こうへいブログ 京都案内と文章研究について  

京都観光案内 それをわかりやすく伝えるために奮闘する文章研究の日々

本能寺  麒麟が来る  明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか

応仁の乱からの復興

京都の街を焼き尽くした応仁の乱。絶望的状況がなんとか収束に向かったとき復興に尽力したのは、町衆と呼ばれる富裕層の商売人たちでした。

その大半の人たちは法華宗門徒だったので、法華宗の信仰は京都の中心部に浸透します。

「題目の巷」と呼ばれ法華経弘通の霊場として栄えた本能寺は、ここに究極の繁栄を極めるのです。

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本能寺から御池通りをはさんだ向かい側には、京都市役所がそびえ立っています。

まさに、京都市中心部にある現在の場所に移転させたのは豊臣秀吉で、天正19(1591)年のことでした。

ここは、「わが敵は本能寺にあり」と明智光秀が備中に向かう予定だった兵をきゅうきょ反転させ、本能寺に宿泊していた織田信長を襲撃したその場所ではありません。

「本能寺の変」ですべての諸堂が焼失したために、秀吉が現在の場所に伽藍を再建させたのです。

信長が襲われて命尽きた本能寺があった場所は、同じ中京区の堀川蛸薬師にあり、本能寺町・元本能寺町という町名を今も残しています。

いまの本能寺の場所から南西に歩いて20分くらいの距離なんですね。

なぜ謀反は起こったのか

天下一の裏切り者と呼ばれた明智光秀は、なぜ信長に謀反を起こしたのでしょうか。

少しの間でもいいから天下人になってみたかったとか、みんなの前で信長にシバかれたとか、そんな、うっすい理由なのでしょうか。

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明智家の末裔・明智憲三郎さんが、明智家に遺された史料を綿密に調べてまとめられた著書は、非常に興味深い内容でまとめられていて、土岐一族として生きた光秀の思いが明確に伝わってきます。

明智家は、土岐氏の守護家に重く用いえられた家柄であり、光秀自身は守護土岐頼武・頼純父子を支えた重臣だったのです。

彼にとっては、この先も続いていく明智家という血族を守りぬく事こそが、最も大切なことだったんですね。

信長は天下統一を果たしたその先をすでに見据えていました。

日本国を自分の手の中に掴んでしまえば、新しく侵略して手に入れる土地はなくなります。

そうなれば家臣に褒章を与えることは、もはや出来ません。どこを奪いに行くのかは自然と決まってくるのでしょう。

次のフロンティアを目指して信長の視線は海外へと向かいます。

つまり、明への侵攻ですが、天下統一を成し遂げた秀吉が実行したように、それ以前に信長が計画していたとしても、荒唐無稽や誇大妄想の類として退けられないでしょう。

信長は侵攻によって広大な明の土地を手に入れることができたなら、功績を上げた家臣に恩賞として与えようしていました。

それは同時に、土地を餌に有力武将を国外へ移封することを目的としていたのです。

日本国内に留めるのは、自分が本当に気に入っている家臣や友人、そして一族たちがいればそれでよかったのです。

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新たな世代のために

信長の思惑を見抜いていた光秀は、このときもう若くはありませんでした。

嫡男の光慶はまだ幼く、もし遠国に移封させられてしまえば、これまで築き上げてものは分断され家は弱体化してしまう。

大海原を渡って見たこともない未知の土地で戦わなければならないのは息子たちの世代だ。明智家は異国に放り出されて滅亡するのではないか。

この悪魔的な流れをなんとしても止めなければならないと、光秀は謀反を起こしたのではないでしょうか。

戦国期に金字塔を打ち立てた織田信長を討った明智光秀。

主役として描かれる大河ドラマのタイトルは「麒麟がくる」ですが、麒麟とは、王が仁のある政治を行うときに必ず現れるという聖なる獣のことです。

応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは誰で、いつ麒麟がくるのか。

これからの物語の展開がどうなっていくのか、なんて楽しみなんでしょう。