最後にくる言葉
日本語の文体において、読み手が最も注視するのは文末です。
なぜ注視するのかというと、文末というのはもっとも重要な情報が含まれているために焦点化されやすいからなんですね。
また、日本語というのは語順が決まっていて、最後にくるのは必ず述語となります。
読み手は焦点化されている文末をとくに関心をもって読み進めていくのですが、つまりそれは、常に述語の内容に注目しているということと同じことになるんです。
実際に日本語の会話というのは、「昨日、どうした、行ったの?」「行った、でもたいしたことなかったよ」「そう、たいしたことないんだね」といったように、なんの話題なのか、お互いが認識さえしていれば、「行った」「たいしたことない」という述語だけで十分に会話は成り立つのです。
これを文に置き換えても同じことで、書き手が本当に伝えたい内容は述語に集約されているといえます。
あくまで述語を補足するために主語(が)・目的語(を)があるに過ぎなくて、そこまでの文脈でわかっていれば、主語や目的語といった補語はできるだけ繰り返し提示しないほうがいい文章に仕上がるんです。
ただ、日本語の語順の特性として、文末にくるのが常に述語なので、結果的に終わりが似たような形になるのを避けて通れないんですね。
丁寧形であれば、「です」「ます」でほぼ埋め尽くすことになりますし、普通形なら「た」が連打されて、「た、た、た、た、た」と、繰り返された音が並んでしまうことになります。
これはもう日本語の宿命と言うべきもので、述語が文末にくることから生じる「単調さ」と「押しつけがまさ」から逃げることはできないのでしょう。
ただ、ブログ記事やエッセイなど、比較的に緩やかで軽やかな文体で書き綴っていく文章であれば、この単調さを回避する方法がひとつだけあります。
それは「点描文体」と呼ばれる、文末を省略して、点と点を結び付けていくように文章をつなぐ文体で書くというやり方なんです。
まず、点描文体でよく使われるのが名詞述語文です。
Ⓐ包丁で端に軽く切り込みを入れるのがコツ。
「コツです」という表現を避け、「コツ」という名詞のみをそっと差し出して文を終わらせます。いわゆる「体言止め」と呼ばれる中立形による締めくくりです。
Ⓑ裕子が奏でるやわらかで上品なピアノの音色。
名詞述語文の「AはBだ」の「Aは」を省略し、「B」だけを提示する文になります。連体修飾節そのものを投げ出した提示文ですね。
そして、同じくよく見られるのが形容詞述語文です。形容詞の場合、もともと「おいしいです」のような丁寧型を使った言い方は避けられる傾向があり、「おいしい」といった普通形が選択されることが普通です。
Ⓒ遠くから見ると、人混みのなかで彼の顔だけが浮かび上がって見えるくらいマサオは背が高い。
さらに、動詞述語文の場合は、最後の述語そのものを省略してしまうケースが多いのが特徴です。
Ⓓタイムやローズマリーなど、ハーブをのせて焼くとおいしい香りづけに。
「なります」という文末を省略して余韻を残すようにすると、歯切れよく軽快な表現に変わっていきます。
さらに、オノマトペ(擬音語)といった副詞や、「言います」のような引用動詞が省略されている表現もあります。
Ⓔその餃子、皮はパリパリ、中はとろ~り。
Ⓕ「そんなヒロシにだまされて」と裕子さん。
これら例文の点描文体に共通して言えるのは、最後まで言い切らずに、途中で投げ出した表現方法になっているということなんですね。
そのわりには、決して助詞や音を脱落させないで、単調さや押し付けがまさを上手く逃れることに成功しています。
話し言葉的な雰囲気を出しているのに、ちゃんと整って表現されているんです。
投げっぱなしは許されない
ただ、点描文体を積み重ねた表現だけで、それだけで一連の文章が完結されてしまったときの印象というのはどうでしょうか。
省略文だけで続けられた文章で、もしテキストが終わってしまったとしたら、あきらかに読み手は違和感を感じてしまうことでしょう。
全体を貫く軽い感覚の言葉の羅列に対して、なにか物足りなさを感じるに違いないんです。
そう、センテンスを投げ出して提示したのなら、やはりどこかでそれを回収しなくてはなりません。放りっぱなし、投げっぱなしは許されないんです。
以下に見てみましょう。
Ⓖ冬から春にかけてのこの時期は、日ごとに気温が大きく変わり、風邪をひいたり、なんとなくぼんやりしたりと体調を崩しがち。この不調は季節の変化に対応しきれていないというサイン。からだがきちんと機能するように、適切なケアをすることが大切です。
一連の文章は、「崩しがち」「サイン」という点描文体を使った中立形で進んでいき、最後に「大切です」という丁寧形の文で文章が締めくくられています。
中立形で進められている間はスピードが出ることで「急」な感じで流れていき、「大切です」のところで最後にブレーキがかかっているのがわかります。
「です」「ます」調で締めくくると、書き手が読み手に語りかけている感じがどうしてもしますので、「急」から「緩」へとスピードが落ちていき、そこまでの文をまとめ上げる雰囲気が醸し出ることになるんです。
そう、これが文章の「緩急」なんです。点描文体を使って文をつなげていくと文章にリズム感が生まれるんですね。
Ⓗ目的地に着いたら、まずやること。それはその日の宿を探すことと、ビールを飲むこと。それが済んで、やっと一息。これが、旅のお決まりのパターンです。
「やること」「飲むこと」「ひと息」と、軽快に続いていき、「パターンです」という「です」調で締めくくられています。
これを「です」を省略して、「パターン」という言葉にすると、まだ先に言いたいことが残っている感じがするんです。
最後で「パターンです」というように丁寧形で受け入れる形になっているからこそ、先行する中立形が表現として生きてくる気がします。
大切なのは、中立形の述語文でいくつかの文を投げだし、その投げ出された文を丁寧形の述語文でまとめ上げ、解釈を加えるという呼吸を醸し出せるかどうかなのではないでしょうか。
「急」である中立形述語文は述語として不完全な形をしているので、安定した落ち着き先を見つけるべく、後続文につながっていこうとするんです。
受けとめてくれるその後続文が、丁寧形で終わっている解説調の文であれば、そこに結び付くことができて、不安定な勢いはそこで止まることになります。
丁寧形述語文が「地」の役割を果たし、全てを受けとめてくれるので、「図」である中立形述語文は、勢いにまかせてテキストのなかを駆け巡ることができるのです。