こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

京都観光案内 それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

外延と内包  交互に繰り返し表現しながら文章は展開されていく

対立概念

「ずいぶん抽象的だな」とか、「もっと具体的に」といった言葉を聞くことがよくあります。

具体⇔抽象、こういった対立概念は他にも、絶対⇔相対、普遍⇔特殊、主観⇔客観、といったように、いくつにもみることができます。

これらの使い分けはビジネスにおいても、日常生活においても欠かせないものですが、なぜか、学校でもほとんど教わることはありませんし、教科書にも明記されていません。

ですが、この対立概念を理解し、意識下に持ち続けておくと、文章を書くときに本当に役立つんです。

 

 

特に、読み手に対して主張や説明を伝えることを目的とした論理的な文章を書く場合、具体⇔抽象の対立概念をもって文章展開させていくということが非常に有効な手段となります。

より具体的な表現と、より抽象的な表現が上手く配合されていると、文章は立体的に彩色されていくんですね。

論理的な文章は「論理」という抽象的な見解を展開していく文章なので、具体的な事例ばかりが書かれるということはまずありえません。

抽象的な理屈を肉づけするための材料として具体的な事例がもっぱら補足され綴られているのであって、読み手に真に伝えたい中心の表現は抽象的な見解のなかにあるはずです。

ただ、具体的、抽象的というのは相対的な概念であって、一つの語はAの語に対してはより抽象的であるのだけれども、Bの語に対してはより具体的だ、という関係にあります。

「です」と「ます」

このような相対的な関係を捉えるためには、それらの語を、論理学のところでいう「外延・内包」という角度から検討することでわかりやすく理解することができます。

【概念の外延  ある概念のあてはまる外部的範囲】

例)KUWATA BAND(クワタバンド)は、サザンオールスターズの桑田佳祐を中心にして結成された80年代に活躍した日本のロックバンドです。

【概念の内包  ある概念を特徴づける内部的性質】

例)サザンオールスターズのメンバーである原由子が産休に入ることが、KUWATA BAND(クワタバンド)結成の動機となった。
その活動は1986年の1年限定のことであったが、シングル曲「BAN BAN BAN」は異例の大ヒットセラーとなる。

論理的展開というのは、外延(抽象的)と、内包(具体的)とが、交互に繰り返し表現されながら全体が進行していくということを意味します。

そして、文章構成における対立概念というのは、ほとんどがこの「外延・内包」の論理に置き換えることができるのです。

このブログでも以前に取り上げた「丁寧語における「です」と「ます」の対立構造」においても同じことが言えて、「です」表現で終わるセンテンスは「外延」、「ます」表現で終わるセンテンスは「内包」と、大まかに捉えて問題ないでしょう。

何故、大まかなのかというと、日本語の表現というのは必ず例外が出てきますので、完全に区分することはできないんです。

私たちが義務教育で文法を教えられるとき、もはや文法は確立したもの、完成されたものとして習います。ですが、国語学の学者たちに言わせると、これは全くの神話であり、幻想でしかないそうです。

日本語の文法は、極論すればどれもこれも仮説の域を出ないとさえ言われているんですね。

だから例外は必ず出てくることになるので、確信する95%の法則を頼りに検証していくしかないのでしょう。

Ⓐ高校時代のケイスケは、ひたすら練習を重ねたギターの演奏を仲間たちに褒めてもらいたくて、教室でE・クラプトンの曲を演奏しながら歌ってみせました。

Ⓑ彼は、透き通っていない自分の声があまり好きではなかった、といっても、弾き語りなのでギター演奏にその声をのせていくしかありません。

Ⓒそこにいたクラスメイトたちは、そのギターの演奏には全く反応しなかったのですが、その歌声を聴いて度肝を抜かれることになります。

Ⓔ「うわ、なんだこれ。デュラン(ボブ)だ、この声は、デュランだ」と教室は大騒ぎになりました。

Ⓕこのとき、彼は自分の才能に気づくことになるのです。Ⓖそう、このときこそが天才ロックシンガー誕生の瞬間だったんですね。

上の文章でいうと、ⒻⒼのセンテンスが外延で、そこまでのⒶⒷⒸⒹⒺのセンテンスが内包的役割を果たしています。

ⒶⒷⒸⒹⒺの「ます」文は、ⒻⒼ「です」文の内容をより詳しく具体的に述べているということが見て取れるんです。

さらに分析するなら、ⒻのセンテンスはⒶⒷⒸⒹⒺに対して外延的であるけれど、一方で、Ⓖに対しては内包的な要素を携えているともいえます。

この段落では内包の表現が先行して続いていき、最後に外延の表現がまとめ上げるという構成になっていますが、そのときの書き手の感覚によって、さまざまな位置付けが考えられることになります。

外延が先に提示される場合もありますし、ときには、中段に書かれることもあるでしょう。

また、外延だけが淡々と繰り返されていくこともありますし、いつまでも詳しく内包表現が続いていくということもありえるのです。