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助詞「ハ」が承ける言葉は、すでに知られている既知のもの、助詞「ガ」が承ける言葉は未知のものであると、国語学者のパイオニア的存在でもある、文学博士の大野晋氏は説かれています。
Ⓐ花は咲いている
といえば、すでに「花」は話題に上っていて、「花は(ドウシテイルカトイウト)咲いている」というように「花」をワザワザ取り立て、題目として扱い、「ハ」の下に「咲いている」という説明を加える文とされていることがわかるんです。
そう、極論を言うなら、「ハ」という助詞が出てきたら、それはもうひとつの説明文なんだと認識してもいいのかもしれません。
「ハ」の上の言葉が「問い」であり、「ハ」の下の言葉が「答え」ですね。ですが、
Ⓑ花が咲いている
となると、突然そこに花を発見して驚く、あるいは喜び、それを目前の現実として描写した文になるんです。
「花が咲いていること」全体は一瞬にして認識されたのであり、それが分析的に表現されているんですね。
まさに、このⒷ文における「花」は「ガ」によって未知扱いをされています。未知のものは「ガ」が承けるのです。
じつは、この「ガ」というものが未知のものを承けるという特性によって、「ガ」がセンテンスのなかに及ぼす、ある驚くべき表現効果を大野博士は私たちに教えてくれています。
それは良質の膠のように
未知のものを承けるということを踏まえて言うと、「ガ」のもうひとつの累加的な特性は、「ガ」の上にくる言葉と「ガ」とが一体となって、下にくる表現に対する条件づけをすることにあります。
条件づけをするとはどういうことかというと、下にくる体言や動詞述語などに対して、「ガ」を含む上の部分が新しい情報を加えるものだということです。
Ⓒ(ヒロシが)得意な(楽器)
Ⓓ(裕子が)生まれた(時)、私はもう45で
「得意な」「生まれた」は用言の連体形なのですが、下には体言が控えています。
この場合、「ガ」は「得意な」「生まれた」だけにかかるのではありません。
「ガ」は、下の体言の「楽器」「時」までを統合する力を持っているんですね。次の例も同じです。
Ⓔ遠い席に(ボーイが)音を立てて茶を入れている(間)、総理は通訳に言葉を待たせていた
体言「ボーイ」と体言「間」のなかに入った「ガ」の役目は、「ボーイ」と一体になって、下の「間」の条件づけをすることにあり、かつまた、「ボーイが音を立てて茶を入れている間」というように、両極を一体化させるというところにあるんです。
まるで良質の膠のように、体言と体言の間を伸縮自在にしなやかに、しかも強力に繋ぎとめる「ガ」の職能は、ひとつのセンテンスをこんな風に流暢に流れさせていくことができるのです。
ブツブツと途切れることのないその表現は、「総理は・・」からつながる後続文脈にまで影響を及ぼし、一連の流れをスムーズに進めることで相乗効果を持たらし、まさに、読み手の文字を追うスピードを促進させていきます。
さらにいえば、例文Ⓔの「ガ」がもたらす表現効果により、ホテルラウンジの静寂な雰囲気さえも、ごく自然に感じ取ることができるんですね。
助詞「ガ」は今でこそ主格の格助詞とか逆接の接続助詞とかに考えられていますが、もとは「ノ」と同じように連体助詞の役割を果たしていました。
「わが国・君が代・松が枝・稲村が崎・恋が窪」のように、その名残は今でも見られます。
「万葉集」などでは「ガ」の上には「我」とか「君」とかの人間がくることが圧倒的に多かったんですね。
「わが」とは、これを英訳するとmyであり、「わが国」とはmy countryということになります。
「ガ」は上にある人間と一体なって、下にくる体言の形容語をつくっていました。
形容語をつくるとは、下の体言に対して新しく条件づけをすることであり、未知の情報を加えるということです。
この「ガ」の使い方は、現代ではほんの少しの例しかありませんが、古典語ではおよそ9割の使用率を占めていたのです。