓔ、Ⓗの文だけを読んだとしても、このテキストでは何が言いたいのか伝わるようになっているんです。
これら焦点の文は全て「です」で括られていて、それ以外の文は違う形で括られているんですね。
ようは、それ以外の文は肉付け的役割を果たしているにすぎないのです。
また、確立の高い技術→ アプローチの技術・・丸くイメージ→ 丸く振っていく
といったように「焦点」が次の段落の「前提」となっている構成も明確に捉えることができます。
「Ⓐ。そのために何が必要かというとⒷ」
「ⒸⒹ。そのためにどうすればいいかというとⒺ」
「ⒻⒼ。そうするとどうなるかというとⒽ」
Ⓐ「運ぶこと」は、「こと」という形式名詞を使った体言止めとよばれるもので、いわゆる投げ出し提示です。
投げ出された文は不安定なので、落ち着く先を求め探します。それを受けとめるのがⒷのセンテンスの役割です。
Ⓒの文も「のがピッチエンドラン」という体言止めで、続くⒹ「あります」は動詞述語文になっています。
動詞文は丁寧語に変えると「ます」になることはこれまで伝えてきました。
この2つの文も、Ⓔの「ことです」という形式名詞述語文が最後に受け止めているのが見て取れるんですね。
さらに、Ⓕ、Ⓖと動きが描写され、Ⓗの「だせるんです」という「のだ」文で最後にテキスト全体が締められています。
まさにハッキリとわかるほど、「前提」と「焦点」で繰り返し表現されているんです。