龍安寺    女王も絶賛した謎めいた石庭

龍安寺の方丈南側には、世界的に名高い枯山水庭園の石庭があります。
三方を油土塀で囲み、横幅25メートル、立幅10メートル余りの長方形の白砂の庭に15個の石が5・2・3・2・3に配置されています。
このような禅の庭は、水を使わずに白砂や石だけで自然を抽象的に表現していて、解釈は観る人のそれぞれの感性にゆだねています。
龍安寺の石庭が全世界に知られるようになったのは、昭和50年にイギリスのエリザベス女王が訪れ、この枯山水庭園を絶賛したからです。
一日に訪れる観光客はこの時、数千人規模になりました。

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ただ、龍安寺の石庭は作者、造営年代、この造形が何を意味しているのかなど何もわかっていません。様々な説が出ていますが、明確な根拠がないために定説がありません。でも、逆にそういう神秘性があることで、観光客はますます増えています。庭から受ける印象が、いかにもいわくありげなので、訪れる人はその意味するもの、その形にひそむ謎めいたものを理解しようとして、真剣に観賞されています。

京都で、醍醐寺三宝院のように、庭園に白砂を敷くのがさかんになったのは桃山時代からなので、龍安寺の石庭の造営時期についてはある程度の仮説は立てられています。

徳川幕府のブレーンである金地院崇伝は、1619年に天下僧録司という禅宗寺院を統括する最高責任者になります。その時に新寺院諸式が定められ、禅宗の庭が今までのように儀式の場所としての必要性を持たなくなりました。そこで、初めて禅宗の庭に鑑賞用の庭園を造ることが許可されるのです。

崇伝が住持を務める南禅寺の庭園でさえ、1632年に初めて庭石を配しています。龍安寺妙心寺派に所属する禅宗寺院ですが、妙心寺派は一番低い地位にありました。1619年より前に、龍安寺に庭石を配することができるでしょうか。

そして、龍安寺の石庭の記録上における初見は江戸時代1681年の記事で、1680年に龍安寺を訪れた黒川道祐(歴史家)が、その印象を翌年に「東西歴覧記」に記しました。この2つの記録から、龍安寺の石庭が造営されたのは、1619年から1680年の間に限られるという仮説が立てられています。
また、大徳寺など禅宗の大寺院の枯山水庭園は、同じくこの時期に集中して造営されています。