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助動詞「だ」が付くことではじめて文となる

日本語の文のタイプは、動詞述語文、形容詞述語文、名詞述語文と、わずか3種類に限定されています。

それぞれの述語は「統叙」という機能を持ち、前に並ぶ文の成分を最後にまとめ上げるんです。

たとえば、

雨が降り出したので、裕子とパシフィックホテルに駆けこむ。

という動詞述語文の場合、「駆けこむ」という述語が「雨が降り出したので」「裕子と」「パシフィックホテルに」という3つの成分をまとめ上げて文を完成させています。

「雨が降り出したので駆けこむ」

「裕子と駆けこむ」

「パシフィックホテルに駆けこむ」

君は薔薇より美しい。

という形容詞述語文の場合でも、「美しい」という述語が「君は」「薔薇より」という成分を統叙しているわけです。

では、残る名詞述語文はどのような構成になっているのでしょうか。

あの人気バンドのドラムスがヒロシだ。

厳密にいうと、この文の述語である「ヒロシだ」の「ヒロシ」という名詞そのものは統叙機能を持っていません。

名詞は「体言」というただの素材に過ぎませんので成分を統叙することは出来ないんです。統叙機能を持つのは、動詞と形容詞という「用言」だけなんですね。

では名詞述語文はどのように成分を束ねているのかというと、その統叙の役割を果たしているのは「だ」という助動詞になります。

「ヒロシ」という名詞素材は「だ」という助動詞が付属することで統叙の職能を持つことが出来るのです。

そう、「あの人気バンドのドラムスがヒロシ」で終わる場合は文とは言えなくて、あくまで連体修飾節という「節」にすぎないんです。

助動詞「だ」が付いて、初めて、名詞述語文として成立することになります。

「あの人気バンドのドラムスがヒロシなのだけれど・・」と続けられていくように、「ヒロシ」の前にいくら長い説明が付いていたとしても、「だ」が付いていなければ、それはひとつの素材にすぎない体言扱いになるんですね。

用言はその存在自体に統叙機能を持ち合わせているのですが、体言にはその機能はありません。

だから、名詞述語文の場合、用言の統叙機能に相対する役割は下につく助動詞が果たすことになるんです。

名詞、つまり体言に付属する助動詞は3類に分かれています。

A類)だ  B類)らしい  C類)だろう

「です」は「だ」の丁寧形、「だった」は「だ」の完了形、「でしょう」は「だろう」の丁寧形ですね。

A類)からB類)、さらにC類)へと移行していくほどに「陳述度」、つまり話し手の意思的要素が加わっていくことになります。

さらに、B類)らしい  C類)だろう は用言の後にも続いていくことができますが、A類)だ においては用言に付属することはできません。

行くらしい。 帰るだろう。とは言えますが、歩くだ。食べるだ。とは言えないんですね。

一部の地域では、「おら、東京へ行くだ」という言い方もありますが、やはりそれは限定的だと言えるのです。